易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

マスゾエさんは、どこにいる?

 あっというまに一か月がたちました。十分な準備もできないまま、谷汲ひまわりで御法話をしなければなりません。こういう中途半端が、これこそが、私の人生であり、実力なんだと観念するばかりです。
 しかし入所者の安らかなお顔を前にすると、思いがけない言葉も私の口から出てきました。おかげさまです。その時の話の一部です。

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               お話の前に お正信偈のおつとめ
     【6月28日 ひまわり でのお話】
 
        無縁経

 先日はお寺で無縁経(むえんぎょう)という法要を勤めました。変わった名前でしょう、無縁経。私に縁の無い人にまで心を届かせて法要を勤めよう、お経を上げようという名前です。
 私らはふつうは自分の親だから法事をしよう、ご先祖だからお参りをしよう、お経をあげてもらおうと思うでしょう。
それがね、自分の血縁の人ばかりではなくて、そのほかの人にまでお経を上げようといったら、ずいぶん心が広いことになりますね。「万人」という見方ですね。
 もっと生き物に広げて見て行くとね、「虫なんかも縁がありゃせんかね」と仏教では見て行く。
 今は田植えの季節やけど、その準備をするときにも田圃の中をかき混ぜてから、稲を植える準備をするでしょう。そのときには、知らん間に虫も殺すし、ミミズも殺す…。後には殺虫剤もまかにゃならん。
 そのいのちが犠牲になって、私らが食べるお米がとれるのですから、そういう虫たちも供養してやらねば人間として恥ずかしい、という日本人の霊的な、こまやかな感覚から、「虫供養」というお参りが昔から続いて来たのです。
 これが無縁の生き物へのお経、無縁経なんです。縁が無いようやけど縁がありゃせんかね、というの。ものすごく心を広げてものを見る見方なんですね。
 「私」が広がってくと「人間」になるでしょう。ここまでが生き物としての縁みたいですけど、その線をもっと広げると、虫やカエルまでがみんな、「生き物」としてつながりがあるよというのが仏教という見方なのです。

        ラインを引いて
 その無縁経法要でわたしが皆さんにお話をしたなかで、言ったことばなんですが、
「一律にラインを引いて、ここからは○でここからは×だというふうに決めるのが仏教ではありませんよ。」
 よく考えると、なかなか線というのは引きにくいですよというのが、仏教的な考え方なんです。

       都知事さん
 このあいだまで東京都の知事さんのニュースが多かったですね。たった三十一歳で東京大学の法学部の助教授になられたかたで、とても勉強がよく出来たかたでした。
 ですから「ここまではやってもいい」「ここからは法律に違反する」という線もきっちり分かっておられたのです。
 もともとが犯罪になるかならないかという、ライン引きの専門家なんですから、わたしらよりきちんとしておられたのです。
 でもその徹底した自分中心主義が、多くの人の批判を浴びたようですね。ついに辞めてしまわれました。好き、きらいは別として、何が本当に問題だったのか、私には分かるような分からないようなままでした。

      仏教がつながりの感覚を育てる
 勉強がよく出来るだけでは、また法律的に正しいだけでは、多くの人のこころとつながることは出来ないものだと思いました。
 自分の親や兄弟のご恩も切ってしまわれたという話ですが、その前になによりも仏教との御縁が切れていたのだろうなと、私は思いました。
 仏教と離れ、ご縁がなくなると、どんどん自分のことだけ、お金だけが大事になってくるのです。逆にいえば、仏教というのは、つながりの感覚を育てる宗教なのですよ。

