易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

「花といえばコスモス」石川淳

 9月中旬から10月の初めまでの、ご門徒のお内仏の花がたくさん集まりました。
 あるいはおじょうはん(月参り)、或はご法事(年忌)の席ですが、一杯の花器にはじつにさまざまなご苦労があり、その時それぞれのムードが出ています。
 こっそり見せてもらえるのです。じょうず・へたは言いっこなし、ありがたいですね。

改 9月豊明さん DSCF3617_convert_20181005205254

 つるでこしらえてある、ひなびた編みかごの花器に、リンドウとワレモコウ、トルコキキョウが。ここの女性がワレモコウ好きなのです。
 やや暗い落ち着いた床の間なので、そこの雰囲気を尊重して、暗めに撮影しました。 
 北方町の K さん宅おじょうはんです。

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 こちらは明るい日差しの床の間。たいへんモダンな焼き物の花器に、おそらく木イチゴの葉、左手には実がひとつだけ成っているようです。白い花は分りません。
 慣れた瓶花のあしらいです。岐阜市 T さん宅のご法事で。

改 高橋さんニラ DSCF3677_convert_20181005205351

 下から千日紅、ケイトウ、アオキの葉、白いのは「ニラです。」とのこと。
 この可愛い、しかし折れ易い花の配置には苦労なさったそうです。相羽の N さん宅のおじょうはんです。

改 お赤飯 IMG_20180923_112949_convert_20181005205417

 いよいよ岐阜市内のお取越しが始まりました。ここ I さん宅のお内仏です。見どころは??⇒ お仏飯がお赤飯でした。ちょうどお彼岸の時期でしたので。
 いくつになられても、ちゃんと季節を味わっておられるご夫婦ですね。

改 康秀 DSCF3678_convert_20181005205445

 真中の芒(すすき)の穂、紫苑(しおん)が、いかにも秋らしいです。緑としてキンカンや高野マキも使ってあるようです。
 薮ラン、唐人草はどなたもおなじみでしょう。相羽の Y さん宅のおじょうはんです。

改 梅田 法事 IMG_20180925_105411_convert_20181005205508

 U家のご法事で。床の間の丸窓が手が込んで、素敵です。これも花が活けてあればこそ、と思いました。

改 庭ざくら DSCF3681_convert_20181005205533

 浄勝寺の書院です。ほんとうは春に咲くはずの庭ざくらの白い花とブルーベリーの枝です。花器は萩焼。住職が生けました。
 ご覧になったお茶の先生から、「敷き板の木目の向きを横にしてみなさい、それでいいです。」と教えてもらいました。なぁるほど。落ち着きました。

改 安達正之お取越し DSCF3689_convert_20181005205616

 パワーを感じませんか? ここの奥様にお会いすると私は生き生きとしたものを実感します。感応というのでしょうか。お花にもその「人の気」が出るような気がします。会って楽しい、岐阜市の A さん宅のお取越しです。
 白いシュウメイ菊、ケイトウ、真中の紫は孔雀アスターです。菊は全部、家の敷地で育てられたみたいです。

改 シュウメイ菊 安達敏幸 IMG_20180929_101943_convert_20181005205558

 これも岐阜市 T さん宅でのお取越し。シュウメイ菊の白、いいですね。つぼみの背が伸びるのが、この花ですから、少し背の高いものは外してあるようです。
 落ち着いた色の鶴首(つるくび)に、ていねいに生けてありました。

改 野菊 澤博昭 IMG_20181001_091211_convert_20181005205643

 これはとても小さいのですよ。ミニ盆栽というのでしょうか。野菊です。
 岐阜市の S さん宅のお取越しです。敷き板のさらに下の板は、川舟の廃材だそうです。風流というものです。

改 澤育子法事 IMG_20181002_095135_convert_20181005205709

 お軸も花器も、葉も、すべてがキチンとした印象です。六里の T さん宅ご法事。
 菊とリンドウはすぐ分りますが、下のほうのモヤモヤっとしたのが、なかなか分りませんでした。
 お庭を見直してやっと納得、金木犀(キンモクセイ)でした。独特のにおいが漂っていました。

