易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

盂蘭盆会の講演「認知症を知ろう!」

 8月の16日、お盆がすむまでは命にかかわるような暑さでした。おたがい、なんとか生き延びましたね。

 浄勝寺の盂蘭盆法要(うらぼん)は17日午前に、お盆をしめくくるような気持ちで勤めました。

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   講演の田中先生撮影
 奇跡のようにさわやかな秋風が本堂を吹きわたる中で、みんなで大きな声でお正信偈をよみました。

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 いつもとちがって法話ではなく、仏教精神の実践ともいえるような活動をこころみておられる、グループホームの施設長さんの講演を聞きました。

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 わたしの方も初めて、田中先生の方もお寺のお座には不慣れのようで、どうなるのかと心配していたのですが、まったくの杞憂(きゆう)。たいへんリラックスして、興味深い「認知症のはなし」を聞くことができました。

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 物忘れと認知症とのちがいからはじめて、いろんなケース、生活上の注意点など、具体的ですぐ役に立つ内容満載だったと思います。
 印象的だったのは、コミュニケーションの重要さ、人とのかかわりの場所を大切にしなければならないことでした。昔からつづくお寺のお参りのようなことも、「大事にしてください」とのことでした。
 わたしたち門徒が当たり前にして来た仏事にも、先祖の深い「智慧」が埋め込まれていたようです。

寸劇のようす vlcsnap-2018-08-18-11h26m04s076_convert_20180818194732

 1時間強のご講演の中で、お参りの方も参加しての寸劇(すんげき)3つを、動画にまとめてみました。不慣れな住職のビデオですから、見づらいでしょうが、ご勘弁を。

 押せば見れます⇒認知症を知ろう! 寸劇篇


 

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寺報169 この歳になって、一人前になれたか

寺報表紙
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【住 職 法 話】 いちにんまえになる

  五十五年ぶりの同窓会


 本年五月、地元の中学校のときの「古希(こき)同窓会」に出席しました。数(かぞ)え年で七十歳のことを古希(こき)というそうですから、わたしもうまく行けば来年は古希(こき)になるわけです。
 しかし一年早く開かれたのには事情があり、「つぎつぎと亡(な)くなる同級生が出てきたので、一年くり上げて開こう」という幹事(かんじ)さんたちの、繊細(せんさい)でユニークな心配からでした。

 中学校の同窓会は、これまでなんどか開かれていましたが、ずっと欠席していました。今回は皆(みな)さんとこの世で会える、もう最後の機会(きかい)かも知れないと考(かんが)えて、出席することにしたのです。
 それにしてもわたしにとっては、約五十五年ぶりで会う同級生ということになります。……お互い人相(にんそう)も変ってしまったお恥ずかしい身で、いったい何を話していいのやら見当も付きませんが、度胸(どきょう)を決めて流れに身をまかせることにしました。
 会場は座席作りに工夫がこらされ、たっぷりの食事の手配、出席者の大きな名札など、至(いた)れり尽(つ)くせりの準備がしてあり、にぎやかなうちに、アッという間の二時間を過ごせました。

  やっと認めてもらえた

 同窓会を繰(く)り上げることになった原因の、亡(な)くなられた旧友の数は、すでに二十四名(全員約二百七十名)でした。後(あと)に残ったわたしたちも、いわば暗(くら)い海の上に漂(ただよ)う仲間どうしで、我(われ)や先(さき)他人(ひと)や先(さき)と、いつ沈んで行くのか分りません…こうなっては、お懐(なつ)かしい仲間だという気もします。
 当日の会場ではその物故者(ぶっこしゃ)をしのんで黙(もく)とうの時間がありました。わたしは内心、(昔と時代が違(ちが)うから、お経を上げたりなんまんだぶを称(とな)えたりするのは、皆さん抵抗があるのかな?)と、なんとなくさびしい思いがしました。

 しかし後日持たれた幹事さんたちの反省会では、「黙(もく)とう…あれでは物足りない。」という意見が出たようです。
 そこであらためて相談がまとまり、有志でお寺の本堂へ行って「物故者(ぶっこしゃ)の追悼(ついとう)法要」のお参りがしたい。わたしにお経(きょう)を上げてもらおう、という流れになったのだそうです。堂々として力強い考えです。

 とてもうれしかったですね。同級生のムラカミ君ということだけではなく、「ごえんさん」としてやっと一人前(いちにんまえ)に認めてもらえたような気がしたからです。

  山門(さんもん)からが、入れない

 追弔会(ついちょうえ)の当日も朝から激しい暑さでしたが、時間が来ると山門(さんもん)のところで数人が寄り集まっておられるだけで、呼んでもなかなか本堂(ほんどう)まで来てもらえません。 