      自分の落ち度はだれのせいか
 うちのお寺のにちよう学校では毎回かならず、十分間ほど雑巾がけをするのです。
 ところがおしゃべりばっかりして、雑巾がけがなかなか進まない子どもがいたので注意したところ、こう言うのです。
「僕がこうなのは、お母ちゃんのせいらしいよ。僕がまだお腹にいると知らなかったとき、転んだせいらしいよ。」と。
 お母さんは自分のせいだと思っておられるのか、この子は自分と母親とだけが責任があると感じているのか、これは、仏教的な考え方と反対だなと思いました。   
 自分が良いのも悪いのも、じぶんのせいばかりではありません。一代や二代で決まるものでもありません、というのが仏教的な考え方なんです。
 もっと長い目で見るクセが付くと良いなぁと思って、「インドの昔話を読んでやるといいかな」と思って、その後で『ジャータカ物語』のひとつを読んでみました。

      ジャータカ物語
 ジャータカというのは、お釈迦さまが前世でどんなに立派なことを積み重ねられたかという説明のお話です。
 どうしてあんなに信じられないような心の広さと、深い考えを持った聖者・お釈迦さまがこの世に登場なさったのであろうか。きっと一代や二代ではない、何代にもわたって苦労なさったことの結果なのではないかと。
 あるときはウサギに、あるときはサルに、ある時はネズミに生まれ変わり死に変わりして菩薩(ボーディーサッタ)の修行をしてこられたが、どの生命のときにも最大限の努力と善行を積み重ねられた、長い長い結果なのであろうと、昔のインド人は「理論的に」考えたのです。

      長い目で見る自分のいのち
 私たちの今は、いろんな動物や人に生まれ変わり死に変わりしてきた、その集大成として、生きているんです。輪廻という考え方ですね。
 いまの科学的にはおかしいかも知れませんが、自分にだけ責任があるとか、お母ちゃんとお父ちゃんに責任があるというような、自分のまわりに近い所で線を引くような、浅い、単純な考え方よりは、輪廻の考えの方がずっとましだと思います。
 今の科学でも DNA の話がこれに近いですね。これは主に誕生までの肉体の遺伝ですが、人間には死ぬまで続く「おこないの遺伝」もあると思います。わたしらの行動、みなさんの態度は、死ぬまでまわりの人に見られているんですよ。

       線を引くことは何につながるか
 線を引くというのは娑婆の原理、金もうけの道なんです。すなわち地獄や餓鬼に直結・直進する道なんです。
 私らもマスゾエさんと同じですよ。線を引きたいんです。役割を分けて、良い役を取りたいでしょ。有名になりたいでしょ。いばりたい、命令したいでしょ。それらは私らの隠れた根性でしょ。―― そうすりゃ、ラクやから。
 線を引けばラクが出来る。金が簡単にもうかる。ラインを引くことで、楽してもっとお金が入ってくるのでしょう?
 だから「ライン・線・ス」、ライセンスというんです。冗談ですけど。資格を取ることもお金もうけの条件ですね。

      食べなソン、とは餓鬼の道!
 さらに自分の手元に増えてくると、それが面白くなるでしょう? 子どもがカードを集めることも同じですね。
 皆さんだと、喫茶店に行ってサービスが出たら、どう思いますか? 「パンも、茶碗蒸しも、ソウメンも、にがてのサラダも、みんな食べなソンや。」と思うでしょ?
 旅行しても宿では朝、たいていバイキングですね。ちょっと上品にビュッフェなんていうかも知れませんが。
 食堂へ行ったら「食べれるだけ食べにゃ、ソンや。」とまず、思うでしょ。「めったに食べられないものはどれだ?」と見渡して、皿に乗せる順番をじっくり考えるのではありませんか? ――まさしく餓鬼ですね。
 マスゾエさんみたいに鬼のような顔はしとらんでしょうけれども、その気持ちは餓鬼道そのものですよ。「人間」と「餓鬼」とのさかいめの線は、……引けないものでしょ?
 ここに仏教の値打ちがあると、私は思っているのです。以上です。ではまた。


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無縁経に ご参詣のお礼状

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初夏のお仏花、大集合です

あっという間にたくさんのお仏花が集まりました。では――

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 6月に入り、いよいよアジサイの季節です。下方の N さん宅のご法事で、床の間に立ててありました額アジサイです。。黄色いスターチスがめずらしいと思いました。


