易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

お取越しのなか、歎異抄に会う

 みなさんの家の仏様に年に一度のごあいさつに行くような気持のお取越しは、いよいよ相羽、下方というご近所に入ってまいりました。

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(12月4日の浄勝寺の境内です。今年の紅葉はきれいでした。)

 前回のつづきです。

鬼ゆず由利子 DSCF4120_convert_20181212210531

 鬼ゆず、または獅子柚子(ししゆず)といわれる、存在感たっぷりの観賞用のユズです。ほんとうはブンタンの仲間らしいです。
 相羽のY さん宅のおじょうはんでお目にかかりました。

改 了生 IMG_20181128_082552_convert_20181212210637

 南領家 R さん宅お取越し。唐がね(銅)の花入れに咲いていたのはミニヒマワリだそうです。12月になったというのに!

改 歎異抄第2章 IMG_20181128_085323_convert_20181212210649

 南領家の T さん宅お取越し、親鸞聖人のおことばが軸装で懸けてありました。
 ご存知『歎異抄』の第2章です。毎月の【れんげ会】で一年間かかって読みこんできた、第2章です。

  信仰に迷い・ためらいが生じてしまった御弟子たちは意を決して、、関東から徒歩ではるばると京都まで、親鸞聖人のもとを訪ねて来られました。
 裂帛(れっぱく)の気合をこめて、聖人はお答えになられる、すばらしい場面です。

 「あなたがたはたしかに、十いくつも国境(くにざかい)を踏み越えて、命がけの旅をしてこられたことは尊い。
 それはひとことで申せば、往生極楽の道を聞きたいということに尽きるようである。」に始まって、
 「私においては、ただ念仏して弥陀に助けられるのがいちばん良いと、善き人のおことばを受け取ることよりほかに、何も特別な道があるのではないと、信じているのだ。」と展開して行かれた問答です。

 しかし【弥陀に助けられる】という内実が、問題なのでした。

 お弟子たちが【死んでゆく先】の極楽に関心を集中して寄せているのに対して、聖人は【助けられている現在のありがたさ】が往生にも自然とつながっているのだという確信を語っておられると、私は読むようになりました。

 それは、現世利益和讃(げんぜりやくわさん)と付き合せて読んでみるとわかります。たとえば
 「無碍光仏のひかりには
  無数の阿弥陀ましまして
  化仏おのおのことごとく――阿弥陀さまが変身なさったような感じで、いろんな人が、いろんな形で
  真実信心をまもるなり――失われそうな、わたしのまごころを、守っていて下さる。」

 われわれの目に見える物・人の後ろに、その人を通して、かすかにでも仏様を拝めるようになるということが、無碍光(さわりなき、ひかり)を知ることだというのでしょう。
 見ることが出来るというのが、助けられているという実感を生むのだと思います。
 信心とは、おのれの見るべきことが十分見れた、という満足感であると、最近のわたしは考えています。なんまんだぶつ、なんまんだぶつ…。

改 信夫宅 玉日姫 IMG_20181129_102417_convert_20181212210734

 さて、これは大野町古川の N さん宅でのご法事に見つけた、当家のお仏壇の蒔絵です。
 おそらく、月輪殿兼実公(つきのわどの・かねざねこう)が法然聖人にご相談なさって、親鸞聖人を妻帯の身にしてみようと、娘の玉日姫のことを話しておられる場面だと思います。聖人29歳ころです。

改 敏雄 アメリカ南天_クレマティスIMG_20181204_095406_convert_20181212210817

 相羽のT さん宅でのお取越し。これはまためずらしいお花、また奥様も生け花のけいこをなさったことのあるかたと、お見受けしました。
 紅葉して柔らかな曲線を形作っているのがアメリカ岩ナンテン、白い花はクレマティスなんだそうです。クレマティスといったらテッセンしか知らないので、驚きました。

改 賢一お取越し DSCF4159_convert_20181212210844

 相羽でのお取越しは K さん宅。淡いピンクの八重の菊が可愛らしいですね。柿の出荷が忙しい時季のお花の丹精は大変だと思います。

改 西相羽克己 下掛け IMG_20181205_105336_convert_20181212210900
 
 同じ地区の A さん宅お取越しです。
 お参りに行くとときどき、「下掛け、ってなに?」とおたずねになる方があります。これです、緑の四角い布の飾り。色やガラは各種お好みで。
 ここのは、きっと着物を染め直して仕立てられたものでしょう。ソフトな感じです。お打ち敷きの下にかけるものです。三角のお打ち敷きだけよりも、厳粛さが増すでしょう?

