易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

11月のお仏花

 10月から始まっているお取越し(お内仏での報恩講)と毎月のおじょうはんとで、あちらこちらにお参りさせてもらい、いろんなお仏花を拝ませてもらえました。菊の盛りの季節です。

壮一お取越お仏花 RIMG3511_convert_20151203195000

 本巣市軽海の S さん宅のお取越しのお花です。みなご自宅での栽培だそうです。お取越しですから、もちろんもう一杯の花がお供えしてあります。

改 11月軽海千津子お仏花 RIMG3569_convert_20151203194756

 おなじく軽海の、こちらは女性の T さんのお仏花。お取越しです。絢爛豪華な取り合わせです。まだまだ百日草が残っていました。

改 11月脩司氏お仏花 RIMG3565_convert_20151203194908

 清潔なムード漂うお仏花です。すべて奥様の丹精の菊でした。下方の M さん宅でのおじょうはん。
 ご主人は「食べれない物に、興味はない」などとつぶやいておられますが…照れ隠しでしょうね。

改 11月賢一お仏花 RIMG3573_convert_20151203194833

 ピンクのダリヤがいくつも、ぜいたくにあしらわれました。相羽の K さんのお仏花です。お店の花とちがって、好きなだけ、好きなように使えるので、個性が出るのが楽しいですね。

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 おーッと、突然本格的な生け花が登場しました。菊一色。本巣市 見延の M さん宅でお取越し。お座敷に活けてあった花です。
 聞いてみれば奥さんは町の(?)教室で習っておられるそうです。遠州流。「はじめのうちは 静岡のことかと思っていましたが、小堀遠州のことでした」と教えてもらえました。長浜にコホウアン(近江孤篷庵)という庭園がありましたね。

改 11月厚子お仏花 RIMG3600_convert_20151203195729

 相羽の A さんのお仏花です。何気ないようですが、すその葉の緑のあしらい、見越し、受けなども見分けられて、生け花の素養が感じられますね。
 9月からの 西洋フジバカマや 黄金たぬき豆、の黄色の花もしぶとく健在なのでした。

     【ご参考までに】
     改 仏花の基本 DSC02207s


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 おじょうはんのあるお宅はその日をお取越しとして、つとめています。相羽の M さんのお仏花です。たいへんていねいな花のまとめ方だなあと感じました。赤い目立つのは、ダリヤでしょうか。
 じつはカメラを忘れて来たので、もういちどお寺までスーパーカブで取りに行って来た次第です。物忘れが…。

【お知らせ】 ご法話を11月1日付で UP しました。滋賀県のお寺の報恩講でのお話です。少し前の日付のところにつっこみましたので、お気づきで無い方もあるかもしれません。


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お念仏に出会ったひとー児玉里江さん ③

【11月25日 谷汲ひまわり というグループホームとご縁があっての法話】

 前回は児玉里江さんの御結婚のお話をしました。目の見えない児玉正之さんといっしょになられたのでした。
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 里江さんが仏教を聞かれていた先生から、目こそ見えないが心を導いてもらえる人だよと、言われたから決心なさったのですね。
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 しかし里江さんの気持ちのどこかには、手も引いて上げれるけれども、仏教のすばらしいことを私が教えてあげられる…くらいのつもりもあったけれども、結婚してみるとそれは全く思いちがいだった。反対に私の心の手を引いてくださるりっぱな男性であった!と驚かれたそうです。

 結婚はしてみないとわからないことがあるのです。みなさんは結婚されたことあるでしょう?思いも寄らない、その相手の態度、人物の側面にびっくりしたでしょう。あなたは若いから、まだ結婚はしたことないでしょう? ぜひしなさいよ。結果として失敗でもいいから、一度は男も女も結婚してみてください。私は強くおススメします。いっぺんはしなさいね、失敗したっていいから。この私も、結婚するまでは思いもかけなかったものを相手に、自分に 見た、という体験を味わいました。

    表紙 ありし日の里江さん

 その里江さんは、埼玉県からこうやって、こんなかっこうで、大野町のうちのお寺まで3べんも来てくださいました。79歳、80歳、82歳のときです。あるときはにちよう学校の花まつり行事に、あるときは大人のかたに体験と仏教の歌をおすすめに。
それは里江さんという方は19歳ごろ、高橋先生の作られた『仏教唱歌集』を街に出て、自分たちで歌いつつ販売されていたのです。いわば、歌売りむすめ とでもいうのでしょうか。
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     縮小 平成2年5月13日 花まつり 改 字入り satoe+SUNDAY001_convert_20151127091137

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 うちへ来ていただいてからも、毎月のように、にちよう学校の生徒にお手紙を書いてくださいました。今日はそれを一通、ご紹介します。皆さんはいまから小学生の、にちよう学校の生徒さんになってくださいね!? いいですか?