賢一6月 RIMG1217_convert_20160624145342

 白い花の混じった青のスターチス、赤いガーベラ、後ろの方にはアルストロメリアらしい花のつぼみも見えます。
 ピンクのアジサイもめずらしいですね。細いとげのような(痛くはないです)ものがいっぱい出ているのはフウセントウワタ(風船唐綿)だそうです。真中にすっと立つ白い花の名前が、やっと分かりました。シャスターデージーでした。相羽の K さん宅。


軽海千津子 RIMG1220_convert_20160624145326

 額アジサイにゴデチャ。左上には地味ながらゼニアオイ(銭葵)も顔を出しています。ひゅるひゅると伸びた花は、分かりませんでした。東軽海の C さん宅。 


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  白いお星さまのような、紫陽花です。「隅田の花火」という品種だとか。花が大きくて重いので、一輪しか差せませんね。相羽の K さん宅でした。


貞子6月 RIMG1224_convert_20160624145415

 お仏花は息子さんたちが用意しておられますので、いつも床の間の花を活けられます。掛け軸もほとんど毎月掛け替えておられます。「えらいなぁ」と感心します。
 ここの、この花入れがいいでしょう? 毎月同じものなのですが、なにを活けてもぴったりくるので、すばらしい!下方の S さん宅です。


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グラジオラス、カーネーション、青いストケシア、右上の赤いリキリキした実はヒぺりカム。いろんな花を大切にされておられ、驚きました。
 最近スマートフォンよりずっと大きいタブレットを使い始められましたので、お借りして、お寺に送信しました。下方の M さん宅のお子様の御法事で。

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  「送信の仕方を覚えられたら、お花を替えられた時にお寺に送ってくださいね。」と頼んでおきましたら、つぎつぎと届きました!この3枚。
 白いシャスターデージーを取り囲むように、ヒぺりカムの大行進(1枚目)、色とりどりのダリヤがきれいに咲き始めたようです(2枚目)。 
 3枚目下側には黄色いミニのひまわりかと思ったら、ルドベキアというのだそうです。その上に青いストケシア、金魚草、ダリヤ、つぼみのグラジオラスと、ぜいたくな構成ですね。
 とうとうタブレットも使えるようになりましたね。以上、 M さん宅のお仏花の ミニ特集でした。


改 四七日 20160611+若原示恵子_convert_20160624150320

 中陰の(七日七日の)お参りでの 本巣市 E さん宅。下の方には黄色い 宿根コスモス、上の方には咲き始めたばかりの桔梗。左右にぶらぶら下がっている、変わった花は…わからずじまいでした。変わった花に関心が深い E さんです。
 お花を習った方はどことなくしゃんとした立ちすがたを感じます。
 ここのお宅でもお嫁さんにスマートフォンから送ってもらえました。便利ですね。


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 黒野の  H さん宅でお子様の祥月命日のお参り。「なかなか花がなくて」と、畑じゅう集めたと言われてましたが、なかなかどうして。
 下の赤い千日紅はまだ珍しいです。黄色いグラジオラス、ノコギリソウ、千両の花も、紫の長い花になる キリンギク(リアトリス)もちゃんとそろっていました。撮影も、送信も、娘さんの手間をおかけしました。ありがとうございました。

 みなさんのおかげさまで、今回はとくににぎやかな、門徒お仏花のページが出来ました。ではまた!

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浄勝寺だより NO.158 無縁経号 おしゃかさまの思い

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       5月、下方のご門徒の花畑に咲いていためずらしい花です。

 【住 職 法 話】   おしゃかさまの思い
      つらい気持ち 
 皆さんの中にも、はたから見たら何でもなさそうなことなのに、他人(たにん)に言っても分かってもらえないような、つらい絶望的(ぜつぼうてき)な気持に閉(と)ざされて苦しんでおられる方(かた)も、きっとあると、私は思います。
今日はそんな人に聞いてもらいたい話をしようと思います。