 わたしは自分が三十代の頃のことを思い出していました。門徒(もんと)さんにお参りしてもらう前に、自分がよそのお寺に上がってお参りする体験をしておこうと努力していたころです。禅宗(ぜんしゅう)のお寺、お東(ひがし)のお寺、他県(たけん)のお寺…やはり抵抗(ていこう)がありましたね。しかし仏法(ぶっぽう)は、テレビや録音テープ、今ですとユーチューブを開(ひら)いて、聞けばいいものではありません。お参りに出かけて、その先生の話を生(なま)で聞くことがとても大事(だいじ)なのです。お寺に参(まい)るのは「真剣勝負だ」と感じました。

 しかし山門のところで人溜(だま)りができている間に、後(あと)から来られた女性がおひとり、スッスッと本堂まで来られて、階段の下で挨拶(あいさつ)をしてくださったのです。(この子、あかぬけたなぁ)と思いました。門のところでモジモジしておられた遠慮深い皆さんと、何かが違(ちが)うようです。

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 お寺に参って、一人前になろう    

 お参りの後のわたしの挨拶です。「わたしの神通力(じんつうりき)でみなさんのお気持ちに入りこんでみて分ったのですが、おしゃべり組の皆(みな)さんは、失礼ながら、よそのお寺にお参りした経験のないかた。
 サッと上がられたかたは、ご自分の師匠寺(ししょうじ)のお世話で苦労されたそうですが、お寺になんども参られるという、その御苦労のおかげでああいう行動がとれるようになられたのではないでしょうか。

 ひとりでも、サッと本堂へ上がれるというのが、お寺参りの功徳(くどく)ですよ。他人(ひと)の目を気にせず自信を持って動けるようになる。それが本当の意味で一人前(いちにんまえ)になるということ。これが人生の目標なのです。
 サッとお浄土(じょうど)に行けるというのも、これまたお参りの功徳なんですよ。」と。なんまんだぶ、なんまんだぶつ…。  
  【平成三十年八月九日 浄勝寺住職・村上敏喜 拝記】

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8月:お花も、水が欲しい…と

 雨続きだった6月とはうって変わって、7月になってからは、かんかん照りの猛暑。
 気温「日本一」ってことは、ひょっとして沖縄よりも、鹿児島よりも暑い、毎日41度近い岐阜だってことなんですね。信じられません。

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 おんさい広場で買ってこられて活けてくださいました。相羽のN さん宅おじょうはんです。
 秋の風が運ばれそうな、おみなえしの黄色が目を引きます。白い百日草、白い菊、白いりんどうなのでしょうか。
 黄色の小さい花は、分らずじまいでした。

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 これは造花か?と思いましたが、ミニヒマワリでした。川遊びか鵜飼の画が懸って、季節にマッチしていました。

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 「庭に咲いとるもんばっか。」とおっしゃる M さんですが、これだけ咲いとりゃオンの字ですぞ!
 いよいよ8月、百日草のグラデーションが美しいお仏花でした。

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 すべてが、とても新鮮なお花を使ってある気がします。高野マキ、百日草、キクイモモドキですね。左右の大きい葉っぱは、聞き洩らしました。
 鬼灯―って変換されるんですね、(ほおずき)は。虫に食われていない、きれいな鬼灯でした。相羽の Y さん宅おじょうはんです。

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 今月はここの、床の間のお花が印象的でした。ほおずきの見事なこと。左の方はキンカンの白い花と、キンカンの残りの実でした。
 懸け軸の画にも注意が払われて、暑い夏の朝もやのように見えます。

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 ヤバネススキは暑い夏にぴったりのさわやかさです。赤いアスターも、お盆のころの夏の花ですね。お久しぶり…。
 黄色の丈夫そうな花は、名前がわからないまま育てておられるそうです。便利そうな花ですね。相羽のA さん宅おじょうはんでした。

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 ここらで、ちょいと一休憩。お寺の渡り廊下に活けた桔梗です。キキョウも丈夫な花ですよ。

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 8月に入ると、高砂ユリが咲き始めます。高野マキ、赤い千日紅。
 黄色の花は葉っぱで判別して、マリーゴールドでしょうね。もちろん百日草も入っています。相羽の K さん宅のおじょうはんです。

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 こちらは陰膳のように、お内仏の外でお供えされる花。花材はお内仏と同じですが、花形の印象がまるでちがいます。どうしてかな? と考えています。

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 夏菊、千日紅、スターチス(花浜匙(はなはまさじ))等おなじみの物ですが、初雪草が全体の印象を強くしているように思いました。お盆の、何もないときにも、葉っぱでものを言ってくれる、強い花です。
 配置がむつかしいおみなえしが、意外にも低いところで使われていました。ずいぶん考えられたのだろうなぁと感心しました。下方の S さん宅でのおじょうはんです。

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 連日ものすごく暑くて苦しい夏です。夜も高温で、お花の勢いが持ちませんね。床の間は、ややうす暗いので色がきれいに出ないようです。
 すぐにお盆です。みなさんお大事に。

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こわい体験…ありませんか?