改 坊守本堂 IMG_20181002_154926_convert_20181005205721

 お寺の平常の本堂も見てましょう。あり合わせで活けてありました。すすきを飾れるのもほんのひと時です。赤いのはコスモス。桔梗がまだ咲いていてくれます。

改 山田邦夫 お内仏 IMG_20181003_110638_convert_20181005205801

 岐阜のY さん宅お内仏。あまり大きくないお内仏ですが、引出しの蒔絵が品の良い絵でした。
 見分けにくいかも知れませんが、左すみ、右隅には巨岩が銅板かなにかであしらってあるのが、シブい。山水はいいものです。

改 安達富子おとりこし IMG_20181003_130328_convert_20181005205746

 先日ご法事で訪れた、岐阜市 T さん宅でのお取越し。赤い実はハナミズキ(花水木)、黄は秋の花コスモスです。
 小説家の石川淳は「花なら、たとえばコスモス。宇宙。」と随筆で言っていたような記憶があります。「ズルイ! さすがに着眼が鋭い…」とうらやんだ覚えもあります。。
 実がきれいな孤のライン(アーチというのかな?)を描いていました。

改 安田ベゴニア IMG_20181004_093828_convert_20181005205840

 あの精妙な美しいシュウカイドウに似た花が添え加わっていました。しかし葉が違います。ベゴニアでした。
 この花はシュウカイドウ属ですから、似ているのも無理からぬことでしょう。
 花屋さんのお仏花でも、こうして少し加えると、温かみが増しますね。岐阜市 Y さん宅のお取越しでした。

改 安田 軸 IMG_20181004_094011_convert_20181005205827

 同家のお軸は亡きおばあちゃんのご尊父が書かれたものだそうです。
 そのおばあちゃんの遺言で、新品のお内仏になりました。
 いちおうそのお骨はお内仏の外に出してありますが、目に触れないようにするともっと良いでしょう。(※詳しくは寺報の記事を)

改 安藤七宝店の皿 IMG_20181004_154748_convert_20181005205855

 岐阜市の T さん宅お取越しです。これまで当家で見たことのない飾り皿が飾られていました。裏返してラベルを見ると、有名な名古屋・栄の安藤七宝店のものです。
 慣れないお取越しの用意をお嫁さんが一手に引き受けてくださり、しまってあったのを飾ってくださったのだと知りました。お気持ちがうれしいですね。なもあみだぶつ、ありがとう。
 何の絵柄か、すぐ分りますね? 俵屋宗達(たわらや・そうたつ)「風神雷神図」です。

改 賢一10月秋の七草 DSCF3695_convert_20181005205931

 秋の七草のフジバカマはとりわけ地味な花だと思いますが、紫苑のまわりを囲むように、積極的に使って活けてありました。
 この花は葉の形がすっきりとしています。相羽の K さん宅おじょうはんです。

改 脩司氏 DSCF3701_convert_20181005205950

 花火のように華麗なお仏花がお供えしてありました。白とピンクの菊は、「じつは、まだ夏菊なんです。」とのこと。秋らしい気候に、なかなか切り替わりませんから。
 高い位置のセンニチコウは、柄がよっぽど長いのでしょうか。どうやって水に入れてあるのか、裏側をのぞきたくなりますね。下方の M さん宅のおじょうはんです。

改 脩司氏クジャクアスター DSCF3707_convert_20181005210011

 同家の床の間。ちょっと暗めの空間ですから、その感じが出るように、少し露出補正をマイナスにして撮ってあります。
 右のほうの撥(ばち)のような花弁の黄色い花はダンゴギク。一度切った後、又咲いてきた背の低い花だということです。
 薄紫は孔雀アスター。きれいで可愛いですね。わが家に咲いているのは、ここからいただいたものです。
 花器が大ぶりなので、さぞや苦心して工夫して生けなさったことでしょうね。
 

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10月法語 祖先が私の中で生きている

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 無量無数の祖先が私たちの身の中、心の中で生きている。そして、どうか助かってくれ、そして私を助けてくれとみんな願っている。