    人がうらやんでも
 仏教というのは、二千五百年ほど前の四月八日に生まれられたお釈迦(しゃか)さまから始まっていますが、お釈迦(しゃか)さまもまた、自分の苦しみから道を求(もと)められたおかたでありました。
 人がうらやむようなことを、本人(ほんにん)は逆(ぎゃく)に、苦しく感じられたという、実に深い人間性をもっておられた聖人(せいじん)であります。
 お釈迦(しゃか)様は国の王様の息子(むすこ)で、お金にも不自由(ふじゆう)しないし、子供時代から運動能力も知力(ちりょく)にも恵(めぐ)まれて、命令(めいれい)できる家来(けらい)もいっぱいいて、美しいお嫁さんももらわれてと、みんながうらやむような境涯(きょうがい)でしたが、それだけでいい気分(きぶん)になって喜んでいた人……ではありませんでした。

      仏教の敵(てき)は
 そのお釈迦(しゃか)さまがこの世をどのように観(み)られていたのかを皆さんが知られて、「なるほどなぁ。おっしゃる通りだ。」と思われた方は、それだけでまちがいなく仏教徒(ぶっきょうと)です。
 仏教というのは、なにか不思議(ふしぎ)を信じる宗教というよりは、ものの感じ方、考え方を深めよう、磨(みが)いていこうとする、積極的(せっきょくてき)な生き方のことです。浅(あさ)はかな考え方こそ、仏教の敵(てき)であります。

     娑婆(しゃば)のいみ
 さてお釈迦(しゃか)様はこの世をどう観(み)ておられたのでしょうか。わかりませんか……あの、高い塀(へい)の中に入ることになると、しぜんに思い出せるそうですよ。そうですね、シャバ。こんな字を書きます。「娑婆(しゃば)」これは古代のインドの言葉なんです。向こうの言葉で、シャーハと言ったようです。それを中国の偉(えら)いお坊さんが 娑婆(しゃば)という漢字をあてて中国語訳(やく)をしたわけです。発音を写(うつ)したのです。
 古代インドでのシャーハの意味は、忍土(にんど)。堪(た)え忍(しの)ぶ世界ということ。この世はしんぼうしなければならない世界、苦しんで深(ふか)いことに気づいてゆく世界であるとお釈迦(しゃか)様は観(み)ておられたのでした。

    ラクをするのが当りまえという時代
 どうでしょうか。今の時代の空気とだいぶ違(ちが)いますね。平成に入ってからはむしろ、楽(らく)をして当(とう)然(ぜん)という考えが当(あた)りまえになってきたのではないでしょうか。ああ暑い、エアコンのスイッチを入れろ。腹が減った、早く飯(めし)を出せ…とか。
 しかし楽(らく)をしなければソンだとばかり、いつも楽(らく)ができるように楽(らく)になるように、苦(く)を見ないで済(す)むように、と考えているというのは結局のところ、実現(じつげん)し損(そこ)なう夢のようなものかも知れません。

    人間が住む6つの世界
 人間の生きている世界は欲望(よくぼう)を中心にすれば、だいたい6つの世界に分かれていて、その中を私たちは縁(えん)によって行ったり来たりしているのですが、その一番てっぺんに天人(てんにん)という人たちが住んでいますというのが仏教の見かたです。
 下の段階(だんかい)から見て行きますと、油断(ゆだん)もすきもない人間関係を地獄(じごく)といいます。いつ噛(か)みつかれるか、油断(ゆだん)できない相手(あいて)がいる場面(ばめん)です。すぐ噛(か)みついてきたり、毒(どく)をまきちらす人がいますね。
 また本人(ほんにん)にはそんな気がないかもしれませんが、ニコニコしながらずいぶん無遠慮(ぶえんりょ)なことを言いかける人もあります。人間として未熟(みじゅく)、出来(でき)そこないのままの人でも、大手(おおで)を振(ふ)って渡っているのがこの世ですね。