改 平田勝美妻83歳 IMG_20181206_105139_convert_20181212210939

 当年とって93歳になられる 相羽の Hさんが立ててくださった床の間のお花です。

改 枇杷の花 IMG_20181206_101916_convert_20181212210926

 お寺の庫裡玄関に用意した花は、枇杷の花を使ってみました。いけ花展で枇杷の花を使ってあったので、(私もやってみよう)と刺激されたのでした。

改 きぬ子 IMG_20181207_103013_convert_20181212211322

 下方の K さん宅でのお取越し。お名号は老僧が50歳代のときのものですね。お花が掛け軸の正面をさけて置かれているので、ほっとしました。
 お花を掛物の正面にデンとすえる方が多いのですが、ほんとうはそれは……なんです。

改 善美宅漁夫の利 IMG_20181207_105546_convert_20181212211336

 黒野のY さん宅お取越し、部屋の隅にあったいかにも珍しい屏風です。漁夫と樵夫がなにか話していますね。

改 おつとめの場所 IMG_20181207_112108_convert_20181212211309

 同家のお内仏は脇をご注目。お孫さん用のお菓子が山積みでした。「ちゃんと仏さまからもらう」という教育なのでしょうか。それにしてもてんこ盛りで、お菓子置き場?です。

改 準司姉 丸葉ユーカリ  IMG_20181209_114949_convert_20181212211359

 下方の J さん宅でのご法事。床の間の花はお姉さまが立ててくださったそうです。
 右手のおもしろい丸い葉がユーカリなんだとか。畑にあったそうです。
 お花は軸に対して、こういうふうに横に配置して、その文字・文句を讃えているのが、ほんとうなのです。

改 秀成さん宅 DSCF4165_convert_20181212211448

 相羽で H さん宅のお取越し。チューリップかなと思いましたが、バラでした。温かみのある、黄の小菊ですね。

改 幸雄総代宅 IMG_20181211_095435_convert_20181212211554

 下方の Y さん宅のお取越し。その日はおられませんでしたが、娘さんが用意してくださったお花です。家族のつながり、が感じられたお花でした。

改 幸雄宅 IMG_20181211_095512_convert_20181212211608

 同家のお内仏の蒔絵です。左手の松の枝、幹に白く雪が掛かっていますね。
 ちょっとわかりにくいかも知れませんが、おそらくは雪の中で石を枕にお念仏されていたら、日野左衛門(ひのざえもん)が出て来てうんぬん、という伝説の場面でしょう。
 
 翌日にお参りした、相羽の O さん宅の掛け軸は、そこをわかりやすく描いてありました。

改 青木宅 DSCF4167_convert_20181214195017

 聖人が44歳のころ、常陸の国(茨城県)でご布教されておられたとき、真冬の日が暮れて雪が激しく、一夜の宿を求められたところ、主人の日野左衛門はむべなく断り、とうとう門前の石を枕にして一夜を過ごさねばならなくなった。
 お念仏を称えつつ、3人で寒さに耐えていたが、日野左衛門は夢にある声を聞いた。「あれはただの僧とはちがうぞ。すぐ起きて大切にもてなしをせよ。」―うんぬん。

 もっとわかりやすいのは、愛知県日進市にある、五色園の有名なコンクリート彫刻でしょう。

改 五色園 日野左衛門門前石枕_convert_20181214203837

 あまりの好天の下で写してある写真なので、寒い夜の雰囲気はありませんが…。

改 玄関の DSCF4172_convert_20181212211537

 はい、私も秋の花を活けてみました。菊も終りです。小さなユリは今ごろ咲いたのでした。

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 相羽の H さん宅でのお取越しです。
 あまりにもきちんとパーフェクトに整えてありましたので、お手本の図に作ってみました。

 12月は中旬までの、お取越しでのみなさんとの出遭いでした。以上です。


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わたしのゆく所

法語12月 DSCF4161_convert_20181205152818


「父上のおわす御国みくに

母上も また往きたも

われも往かばや」

こういう心情が味わえるといいですね。


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この歌を詠んだのは北陸の有名な僧侶です。わたしはその方がニガテなのですが、歌の心情はよくひびいてきます。

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お寺に来る子の直観力が、頼もしい

 朝が寒くなりました。

 それでもちゃんと朝8時にはお寺に来てくれる子どもがいて、その子たちのたましい・直観力が、頼もしいです。
 どうか鋭敏で、くまなくこの世を観察できる眼力が、どの子にも育ちますように!