       自然のいとなみ 

 「合掌 にちよう学校の皆さん、お元気でしょうか。どうか元気で何でも学んでください。
 わたしの住む家は4階建ての住宅ですが、大きなガラス窓でありますから、食事しながら四季のようすを見学させていただき、ふしぎな自然のいとなみに驚きつつあります。ここは大きなケヤキの木が多く、窓から見えるケヤキの木は4階よりも高いのです。今、すっかり葉が伸び、美しいみどりです。
 先日、テレビの植物の先生のお話では、樹は春から秋まで葉が茂り、暑い日の日よけになってくださり、秋には地面に落ちて、布団のように根っこを保護してくださると申されましたが、たしかに暑い日の木陰のありがたさ、こころよさを受けております。

       私の体験から知ったこと
 さて今月は『歎異抄』の第4章を、復習のつもりで書かしていただきます。
 本文は 「一つ、慈悲に聖道・浄土のかわり目あり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、思うがごとくたすけ遂ぐること、きわめてありがたし。
 浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、思うがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、末とおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々。」 以上が本文であります。
 仏法は体験で知らされるので、いまはむつかしいと思いますが、本文を読んでおかれますと、きっといつかわかります。

 ――お手紙にちょっと難しい言葉が出てきましたので、説明をしましょう。しょうどうは「聖道」と書きます。まじめな方法という意味です。浄土はこう書きます。
 慈悲というのは、…お若いかたはピンと来ないかもしれませんね。慈はムと送りがなを付けて読むと?―「いつくしム」。可愛がって子供を育てることです。悲はもちろん悲しむ、相手といっしょになって悲しむことです。これが仏さまの愛なんです。
 仏教では愛というのは、愛執とか愛着といって、自分のつごうで好きになる、感心できないもの、とされているのです。ですから慈悲は、いわば清らかな、親心の愛だと思ってください。
 われわれに慈悲の心はほとんど無いのです。仏さまとは慈悲の心100%のおかたなのですから、仏さまのお心をもらって、生きて行こうねというのが仏教の生き方です。

 歎異抄 (たんにしょう) という本は、親鸞聖人のおことばが短くのっている、有名な本です。いよいよそこの第4章のご紹介をされるのです。

       このくそだわけ!
 聖道の慈悲は、相手を見るとかわいそうだ、見ておれない、何とかしてあげたいとわき起こる感情のことです。人間らしい、すばらしい気持ちなのですが、かならずしも自分のイメージ通りに助けてあげることは出来ないこともあるのではないでしょうか?
 これは聖人(せいじん)の道なんです。親切にしてあげても、もし相手が「フン!」というような態度をとったら、皆さんどうしますか? たぶん私なら「この、くそだわけめ!」と思うでしょうね。いや、口でそう言うかも知れん…。これで、私が聖人でないことが、すぐわかってしまいますね。
 自分がまごころ込めてやってあげたことが、相手に通じて行かなくても、ただひたすらにつづけて行く道を、しんらん聖人(しょうにん)は「聖道の慈悲」といわれるのです。

 そういう行き方で頑張りきれない、「そんな自分」だとしたら、「浄土の慈悲」コースがありますよ、と言われるのです。
 心で何かもやもやっと気持ちが動いたら、お念仏して自分の心の底を見つめて生きて行きましょう。(前回 3つの心 のお話をしました) いつもお念仏するようになれたら、必ずお浄土に行けます。お浄土と言うところは行けばあっという間に仏さまに成れる場所ですから、そこで成仏したら、もうこっちのものです。
 仏さま身になれば慈悲100%なんですから、大慈悲心を発揮して好きなだけ人助けが出来るのですよ。
 死んでもあの世はあるのです。死んでからこそ、思う通りの働きができるのですというのが、浄土の慈悲コース。体は死にますが、たましいは、死にゃしません。この世でかなわなかったら、あの世でこそ! 浄土真宗は ネバー・ギブ・アップ なんです。