 次が餓鬼(がき)、物やお金が欲(ほ)しくて惜(お)しくてならない人、どれだけ持っていてもまだ足らないと感じる病的(びょうてき)なお方。しかも出さなければならない時には、理屈(りくつ)をつけて自分は出さない工夫(くふう)をするか、出しても世間並(せけんな)みにしか絶対(ぜったい)出さない人です。遠くでいえば都知事なんかを思いつかれるかも知れませんが…。

 地獄、餓鬼(がき)の次は、畜生(ちくしょう)。「人」の目ばかり気にして生きているあなた! 残念(ざんねん)な生き方だと気が付いてくださいね。人から言われる言葉や悪口が怖(こわ)くて、気になって、いつもおどおどしているような生き方でしょう。人間が家畜(かちく)状態(じょうたい)になっているのではないでしょうか。
 あの『孫悟空(そんごくう)』のお話で有名な玄奘(げんじょう)三蔵(さんぞう)という高僧(こうそう)は鋭(するど)い着眼(ちゃくがん)で、これを「傍生(ぼうしょう)」、「人間のかたわらで生きているが、人間の仲間(なかま)に入れることはできない生き物」と新しく訳(やく)されました。

 次が修羅(しゅら)。人と比べてしか喜べないひと。ライバルと争わないではおられないクセがある人。
この後にやっと「人間(にんげん)」の境遇(きょうぐう)に出ます。お釈迦(しゃか)様の教えが耳に入るだけの余裕(よゆう)がようやく出てきた人のことです。

    天国は理想の国か?
 最後が天上界(てんじょうかい)、天人(てんにん)という人がいる世界です。安気(あんき)で、思うようになって楽(たの)しい世界です。本人(ほんにん)には気持ちのいい世界ですが、運(うん)よく希望(きぼう)がかなったというのに、残(ざん)念(ねん)ながら周(まわ)りのひとたちの苦しみにはとんとニブい人であります。
 その正体(しょうたい)は、仕事(しごと)や商売(しょうばい)には有能(ゆうのう)ではあるものの、その犠牲(ぎせい)になっている人たちの気持ちには鈍感(どんかん)な人なのではないでしょうか。
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 ですから仏教では、この天(てん)の国もまた、迷(まよ)いの世界のうちだと言います。この考え方はとても深(ふか)いと思います。よく考えないとわからないと思いますよ。どうですか、ピンと来(き)ますか?
 以上が六道(ろくどう)の教え。この中をぐるぐる回(まわ)っているのが、我々(われわれ)の姿(すがた)だと教えられるのです。

    成仏などできない人生を歩んでいる
 私たちはお釈迦(しゃか)様の教えをよく聞かないと、単純(たんじゅん)に浅(あさ)くしか、ものを考えられないのです。皆さんの中には「思うようになったら、それは幸せ。」と考えておられるかたも、あるかもしれませんが、お釈迦(しゃか)様はこれを「なんと愚(おろ)かな夢をうっとりと、見ているのか。」とおっしゃるのです。
 ひとがうらやむような生活を目指(めざ)して、勝ったり負けたりして苦しみ、憎(にく)んだりけなるがったりを繰(く)り返(かえ)す人生は「流転(るてん)」の人生ですよとおっしゃいます。流され続けて、わが身だけ大事にして転(ころ)がっていくだけの一生であっては、死んでも成仏(じょうぶつ)などできるはずがありません…。

    信心(しんじん)がモトです
 生きる目標は、この世でも、あの世でも、けっして“天国”なんかではありませんよ。せまい考え方を広げつつ、にぶい感じ方を磨(みが)きつつ、重い荷物(にもつ)を背負(せお)って生きることだというのがお釈迦(しゃか)様のおすすめになられた道なのであります。
 仏教は、じぶん自身が仏(ほとけ)になって行く、厳粛(げんしゅく)な道であります。その道を歩く勇気と智慧(ちえ)は、如来(にょらい)様(さま)からいただく信心(しんじん)から生まれるのであります。『聖人(しょうにん)一流(いちりゅう)の御文章(ごぶんしょう)』には、「信心(しんじん)をもって本(ほん)(源(げん))と せられそうろう。」とありましたでしょ。なんまんだぶ、なんまんだぶ。  
  【平成二十八年六月十六日 浄勝寺住職・村上敏喜 拝記】