改 ふうせん IMG_20181125_083553_convert_20181128193344

 11月25日 の日曜学校は、お正信偈のけいこの後、ゴム風船バレーで遊びました。
 小6が2名、小4、小2、7年生(おとな)1名、オジサン、オバサンですから合計7人もいました。
 おとなにとっては、子どもたちに遊んでもらった、フーフーという体感です。
 9時には終了し、お菓子を配ってさようなら、でした。

 さて来週はどんな顔ぶれになるかな。

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お取越しでのおもてなし

 おとりこしの真っ最中が続いています。いよいよ大野町に入りました。

改 脩司氏11月 DSCF3908_convert_20181109151301

 下方のおじょうはん、Sさん宅です。
 品のいい濃い紫の小菊は、とくに奥様がお好きな花のように見受けられました。実物はもっと濃い色です。
 それにしても、よくこんなにたくさんのお花が活けてあります。

改 脩司氏 床の間 DSCF3910_convert_20181109151247

 同家の床の間です。かなり大ぶりの青銅の花器です。重いので、持ってくるのがいつも大変だろうなと想像します。

改 澤弘子 IMG_20181106_114637_convert_20181123213220

 黒野の H さん宅のお取越しです。こちらの方もお花がとてもお好きで、よく世話をなさいます。
 「今年は台風がひどくて、めちゃめちゃになってしまいました。」と残念がっておられました。
 そのわりには千日紅など、弱そうな花もちゃんとそろっていました。

改 澤弘子 床の間 IMG_20181106_111734_convert_20181123213326

 同家の床の間です。曲がってしまった菊もおもしろく使われています。なんといってもモダンな白い花器が印象的ですね。

改 芳男たく縁側 IMG_20181108_091836_convert_20181123213414

 古川地区のお取越しです。入室する縁側には手水(ちょうず)が、手をきよめて下さいと置かれています。昔の人のていねいなおもてなしの心が、今も伝わっていました。ありがとう。

改 芳男君の花 IMG_20181108_092238_convert_20181123213426

 驚いてはいけませんよ。わたしはびっくり、ドギマギして、思わず目をそらしてしまいました。
 うかがえば、当家の O さんは「雪舟の描いた唐獅子です。」と笑って、「もちろんにせものですよ」と答えられたのでようやく安心しました。
 「偽物なんですが、たまには虫干しもしないといけませんので。」と落ち着いておられました。
 しかし次に、「亡父が雪舟の絵だと言われて買ったもの」と聞いて、またびっくり、たまげました!
 次の絵をごらんになってください。

曽我蕭白

 ちょっと似ているでしょう? これは雪舟から300年ほど後の、江戸時代中期の曽我蕭白(そが・しょうはく)という、強烈な画風の画家が描いた獅子なんです。
 松阪市のお寺にあるはずです。有名なんですよ。お父さんがこのブログを読んでいて下さったらなぁ。
 ほんとうに無茶苦茶な売り込みをする骨董屋に、お父さんはつかまったんですね。なんまんだぶつ…

改 古川茂樹宅 IMG_20181107_091719_convert_20181123213349

 同じ地区の S さん宅でのお取越し。
 奥様がアレンジメント風に飾られました床の間です。ちょっと宝船のムードですね。

改 大野超子 IMG_20181107_110604_convert_20181123213401

 古川の C さん宅お取越し。多忙な勤務のあいだをぬって、奥様が飾ってくださいました。
 掛け軸は、辯栄上人のお名号です。クセはあるけど、いやみの無い書法で書いてあります。いいですね。
 お花は本格的な、厳正な花器である薄ばたに活けられてありました。花台もまた重厚です。

改 美根子 IMG_20181109_100054_convert_20181123213447

 黒野地区の M さん宅でのおじょうはんです。
 お軸は明治13年云々とありますが、いいムードの温かい墨の色ですね。
 りっぱな高野マキが使ってありましたが、「お隣からいただいたもの」だそうです。
 しかし、こうやってお取越しを勤めて、お寺さんを招くということがご縁となって、お隣さんとの交際が生れるというのは、すばらしいと思いました。