 この世で命のある間では、どんなに深く、真剣に、助けようと思っても、なかなか思い通りにはならないのではないでしょうか。それを「末通(すえとお)らぬ」というのです。
 ほんとうに末通るのは、あんがい、念仏申すことが大慈悲心獲得のタネになるのではないでしょうか。
親鸞聖人のお心は、人生の深い にがみ と悲しさと、包みこまれるような 温かさに満ち満ちていると、私は感じます。

では、お手紙にもどりますよ。

       親切して、おこられる
 最近私が体験させられました、聖道の慈悲について申します。
横浜市鶴見から埼玉県浦和に転居しまして間なしに、ここの老人会である明和会に入会させていただきました。
 8キロの歩け歩け運動に参加させてもらって道づれになった (アイ) さん (75歳のかた)との話の中に、東京でひとり暮しをされておられたが、東京を引き上げて、次男の住んでおられる南浦和の団地で同居をされるようになられましたが、お嫁さんとうまく行かず、お茶までもマーケットで買うというお話をうかがい、気の毒に思いました。ときどき公園に行っては、お話を聞かせていただいておりました。

 私は毎年十一月三日の文化の日には、明治神宮にお参りしています。その日は全国からの郷土品、野菜や果物が奉納され、菊花なども出品されています。
 わたしは  さんをお誘いして参拝しました。明治神宮の参道は往復3キロ強はあります。8キロの歩け歩け運動に参加されたIさんですからだいじょうぶ、と思っておりました。

 そのあと岐阜からりっぱな柿を送っていただきました(ウチですよッ!―ごえんさん)ので、おすそ分けしようと思って、2個持って さん宅をうかがいましたところ、応対のことばが
 「遠い道を歩かされたので足が痛み、息子におこられました…」と、恨みのことばでした。柿も受けていただけませんでした。
 「ごめんなさいね。」とお詫びして帰りました。ただわびるより方法がありませんでした。これからは人をお誘いしてはいけないと思いました。末通らない慈悲(聖道の慈悲)でございました。

        お念仏をとなえなさい
 浄土の慈悲にも会わせていただきました。
 私が19歳ごろ、悩んでいましたときに、高橋常雄先生に遭わせていただきました。先生はわたしに「お念仏をしなさい。」と教えてくださいました。私はその御教えを信じて、本気でお念仏、《なもあみだぶつ》を称えました。

 お念仏は光りでありました。光明でありました。光明に照らされ、これまで見えなかった『わたし自身』が見えて来たのです。これまで見えなかったじぶん自身が見えてきて、ほんとうに驚きました。そのすがたは、やせた、『御恩知らずのわたし』でした。
 ナモアミダブツは生きた仏さまでした。いっさいの生きるものすべてを生かし、育ててくださる宇宙の真理の表現が、ナモアミダブツとお聞かせいただき、驚きました。
 太陽は宇宙全体を照らし、生きとし生けるものをお育てくださいます。ナモアミダブツは、すがたに現れないその根っこである、心をも照らし育ててくださる真理でありました。
 そのことを知らさんがために、お釈迦様がお生まれになり、つぎつぎと高僧がたがお生まれになり、わたしたちにナモアミダブツの尊いことを、教えてくださっておりました。

 大慈悲心と申されるのは、仏さまのお慈悲のことでありました。『お念仏を称えなさい。』と高橋先生から、19歳のときにお教えいただいてから60年になります。あれからずーっと、お念仏さまにお育てを受けております。『念仏申すのみぞ、末通りたる大慈悲心なり』との、聖人のお言葉を信ずる身にしていただきました。ではまた。 み名をとなえつつ  児玉 里江
  平成5年5月14日(数えで83歳)

  にちよう学校のみなさまに
  谷汲ひまわりの みなさまに 」
はい、最後にひとつウソをつきましたが、わかりましたか? 