 7月24日(火)は、ひまわり法話で谷汲に出かけました。午後2時からですから、聞く方にとってもキツイ時間です。
 さんざん内容を考えて、「私が体験した、こわい話」にしました。邪道でもかまわないことにします。

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 思ったより多くのかたが耳を傾けてくださいました。

①小学生のときの体験。アンデルセン童話集『人魚姫』に描かれていた、挿し絵のこわかったこと。冬のできごと。
②中学生の夏、蚊帳(かや)の中で寝ていて、とんでもない目にあったはなし。
③高校3年生の秋、一日だけ記憶喪失になったこと。もう51年前です。
 皆さんからも、「こわかった体験」を聞きたかったですが…。わが人生をふり返ってみてください。

 おまけとして、芸術家の赤瀬川原平のリポートした、「エントツ男」のご紹介もしました。
 東京の再開発で、取り壊されることになっていた風呂屋のエントツが残っていました。お風呂屋さんの建物はすでに撤去済み。

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 離れたところから見ると、そのあたりの様子がわかります。

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 錆びついた昇降階段が残っていました。

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 ある青年(学生)が写真を持って来たのだそうです。

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 うひゃー、ですよね。そしたら、

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 こんなことも、してみたのだそうです。両足で立って、一眼レフカメラを胸のあたりで構えて、魚眼レンズで自撮り。
 ところが次もあったのですね…。

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 一脚にカメラをねじ込んで、何もつかまらずに、セルフタイマーで撮影したのが、飯村氏でした。(『超芸術トマソン (ちくま文庫)』)
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 さて、こわい体験で、記憶喪失のが私にとっては深刻でした。「じぶんが帰る家がわからない…」「親がどこにいるのか、思い出せない…」「ここは、どこなんだろう?」

 目連尊者の“親捜し”の話と、通じるところがあるでしょう? 神通力第一といわれた目連尊者ですが、その力をもってしても餓鬼の親を救えなかった。
 それを救うアドバイスをしたお釈迦様の神通力は、もう一枚上だったと考えられます。

 このアドバイスにとどめたというところが、お釈迦さまの自然で、すごいところです。オウム真理教などの教祖だったら、ハッキリした答を与え、短い命令を下すでしょう。

 命令されるのが好きな、おかしな生物が人間(大衆)だと思います。答を固定し、求めるのは、下品なことです。オウムに入った“優秀な”人たちといわれますが、優秀と下品は、けっこう共立するのです。
 人間は、学校の勉強ができても、会社で間に合っても、エライさまに出世しても、もともとが下品な生き物です。親鸞聖人から、私はそのように教えていただいています。仏教というレッスンを受けなければなりません。

 ユーチューブでどうぞ。⇒ひまわり法話 7月


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中学校の同窓会の波紋

  7月31日(火)午前10時半から、本堂で中学校同窓生の物故者追悼法要をいたしました。初めてのことです。
 同窓会の幹事さんがたが7人も、お参りしてくださいました。うれしかったです。

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 庫裡の玄関のお花を朝早くから立てて用意しました。オミナエシの花です。よく見てほしいのは下のほうの、船頭さんのかわいい折り紙。じつは、出席出来なかった i 幹事さんが、事前に持って来てくださったものです。今の季節にぴったりでしょう。

 さて、わたしの神通力で見たところ、山門のあたりでしばらくお話しなさっておられたのは、よそのお寺にお参りに行ったことのない方たち。
 (私もよそのお寺に行って、居りづらいなかでお参りした経験がたくさんあるから、わかるんです。)
 ひとりでもスッと本堂に来られて、サッサと挨拶ができた女性は、よそのお寺に参った経験(苦労)のあるお方とお見受けしました。あかぬけておられますね!
 仏教はあかぬけるレッスンの教えです。またほんとうの意味で、一人前の人間になれる、自信がつく宗教です。
 でも、こうしてよそのお寺に暑い中にもかかわらず、お参りされた皆さんのすなおさは、すばらしいものがあります。
 同級生のムラカミ君ではなくて、お坊さんの村上として認めて本堂に坐ってくださったのは、よくよくのご因縁なのでしょう。

 お別れに、こちらが頼みもしないのにスマホを出して、ラインつながりになってくださったお二人の、こだわりの無い態度にも驚きました。「また会ってみたい。また話がしたい」という気持が、人間の温かみというものです。

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 暑い日盛りの中を、ようこそおいでくださいました。24名の物故者に代って!お礼申し上げます。
 

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