改 加代子さん DSCF3917_convert_20181123213513

 相羽のM さん宅のおじょうはん。おじょうはんを勤めていただけると有難いです。こちらも緊張せずに、フランクにものが言えます。
 こまかい白菊があふれるようで可愛かったです。

改 豊明宅 法事 IMG_20181114_095229_convert_20181123213637

 北方の T さん宅ご法事です。娘の時代に2年間ほど則天門(そくてんもん)の華道をけいこされただけあって、どことなく品が良いお花です。
 瓶もはででなく、使いやすそうなものが選ばれていました。
 ちょっと変わった書風の字でしたので、お尋ねすると「中国から来られた曹さんというかたに書いてもらったと聞いておりますだけで…」。なるほど。

改 三鶴_IMG_20181114_112010_convert_20181123213708

 相羽でのお取越し。おめでたい尽くしの絵に、とても珍しい造花のバスケットがー。好みは色々ですね。

改 孜 IMG_20181115_083139_convert_20181123213817

 見延のお取越しは T さん宅で。以前に美濃遠州流【華道 「遠州流」美濃】を習っておられた奥様が床の間を飾ってくださいました。
 敷き板も花台もお持ちでした。心そそられる、斑(ふ)入りのつわぶきでした。

改 新旧の比較 MG_20181115_135551_convert_20181123213846

 同じ地区内の御本尊、阿弥陀如来さまの絵像の比較です。
 同じ大きさのお内仏ですが、どちらも本山から受けられた絵像ですが、その印象がだいぶ違うように感じるのは、私だけでしょうか?
 お寺や本山の姿勢は、なるだけ変ってほしくないですね。

改 松本一純 IMG_20181119_095441_convert_20181123213911

 黒野の M さん宅お取越しです。「台風でカヤッテしまった、ハナミズキの木を利用しました」とか。軸は観音様のようでした。

改 大野輔助 IMG_20181120_102908_convert_20181123213923

 黒野の Y さん宅でのお取越し。庭先の花が、うまくまとめてありました。
 ちょっとお行儀の悪そうなのは、ハーブの一種かな。

改 大野裕子 IMG_20181117_085417_convert_20181123213941

 いいですね、秋の定番の花、ニシキギ。可憐な小菊を添えて、鶴首の花器に活けてあります。
 お軸は先代の当主の書かれた「吾、唯、足るを、知る。」京都の龍安寺には、「 知足の蹲踞つくばい」というものも有るようです。
 人間が描く、ひとつの理想概念です。
 黒野の U さん宅お取越しでした。

改 池坊 DSCF4110_convert_20181123214031

 黒野のH さん宅でのお取越しです。
 色紙懸けには、先年お配りした、別院寄付の記念品。親鸞聖人直筆の正信偈の複製がうまく飾られていました。
 お花は池坊教授のお嫁さんが庭にあるもので立てておいてくださったのでした。
 残念なことに、午前の強い光線が挿しこんでいて、カメラの調節がうまく出来ませんでした。
 若い時なら、瞬間に明るい所の照度を計って、なんとか色が飛ばないように引き算をしたのに、もうそれが「めんどくさい…」という気持が、その時起きたのです。
 これが脳内での老化という現象だと思います。ショックでした。(オヨメサン、ごめんなさい。)

改 大野美代子お仏花 DSCF4111_convert_20181123214009

 で、お内仏のお花がこれでした。すごいですね、この“仏花的な”華麗さ。もちろん左右一対、これが並んでいたのです。
 大きなケイトウ、孔雀アスター、野紺菊、マリーゴールド、百日草、小菊のつぼみ、でしょうか。80代の女性、美パワーおそるべし!

改 11月高橋さん IMG_20181122_085122_convert_20181123214102

 相羽のおじょうはん、N さん宅。
 「今年は早くも南天の実が付いてしまって…」と言っておられましたが、わが家もその通り。はたしてお正月にはあるのかしら。

改 お茶の葉 DSCF4115_convert_20181123214152

 強く、華麗に立ててあるのは、相羽のおじょうはんで M さん宅。
 その強い感じは、お茶の木、葉、花という花材のせいではないでしょうか。
 緑が多いのですが、たいへんな工夫が成されていると感じ入りました。 