次に、児玉里江さんのじっさいの声、歌をきいてください。CD の用意はいいですか?
 『内省かぞえ歌』―作詞は浄念淸圓師です― ごいっしょにどうぞ。

一つとや 人を見るから腹(はら)も立つ ゝ ゝ ゝ ゝ(くりかえし)  おのが心をかえりみよ ゝ ゝ ゝ ゝ(くりかえし) 

二つとや 不足いうのは愚(おろ)か者(もの) ゝ ゝ ゝ ゝ おのが立場をかえりみよ ゝ ゝ ゝ ゝ 

三つとや 見事(みごと)うわべは飾(かざ)りても ゝ ゝ ゝ ゝ 苦しむ心をかえりみよ ゝ ゝ ゝ ゝ 

四つとや 寄るとさわると人の事 ゝ ゝ ゝ ゝ 言いたい心を顧(かえり)みよ ゝ ゝ ゝ ゝ 

五つとや いかなる智者(ちしゃ)でも学者でも ゝ ゝ ゝ ゝ 欠(か)けめのあること顧(かえり)みよ ゝ ゝ ゝ ゝ 

六つとや 無理と思えば我がこころ ゝ ゝ ゝ ゝ 養(やしな)いたらぬを省(かえり)みよ ゝ ゝ ゝ ゝ 

七つとや なせばなることなさずして ゝ ゝ ゝ ゝ 捨(す)ておく心を省(かえり)みよ ゝ ゝ ゝ ゝ

八つとや 約束(やくそく)する時その通り ゝ ゝ ゝ ゝ 必ずやれるか省(かえり)みよ ゝ ゝ ゝ ゝ  

九つとや 心の力を養(やしな)わず ゝ ゝ ゝ ゝ 泣いてはおらぬか省(かえり)みよ ゝ ゝ ゝ ゝ 

十(とうお)とや 時がさばくぞ何事(なにごと)も ゝ ゝ ゝ ゝ 因果(いんが)応報(おうほう)かえりみよ ゝ ゝ ゝ ゝ 

 長い時間、よく聞いてくださいました。これで終わります、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ。

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11月の法語 -- いっさいをいつわろうとする心が

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     自己をじっと見つめると、
   一切を偽ろうとする心がある。
   だが自己を偽れば、
   万古のさびしさが待っている。(住岡夜晃)


 こういうきびしい視線で自己の告白をされると、こちらにも波動が押しよせて来る。無傷では済まない。
 そして後半の句、「万古」と来た。なつかしい日本語だ。「万古のさびしさ」―ぴったりの結合である。
 ほんとうに、夜晃師の文は天才的な美しさと、力を持っている。我が六道流転の実態が、これだけの小文であばかれる。

  余談:
 自己に向かうこういう視線をもっている者を、求道者という。求道者は古今を通じて少ない。求道に苦労した高橋常雄師は、その視線を獲得するレッスン体系を確立した人物であると、いま判った。
 またおうおうにして見かけることだが、「機の深信」と叫んでいても、その人物にその視線が備わっているとは限らないのも、大きな問題である…。

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ただひたすら、戦前の個人雑誌を読んでいます

 
・雑誌【慈悲の国】
 仏法の結論をはやまって決めつけたくないと考えて、保留にして三十年、つぎつぎと調査・探索の手を広げてまいりましたが、そろそろじぶんの聞法、求道のまとめに取りかからねばなりません。
 ひとつはまず、児玉里江さんと武隈やよいさんの事績、信心をご紹介できるようにしておきたいと思っています。
 手始めにグループホームでの法話で開始したのですが、おふたりが生涯にわたって購読、参加しておられた古い仏教雑誌をあらためてきちんと読んでおきたいと思いましたので、9月からは時間のあるかぎり、ひたすら読み続けていました。-現在も進行中です。

【慈悲の国】大正16年(もちろん昭和元年) 1月号
        昭和2年 2月号 9月
        昭和3年 7月 
        昭和4年 4月 10月  11月
        昭和5年 1月  2月  5月  8月
        昭和6年 8月  9月
        昭和7年 2月  6月  7月 
        昭和8年 1月  5月  6月  8月  9月  10月
        昭和9年 1月  6月 8月 10月  11月  12月
        昭和10年 1月をのぞき すべてそろう
        昭和11年 1月から 12月まで 完全そろい
        昭和12年 1月  2月  3月  4月  8月  10月
        昭和13年 1月から 12月まで全冊あり
改 四恩精舎先生 SYOUJYA+satoe005_convert_20151104220658