 助かる、助けるという言い方も、こうして何気なく使ってしまうものですが、よく考えると曖昧な言葉だと思います。
 あらためて、何から助かるのだろう?と考えています。


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むかし話「さよ、いるか」 

 9月25日(火)は、ひまわり法話で谷汲に出かけました。

 寺村輝夫・文、ヒサ クニヒコ・画 、『寺村輝夫のむかし話』シリーズの一冊です。「おばけのはなし(2)」の朗読でした。
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 わが家の子どもたちが小さかったときに好評だった昔話のひとつです。
 大事な人のお骨を、いつまでも持っていることの不自然さを、自然なお話でいましめてくれる、不思議なスタンスの物語です。
 日本人はお骨が故人そのものであるように、かんちがいする人や執着する人が多いのですが、それとはちょっと距離をおいているからです。

 お骨を手元に置いておきたい人、また逆に海や空中にばらまいてしまいたい人、永代にわたって供養・読経を願う人、…なんだか自分の我の強い夢に捕らわれているのが現代人ではないでしょうか。

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 「さよ、いるか」で注目する点は3つ。
① 仏壇に置く、のではなく、「仏壇の下」(おそらく引出しの中)に隠して置いたこと。これはすばらしい。
② 魂はほとけさんの世界に返し、なんまんだぶと。遺骨は墓(土)に埋める―ときちんと分けていること。
③ 毎月さよはお墓に行ったが、お経を上げたのではなく、「ああ、いるよ」と言ってやった、ということ。ここになぜか知らん、ユーモアがありますね。
 故人の執着に対し、あたたかく包み込んだような。双方とも満足だろうなと思わせます。

 この朗読に続いて、永代納骨堂のうさんくささについて、具体的にお話をしたのですが、皆さんあまり関心が無さそうでしたので、動画ではすべてカットしました。 
 その内容については、【寺報 №170 永代ご供養の墓 】 をご再読ください。

これをチョンと押して⇒ひまわり法話 「さよ、いるか」 をお聞きください。
または、ここで



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住職のじっくり法話 『ただの人』

 9月24日(月・祝日)午後から、揖斐川の川向こう、神戸町(ごうどちょう)西保(にしほ)という所の、正願寺(しょうがんじ)さまの永代経彼岸会法要に行きました。
 めずらしく、よそのお寺に法話によばれたのです。りっぱなご本堂のお寺でした。
 常々グループホームでゆっくり話しているからでしょうか、ここでもじっくり考え考え話しました。

改 おつとめの様子_convert_20180927215232

 親鸞聖人というかたのお書物をずっと、30年も読んで来て、どんな人物像が私の心に描かれたかを、皆さんに告白するような気持でお話しました。
 ものすごくたどたどしいですし、キワドイのですが、しかし「これが私のはなしというものです。」と思っています。
 また「仏法といっても、ここまでしかたどり着けませんでした。」という感慨もあります。

改 前半 おはなし_convert_20180927215254

 当日の録画を発表します。くりかえし、あなたにもじっくり聞き込んでもらえたら、有難いです。
 あとから見ると、その日の参詣のみなさんがじつに温かく、鋭敏に私をよく受け入れて下さったものだと、感動しました。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ

YouTube でご覧になるなら、「浄勝寺」で検索してみてください。

または右をクリック。⇒正願寺彼岸会法話 ただの人 上




 もちろん後半 (下) もあります。



こちらです。⇒正願寺彼岸会法話 ただの人 下

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動画でおさらい・秦先生のおはなし

 お彼岸会の参詣者のみなさんにお礼状を作るために、秦先生のおはなしを聞き直して、再びメモを取っていましたら、ふっと気がついたことがありました。

 先生ご自身のお言葉でははっきりしないのですが、なんとなく大きなメッセージが自分の心に伝わってきたのです。それで、少しばかり作文をしてまとめてみましたのが、前の記事に上げた「お礼状」です。

 とすると、わたし自身が心で聞いた内容と、先生のお話とのちょっとした差・ズレがほんとうにあるのか無いのか、皆さんご自身で確かめることが出来るようにしておけたら、皆さんのためにもなるかも知れないと考えました。

 午前の部の休憩後の、終りがけ10分だけです。ここの部分だけの録音をもういちど聞きながら、味わい直してみませんか。



YouTube で見る。クリック秦先生のおはなし 川柳 

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