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6月21日の無縁経法要は、住職の法話

 気温の高い日がつづきます。法座の準備をする予定の日は雨だったり、会議があったり法務が続いたりして、2日前にお仏花を立ててしまわなければなりませんでした。「白のユリをポン、ポンと入れておけば…」という声もあったのですが、思うようにはいきません。

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 土曜日の朝に裏の花畑をさがしまわって、切っておきました。真っ青な紫陽花が盛りでした。白いショウブ、南アメリカのアンデス山脈原産のアルストロメリア、裾はつぶつぶがかわいらしい、ヒぺりカム、ようやく花がつくようになりました。

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 白のあじさい。うっすらと水色がかかった白と、純白のアジサイです。どちらもご門徒のお庭から旅立って来たものです。K さん、N さん、無事に咲きましたよー!

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 ご講師さがしが成功せず、じぶんでお説教をしなければなりませんでした。頭を掻きかき話しています。
 このブログをご覧の方なら先刻ご承知の、5月18日ひまわり法話 「納棺の服装」はこの日の後半に出てきました。

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 役員さんたち、ご門徒さん、信徒さんたちみな、ものすごく真剣に聞いてくださったため、こちらもカチンカチンになりました。リラックスしてきたと思ったら、もう12時でした。蒸し暑いので扇風機も出ました。
 朝はジャージャー降り、お昼には青空。傘の忘れ物が2本あります。

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    (プライバシーのため 後光 を付けさせてもらいました。)
 おさがりは40周年記念チップスター のりしお 又はうすしお でしたが、せっかくの住職のお話だから、お弁当のお供えも用意しようということになって、あさからお取持ちに来てくださいました。
 こういうときにスッと行けるというのは、「畜生生活」から抜け出しておられる証拠です。(おめでとう!)
 上手だから、下手だから、みんなといっしょじゃないと…などという、世間の目を断ち切る決意、堂々とした生き方こそ、仏教の実行であります。念仏となえて、前に進みましょう。
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休憩も だいじな こころの交流

 6月16日は朝8時半から、法座清掃の日でした。いつも1時間を外の掃除、草取りにつかい、後の1時間を本堂の雑巾がけにつかうのですが、雨が降っていたので外掃除はあきらめました。
 唐戸ふき、縁側、床拭き、ガラスふきとなりましたが、あいだに休憩をとりました。今回のおやつは大分県の郷土菓子、「がんづき」です。新聞にのっていたレシピ(毎日:6月12日)で坊守がゆうべ、蒸して作っておきました。(宮城の料理とも言われますが)

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 はちみつは、ミツバチを飼っておられるご門徒さんからいただいたものです。沖縄黒糖を主にしたふわっふわのお菓子です。皮が美しかったのですが、ちょっとさわるとめくれてしまい、なんだか月の表面みたいになってしまったのが残念です。

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 お茶をよばれ、おやつをつまんで、4地区の方々がいっしょにおしゃべりできるのも、こころの交流です。お宅の娘さんとは同級生だった(Yさん)という つながりや、お寺の掛け軸がワタシも好きだワ、とかいろんなことが分かり合えます。
 午前10時に終了、みんなでお念仏してから、お供えのお弁当を持って帰ってもらいました。裏の畑に育ててあった「ホオバ」の葉がやっと使えるようになりました。

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 製作中の写真です。このあと カニカマ が乗りました。法座ではありませんが、これも大きな行事のひとつだと思っています。

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平等の、うさんくささ?