『信仰座談』 高橋常雄 大正13年
『信仰座談 第2篇』 高橋常雄 昭和8年
 ともに月刊誌に毎月連載された、各地巡講での座談、対話を集めたもの。だいいち毎回記憶だけで座談を思い出してまとめるのが、驚異。またそれぞれの人物への対応力にも感嘆させられます。
『四恩協会 唱歌集 1,2,3,4』高橋常雄 大正15年、昭和3年、昭和6年
 10代から20代初めのころ、児玉里江さんたちが大阪駅前などで歌って、道行く人に販売しておられた、仏教唱歌集です。メロディーはほとんど替え歌ですが、歌詞がいい。現代のお寺のコーラスで歌われる歌がムードだけで、なんとうすっぺらであることかと嘆かわしくなります。古いのに、今の真宗の歌に勝っている!?―というのが、私の見解です。

 ひとつだけご紹介しましょう。 
           《友を憶(おも)う》 1番 2番 5番 6番 高橋常雄

 この海渡れば友がいる あの山越えれば友がいる
 ところ遥かに隔つれど 隔てぬ心は、通うてる

 友の住む家あの村よ 汽車よしばらく待ってくれ
 途中下車せば、次ぎいそぐ 遭いたさ見たさに恋(こ)がれてる

 風景絶佳(ぜっか)を見るにつけ 百味の飲食(おんじき)くうにつけ
 尊いみのりを聞くにつけ 友のいないが淋しいなあ
 
 親縁、近縁(ごんえん)、増上縁(ぞうじょうえん)、奇(くす)しき縁(えにし)が結ばれて 
 一つ、み親の乳兄弟(ちきょうだい) 共に遊ばん 慈悲の国
― 以上。

  譜は『明石心中』だそうです。なんのこっちゃ…ですが、歌詞には90年前の大正時代だと感じさせない、温かいハートがあります。思わずそばに寄って行きたくなる人間の温かさです。

・『一本の釘』 松木大信 第一遺文集 昭和43年
 節談説教がふつうだったころ、なるべく仏教語を使わないで、語るように法話を続けた、求道の僧侶。お寺も持たず、生涯弱い身体で、高橋師の四恩協会同人として全国を歩いたかた。収められた信者へのお手紙がすばらしい。それも出発された30代から、もう内容がすばらしい。

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10月のお仏花ーその2

 10月の後半部です。いよいよ菊の季節です。
相羽 Nさん。菊のつぼみ、百日草、すそに顔を見せているのは蕗(ふき)の花ですね。
 後ろのほう、ざぶとんの上にお経の本がのっているのが、セーフ。畳に、じかに置かないのが正解ですから。

      高橋さん仏花 RIMG3464_convert_20151104172054

     松浦弘百か日仏花 RIMG3466_convert_20151104172130

 六里 M さんの 百か日法要のお花。白、ピンク、黄と、みな自宅の菊のようです。真中の真はもちの木かな。
 右上は… 忘れたので、8月のブログを見直して…青色フジバカマ(ユーバトリウム)でした。
     松浦弘お取り越仏花 RIMG3473_convert_20151104172159

 おーと、一日置いてすぐ、お取りこし が勤まりました。お内仏の報恩講のことです。もういちどおばあちゃんのお花の出番でした。
 こんどは赤いダリヤ?と百日草が加わっていました。
     改 堀家お仏花11月 RIMG3504_convert_20151104172321

 11月に入ってしまいますが、相羽 HM さんのお仏花です。
 濃い朱色のダリヤ、もう最後だそうです。赤と黄の唐人草、菊の花はまだつぼみでした。ヨガの教室に出かけられる時間が迫っていましたので、大急ぎで写真を撮りました。
      改 澤家11月お仏花 RIMG3509_convert_20151104172407

 六里のST さん宅の11月お仏花。お茶菓子付きです。
 キタ、キタ、キタァー! 菊の花が満艦飾ー古い言いかたですが―で、全面的に菊一色でした。菊は葉っぱもかたちよく、色も落ち着いていますね。