 今回は以上です。最後までよくお付き合いくださいました。なんまんだぶつ

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ネマキすがたの親鸞聖人

 このブログでも以前にご紹介しました、お取越しでおなじみの掛け軸があります。先日も黒野のTさん宅のお座敷で見かけました。

改 敏克 IMG_20181112_102150_convert_20181120201923

 私がお内仏の前にすわって、そこの床の間を見た光景です。表装はちがいますが、浄勝寺にも同じ物があります。

改 弁念懺悔 IMG_20181114_123757_convert_20181120201847

 これは複製、印刷物です。寺にあるものは、遠方の法友のおばあさんから昔に頂いた印刷画を、表装したものです。
 それには『絵に添えて・弁念懺悔さんげの図』という解説が付いていました。
 今まで読んでいなかったのですが、今回はきちんと読んでみました。
 とても楽しい解説ですから、できれば声に出して読んでみてください

「 建暦けんりゃく二年の春、宗祖聖人しゅうそしょうにん稲田に草庵を結ばせられて以来、筑波、鹿島の御化導ごけどうや、石岡国分寺の一切蔵経いっさいぞうきょうのご研鑽に、日もこれ足らざる御有様にて、常に板敷山いたじきやまの深山しんざんを往返おうへんし給う。

 板敷山いたじきやまの修験者しゅげんじゃ・播磨房弁念はりまぼう・べんねんは、聖人のご化導が日増しに盛んになり、自己の勢力の次第に衰うるを嘆きかつ怒り、親鸞を亡きものにせんかなとて、往返し給う折りふし、待伏せしてしばしばこれを犯さんと企くわだてしが、いろいろの不思議あってついに目的を達せざりしと云う。(『御伝鈔ごでんしょう』に、つらつら事のシンシを案ずるに、とあるは弁念のこの失敗を仰せられたのである。)

 かくては果てじ、と弁念は意を決してご草庵に聖人の寝込みを襲い、ただ一撃ひとうちに打ちまいらせんとて、勢い凄まじくやって来たのである。

 御弟子方の立ち騒ぐ中を、聖人は御寝巻のままただ御一人立ち出でたまいて、仰せらるるよう、
「音に聞く播摩房とは御身おんみのことにそうらえしか。今日むさくるしき草庵に、この親鸞をお訪ねくだされ、千万せんばんかたじけなし。」
と、いとねんごろにご挨拶を述べたまいけるに、怒れる弁念ハッタと睨みて尊顔を見奉れば、アーラ勿体もったいなや、御ン顔は慈悲円満の相を現わし、悠揚ゆうよう迫らぬご態度は、如来の御再現にましまさずやと、己が眼まなこを疑うばかりなり。

 弁念、始めの勢いはどこへやら、眼を閉じ頭こうべを垂れて、やがて大地にガバと打ち伏し、号泣して申さるるよう、
「嗚呼ああ、われ過あやまてり、過てり。かくも尊きご僧侶を今まで恨み給いしことの愚かさよ。いざ、われを御弟子のうちに加えたまえ。教えを下したまわれかし。弁念悔悟の心底しんてい、ご覧そうらえ。」とて、
所持の弓を折り、太刀を棄てて、哀訴涕泣あいそていきゅうしたりければ、聖人深く御憐れみあそばされ、明法房証信みょうほうぼう・しょうしんと法名を給いけり。

弁念深く喜びて、ついに無二の信者となられしという。

弁念のちの歌に、
山も山 道も昔に変らねど 変り果てたる 我がこころかな」と。

 この絵は、当時目撃せし御弟子の写実によるもの、その真相を写せし無二むにの法宝なり。
 700年の今日、怨みに燃えし弁念のすがたは、わたしでなかったかと気付かしてもらい、怨みとなりし弓矢も、今は投げ捨てて、西に入るさの山の端の月と、光風霽月こうふう-せいげつの明法房たり得れば、幸いである。

茨城県笠間市稲田町 稲田本山 宗祖御遠忌事務所 記念品係

 どうでしたか? まるで漢字のテストを受けているような気分でしょう? 
 これは戦前の文章でしょうね。お芝居の脚本のように、臨場感があります。

 じっさい、この若い明法房は聖人が80歳ころ、先だって亡くなられました。親鸞聖人は「彼が往生したそうで、まことにめでたい。うれしくてならない」とおっしゃっておられました。
 信心の世界に入った人間には、死の後にももっと自由な世界が待っています。

 この解説のおかげで、わたしは(へんなカッコウの親鸞聖人だなぁ)と思っていた疑問が解けました。

改 れんげ会11月 IMG_20181114_123913_convert_20181120201835《本堂小座敷にて》

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