易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

3月28日(土) 午後3時 6年生の卒業お祝いに ピザパーティー

 本年最後のにちよう学校は、6年生ふたりをお祝いして、ミニピザ・パーティーをしてみました。最後まで続いたのは二人でしたが、3人が集まりました?!
 本堂で6年生に十二礼のおつとめ、お導師をしてもらってから、台所でミニピザを作って3枚、4枚と食べました。
 ビンゴゲームで終わりとしましたが、「缶けりをやりたい」という熱意に負けて、大勢で缶けり遊びをしました。缶けりは鬼になるのが難しいのです。子どもたちにも、手加減ということを覚えてもらいたいものです。6時に解散。


    改 卒業おめでとう DSCF0199_convert_20150329085941


PageTop

春彼岸 永代経法要 執行

 3月20日、春のお彼岸に永代経をつとめました。よい天気にめぐまれ、たくさんお参りしてもらえました。用具を補修して、ちょうちんを掛けてみました。

   改 全景 DSCF0107_convert_20150323213217

 花の材料がない季節です。沈丁花と椿しか境内にありません。ほとんど買ってきました。はずかしながら、法名軸の前の仏花です。

   改 仏花法名軸 DSCF0095_convert_20150323211930

 渡辺先生のおはなしは、わたしたちの生きている時代というものを、教えてもらえる気がします。安心できますね。
 ちょうどこの日は、母・前坊守の二十三回忌命日でした。享年68歳。感無量でした。ナモアミダブツ



   改 おまいり全景 DSCF0108_convert_20150323211958


PageTop

浄勝寺だより  春彼岸永代経法要  寺報  №152

改 web用 trim+sakura+RIMG1509_convert_20150323203122

 【住 職 法 話】   五十年間、ほおっておくと…
      年賀状 
 ことしのお正月に坊(ぼう)守(もり)(家内)の所に届いた年賀状に、「いつまでも長生きしましょうね。」と書いたものがありました。高校のときの同窓生(どうそうせい)なのですから、そのかたももう六十才をこえておられるのです。東京のような都会に住む人の正直(しょうじき)な気持ちなのでしょうが、あまりにもおさない心境(しんきょう)だ、と驚(おどろ)いていました。
     私たちの心は浅(あさ)い
 わたしたちの心は、ほおっておくと浅(あさ)いままです。私たちはたまたま田(い)舎(なか)暮(ぐ)らしで、仏教というものにふれてきたそのおかげで少しずつ、「いつまでも生きておれるものではないなあ」とか「諸行(しょぎょう)無常(むじょう)だ」とかの、日本文化特有(とくゆう)の、深い感じ方の心に変わってきたのではないでしょうか。仏様の心は深いのです。
 この諸行(しょぎょう)無常(むじょう)にしても、お寺で聞くよりもさきに、中学校の授業で習ったのかもしれません。
「祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)の鐘(かね)の声、諸行(しょぎょう)無常(むじょう)の響(ひび)きあり。」「沙羅(しゃら)双樹(そうじゅ)の花の色、盛者(じょうしゃ)必衰(ひっすい)の理(ことわり)をあらわす。」「おごれるものも久(ひさ)しからず、ただ春の夜の夢のごとし。」――平家物語、ですね。
 我々の年代は、知らないうちに文化(ぶんか)の種(たね)を植(う)え付(つ)けてもらえて、ありがたかったなと思います。
      川越(かわご)えの名号(みょうごう)
 さて、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)の伝説(でんせつ)のなかに『川越(かわご)えの名号(みょうごう)』というものがあります。おばあさんが川の岸で紙を広げている場面です。反対の岸には親鸞(しんらん)様が立って筆(ふで)を持っておられます。川をへだてているというのに、やれ不思議(ふしぎ)や、紙には「南無(なも)阿弥陀仏(あみだぶつ)」の六字の名号(みょうごう)が現れてきました…。
聖人 genze017_convert_20150323202452