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10月の写経の会――マイ・正信偈の完成。

 前月はこよりで仮とじをして、表紙の紙をノリつけしたところで終りました。今回はいよいよ、糸でとじるという最終作業に取り組みました。
 刺しゅう用のきれいな糸と刺しゅう針を使って、4つの穴をめぐっていく仕事です。ノートパソコンで YOU TUBE の指南を見ながら、ゆっくりゆっくり進めて行きました。

trim+RIMG3475_convert_20151104174008.jpg 左にパソコン、糸、はさみ、マジック…と。

 いちばん苦労したのは針に糸を通すところです。歳(とし)ですね。四つ目とじ自体は、見るよりも実際やってみるほうが楽でした。最後に「正信念仏偈」と書いた紙をはって、いっさいが終了。私と Aさん の2冊が仕上がりました。
 Aさんは、「これはけいことして、もういちど自分でやってみたい」と意欲的でした。
 坊守の写経はまだ残っていたので、次回に完成をめざすそうです。


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11月1日 親鸞聖人に出会う日ー報恩講

 多賀のお寺の報恩講にお説教に行きました。その1日目:川越の名号のお話です。

 いまから13年ほど前、あるご門徒さんから質問を受けたことがあります。「ごえんさん、報恩講って、何しにいくところ?」と。
 真正面な問いですから、少々たじろいだ覚えがあります。みなさん、何する行事でしょうか?―いっぺんは考えてみなければならないと思います。

 それは、祖師聖人、つまり親鸞聖人に会うこと、ふれることだと思います。なにしろご影向(ようごう)される、向こうからお出ましになる御命日なのですから、ちゃんと再会したいものです。
 故人との再会は、お姿や行動を思い出す方法とお言葉を読む方法とがあります。
きょうは伝説に残された行実の面からお会いしてみましょう。

        川越の名号

 この2枚の写真をご覧ください。

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 ご門徒さんのうちの古いお内仏の扉に描いてあった絵です。
 しんらんさまが越後ご流罪を許されなさった39歳かその翌年のころの出来事だと伝えられるのですが、「川越の名号」というものです。
 おばあさんが川の岸で紙を広げている場面です。反対の岸には親鸞(しんらん)様が立って筆(ふで)を持っておられます。川をへだてているというのに、やれ不思議(ふしぎ)や、紙には「南無(なも)阿弥陀仏(あみだぶつ)」の六字の名号(みょうごう)が現れてきました…。

 前の晩はこのおばあさんの家に泊(とま)られて、ゆっくりご法の話をされたのです。記念に何か一筆(いっぴつ)書いてもらうつもりでしたが、早朝のご出発でとりまぎれ、お願いし忘(わす)れたので後から追いかけられました。しかし、そこには川があったのです…というのがこのお話とされています。

 しかしこの伝説をくわしく別バージョンで述べるのが、江戸時代前半に真宗高田派の僧・良空が書いた 『親鸞聖人正統伝(しょうとうでん)』 というものです。
 高田派というのはお西やお東のように親鸞聖人の血すじで維持されてきたのではなく、直弟子愛弟子たちだけで相続してきた浄土真宗の組織です。ですから親鸞さま直筆の著作がいっぱい伝わっています。
 江戸時代前半は日本人ぜんたいが元気にあふれていた時代で、良空師も「お西がなんだ! お東がどうした?!」と、高田派本願寺がナンバーワン、という中華的見地から、独特の、強引な親鸞聖人の伝記  『高田開山親鸞聖人正統伝』六巻 を書き上げ、東西の本願寺の学僧たちに正面からけんかを売った怪人物です。

 それによると、越後の柿崎という里で、日も暮れ行くのに大雨に降られるという難儀をなされたとき、裕福なお家に泊めてもらおうとされたのですが、そこの主人の心が狭くて、すげなく断られてしまわれます。
 車軸を流すような雨を門前にさけながらお念仏を高らかに称えておられると、その声に心を動かされた主人は、聖人の一行を招き入れられたのでした。
 そしてその晩はこころゆくまで御法のお話をうけたまわり、すっかりお念仏の信者になられました。
 聖人はその変わりようを喜ばれて、一首の狂歌(きょうか)を作られます。