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   人間も、自然も、不平等に出きている。

                         水木しげる『ラバウル戦記』
 
 この本を読んだ後、2,3日して、どんな言葉が思い出されて来たのかというと、この文句でした。しかし、この本は、もう人にあげてしまったので、本の通りではないかも知れません。(もらった人、本文を確認してくださいよ。)
 こういうことに思い至ることが出来るのが、水木しげるのすばらしい能力です。近代文化の呪縛が、あっという間に取り払われるということでしょうか。
 仏教の出発点でもあります。
 みなさ~ん! 不平等だ…と心の中でつぶやいていたかたよ、暗い所でばれないように意識した人よ、もっと堂々として、明快に、「どう考えても、不平等なのだ。自然をよく見てごらん。人間も自然の一部。むしろ平等を望むなんてのは、さもしいことだ! 敗北だ!」と思ってくださいよ。
 …仏教があなたを救うでしょう。

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咲いた、咲いた、初夏のお花

 ことしの5月はもう30度以上の日があって、そういう日はまるで夏でした。たくさんのお花に出会うことができました。

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 毎月お定飯にお参りする黒野の Y さん宅床の間のお花。マリーゴールドの大きな花がこってり、使ってありました。私はマリーゴールドに魅かれます。ガラス瓶がうまく利用されていました。
 お内仏の仏花のほうはいつも花屋さんの花材を使っておられます。

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 あいかわらずアヤメとショウブの区別がつかないままですが、下の黄色い花がめずらしく使われて、野趣あふれますね。
大きな樹形になる、さわやかな黄色の小花がいっぱい付く花木です。私自身が大好きな花樹なので、お寺の裏の花畑にもあります。
 調べたら、黄梅モドキとか雲南黄梅などという名前でした。中国では迎春花として喜ばれていたようです。こんなブログを開かなかったら、名前も知らないままだったろうなぁ…と思います。小さな花は毎日、すぐ落ちます。 相羽の M さん宅のお定飯でした。

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 写した写真をあるていど縮小してからここに UP しますが、今回はちょっとばらつきを見せてしまうようです。失礼しました。
 さて、青いスターチスとまっ白いアジサイの花でした。お庭の生垣に咲き始めたところでした。相羽の N さん宅。

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 おばあちゃんご自慢の、(いや決して自慢などなさいませんが、うらやましいほどきれいなだけです、)甘いピンクのダリヤが今年も咲き始めたようです。畑の守をよくされておられます。活けられたのは娘さんのようです。
 キンセンカ、矢車草、三年草も並びました。相羽の Y さん宅です。

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 夏に向かいます。中心はゴデチャですね。矢車草、アルストロメリアが添えられています。真には高野槇でしょうか。紫色のは…金魚草と教えていただきました。
 バックの屏風が花に合っていますね。相羽の A さんでした。カメラを忘れて、当家の IXY で撮影しました。

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 6月に入りました。いつもはお店のお仏花を立てておられますが、今月は庭のお花。白い、てまり状のアジサイです。茎が細いどくとくの紫陽花。調べてみましたら、アメリカ糊の木、いわゆる「アナベル」という品種らしいです。
 亡きお母様ののこされたお花のひとつ。相羽の N さん宅です。スマートフォンで撮影してもらいました。

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 三七日(みなぬか)のお参りにうかがったときのお仏花です。薄紫の花は「都ワスレ?」とおききしたら、はずれでした。姫シオンだそうです。家で調べてみたら、ヒメシオンは白い花だと書かれています。では何かな? ヒゴシオンというものかな。お庭の近くの花畑で生えている状態を見ますと、たしかにミニの紫苑のように思えました。今度の宿題ですね。
 白い菊のような花はマーガレットみたいですが、茎が太くしゃんとして、ちょっとちがいます。我が家にもあるのですが、これも名前がわかりません。
 ちょっとフリージアのようにすぼまって咲いている白の花は、トリトニア(姫アヤメ)と言われたか…、みんな珍しい花なので、忘れてしまいました。本巣の W さん宅。
 若い方にスマートフォンで撮ってもらって、浄勝寺へ送信してもらいました。みんなの力でこの記事が出来たわけです。――とすると、カメラを忘れるていうのも、良いことかも。

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