 前の晩はこのおばあさんの家に泊(とま)られて、ゆっくりご法の話をされたのです。記念に何か一筆(いっぴつ)書いてもらうつもりでしたが、早朝のご出発でとりまぎれ、お願いし忘(わす)れたので後から追いかけられました。しかし、そこには川があったのです…。
      おばあさんのすばらしさ   
 これは親鸞(しんらん)様の奇跡(きせき)というよりは、親鸞(しんらん)様のお話のいちばん中心をキャッチできたおばあさん、という場面だと思います。
 聖人(しょうにん)「昨夜のはなしを聞いて、なんのはなしと思ったの。ひとことだけで、言ってみて。」
老婆(ろうば)「………わかりました! いちばんだいじなのは、ナンマンダブツのお念仏だけ。」
老婆 genze017_convert_20150323202514

 川があっても、おふたりの心とこころが通(かよ)った、つまり信心(しんじん)誕生(たんじょう)の図(ず)でしょう。聞いたことも知ったことも人間の役(やく)には立たないのです。仏教では、『さとった』ということが大切なのです。
      形見(かたみ)の指輪(ゆびわ)
 いまから八年ほど前になりますが、その日は八十一歳で亡(な)くなられた「姉(ねえ)ちゃん」の一周忌(いっしゅうき)でした。ご法事の休憩(きゅうけい)中(ちゅう)に八十近い妹さんが、まわりの人たちに、うれしそうに話されていました。
 「この金の指輪(ゆびわ)ね、姉(ねえ)ちゃんが入院しとったとき、『もしあかなんだら、その指輪(ゆびわ)は、形見(かたみ)に私にちょうだいね。』、『うん、ええよ。』と約束(やくそく)したったで、娘にもらったんや。」
 なんという殺伐(さつばつ)とした会話でしょうか。ここにも、何十年と、ほおりっぱなしの心を持った人がいました。
      老少(ろうしょう)不定(ふじょう)
 たしか、このおばあちゃんは白骨(はっこつ)の御文章(ごぶんしょう)が好きだと言っておられました。それなら、もうちょっと遠慮(えんりょ)した言い方が出来なかったのかと思います。
 たとえば、「もし姉(ねえ)ちゃんがだめやったら、私に残してね。でもこの世は老少(ろうしょう)不定(ふじょう)やでね、私のほうが病院の帰りに事故にでもあったりして早(はよ)う逝(い)ったら、反対に、私の大事なダイヤの指輪(ゆびわ)は形見(かたみ)に、姉(ねえ)ちゃん、もらってね。」とか…。
 御文章(ごぶんしょう)は「人間のはかなきことは老少(ろうしょう)不定(ふじょう)のさかいなれば」と教えてあるのです。老人と少年少女、どちらが先に死ぬかはわからないという、さとりのことばです。
 このおばあちゃんは御文章(ごぶんしょう)のことばを知っておられるだけなのでしょう。平生(へいぜい)からその言葉(蓮(れん)如(にょ)上(しょう)人(にん))と心が通(かよ)っては、おられなかったのです。川越(かわご)しの老婆(ろうば)のように、教(おし)えのことばが自分の中に湧(わ)き起(おこ)ってこないのでした。仏縁(ぶつえん)があっても、心と心が通(つう)じるのは、むずかしいことです。
【グループホームでのご仏縁 平成二十七年三月七日 浄勝寺住職・村上敏喜 拝記】

PageTop

今月の法語――見えないおすがたと共に

改 法語201503+RIMG2850_convert_20150303141613

 ご先祖様の見えないおすがたと共に
 生かされて、私たちのこと、
 見守っておられます。
 温かいですね。                (藤田ジャクリーン)


 米沢英雄先生から紹介していただいた、お念仏のひと、のひとり、藤田ジャクリーンさん。お話を初めて聞いたのは、27年前でした。そのときの録音テープからのおことばです。それからほとんど音沙汰を聞きませんでした。
 ネットで調べてみると、京都学園大学というところに勤めておられたようですが、2014年ご主人が亡くなられて退職されたようです。先週の日曜日京都の高倉会館で講演をなさいました。坊守が早朝飛んで行きました。

PageTop