かき崎に しぶしぶ宿を借りけるに あるじのこころ 熟柿(じゅくし)とぞなる
 
 おもしろいと分かりますか? 江戸時代のユーモアですよ。 柿―渋―熟柿がき、わかるでしょう。 

 翌朝は早くそっと出立なさったので、起きてびっくりした夫婦は、み跡をしたって追ったのですが、もう川向こうに。
 老夫婦は水かさもかえりみず、ザブザブと川を渡って、形見となるものをにお願されたところ、聖人は六字のお名号をお与えになったのである、という説明であります。

 良空師にふさわしい、いかにも元気いっぱいな、川渡りの場面ですね。「他派のように川向こうから文字が移って来たなどとは、はなはだもって笑わせる。はなはだ非なり」―という荒い鼻息の書きぶりなのです。
 
 こうして2通りの説を比べて味わってみるのも、興味深いことです。どちらにしろ、実際の行実ではなくて、後世の創作のようですから、いまはお内仏の扉の絵で考えてみることにします。
 
 これは親鸞(しんらん)様の奇跡(きせき)というよりは、親鸞(しんらん)様のお話のいちばん中心をキャッチできたおばあさん、という場面だと思います。おばあさんがすごいぞ、と思わされるのではないでしょうか。

 聖人(しょうにん)いわく 「昨夜のはなしを聞いて、なんのはなしと思ったの。ひとことだけで、言ってみて。」
老婆(ろうば) こたえるよう 「うむむ………わかりました! この世でいちばんだいじなのは、ナンマンダブツのお念仏だけ。」という具合に。

 老婆がかかげている白紙の文字は、老婆の回答のようなものでしょう。川があっても、おふたりの心とこころが通(かよ)った、つまり信心(しんじん)誕生(たんじょう)の図(ず)でしょう。
 聞いたことも知ったことも人間の役(やく)には立たないのです。仏教では、突きつめて突きつめて、『さとった』ということが大切なのです。

      形見(かたみ)の指輪(ゆびわ)
 いまから8年ほど前になりますが、その日は81歳で亡(な)くなられた「姉(ねえ)ちゃん」の一周忌(いっしゅうき)でした。ご法事の休憩(きゅうけい)中(ちゅう)に、これも80歳近い妹さんが、まわりの人たちに、うれしそうに話されていました。
「この金(きん)の指輪ね、姉(ねえ)ちゃんが入院しとったとき、『もしあかなんだら、その指輪(ゆびわ)は、形見(かたみ)に私にちょうだいね。』、『うん、ええよ。』と約束(やくそく)したったで、娘にもらったんや。」

 なんという殺伐(さつばつ)とした会話でしょうか。 たしか、このおばあちゃんは白骨の御文章(ごぶんしょう)が好きだと言っておられました。それなら、もうちょっと遠慮(えんりょ)した言い方が出来なかったのかと思いました。
 
 たとえば、「もし姉ちゃんがだめやったら、私に残してね。でもこの世は老少(ろうしょう)不定(ふじょう)やでね、私のほうが病院の帰りに事故にでもあったりして早(はよ)う逝(い)ったら、反対に、私の大事なダイヤの指輪は形見(かたみ)に、姉(ねえ)ちゃん、もらってね。」とか…。
 御文章(ごぶんしょう)は 「人間のはかなきことは老少(ろうしょう)不定(ふじょう)のさかいなれば」 と教えてあるのです。老人と少年少女、年寄りと若者、どちらが先に死ぬかはわからないという、さとりのことばです。
 このおばあちゃんは御文章のことばを知っておられるだけなのでしょう。平生(へいぜい)からその言葉(蓮如上(しょう)人(にん))と心が通(かよ)っては、おられなかったのです。川越(かわご)しの老婆(ろうば)のように、教えのことばが自分の中に湧(わ)き起(おこ)ってこないのでした。
 仏縁(ぶつえん)があっても、心と心が通(つう)じるのは、むずかしいことです。
 
 われわれはこうして親鸞聖人の御命日、報恩講という行事に縁を結んで、聖人のおこころに触れようとするのであります。
 最後に、広島県の生んだすばらしい求道者である 住岡夜晃師のおことばをご紹介しましょう。

 「親鸞聖人は何を求めたまいしか、何故に苦しみたまいしか。何を喜びたまいしか。何を捨てたまいしか。何を獲(え)たまいしか。」
 …このことばを念頭において今日と明日の報恩講にお参りしていただければ、ありがたいと思います。なんまんだぶ、なんまんだぶつ。



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