易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

折り紙てっぽう

 暑くなりそうな日曜日。前回休んだ子が来て、前回そろって出席の子たちが、欠席。夏休みで、みんな日常感覚がおかしくなっているのかも知れません。
 新聞紙で紙鉄砲を作りました。ハサミも定規も使わずに、手だけで半分に切る「けいこ」(わざ)を Yさんから習いました。これだけでも、なかなかの技術です。
 折り方はむつかしいものではありませんが、2、3年やってないと、思い出せないものです。
 苦労した後で 「パン!」 と鳴ると、気がスッとしますよね。?
 Y さんのお友だち、M さんも先週から7年生の生徒さんになっておられます。きょうは男性が多かったなぁ。

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浄土真宗が衰えているわけは、明白。

 去年の秋からずっと読んでいます『七里和上言行録』上・下には明治4年から明治20年ころの法話がおさめられています。長いお説教となると、20席もの連続のお話の速記記録です。

 テープレコーダーがない時代に、聞き落としや、書きもれがあってもいいから、筆でだいたいのところを記録したい、読みたい、という明治の人間(信者、同行たち)のものすごいエネルギー(熱意)を感じます。
 逆にいえば、この僧侶の魅力がいかに並外れたものであったかを示しています。

 これを読むと、なぜ今の真宗のおはなしに力がないのか、教学というものに魅力が無くなったか、だいたい見当が付く気がしました。
 現代のお説教と七里和上のお話とのちがいは、何だろうかということです。また当時の教えにパワーがあるというのはどういうことか、よく分ると思います。

 あまりすばらしいので、出会うお坊さんには必ずおすすめしているのですが、お寺さんだけではなく、一般の皆さんにもご紹介したくて、少しずつ抜き書きでご紹介しようと思います。
 ちょっとわかりにくい所もありますので、私の手直ししたものを読んでもらいましょう。
 原文に当たりたいという「意欲」のある方は、古書を入手されるのが一番ですが、WEB でpdfファイルを検索していただけば最小限の役に立つでしょう。岐阜・本巣市の正尊寺住職が 『自炊』 をして、用意してくださいました。有難うございます。

上巻の分 → https://dl.dropboxusercontent.com/u/39286656/PDF%E6%96%87%E5%
BA%AB/%E4%B8%83%E9%87%8C%E5%92%8C%E4%B8%8A%E8%A8%80%E8%
A1%8C%E9%8C%B2%E3%80%80%E4%B8%8A%E5%B7%BB.pdf

下巻の分 → https://dl.dropboxusercontent.com/u/39286656/PDF%E6%96%87%E5%
BA%AB/%E4%B8%83%E9%87%8C%E5%92%8C%E4%B8%8A%E8%A8%80%E8%
A1%8C%E9%8C%B2%E3%80%80%E4%B8%8B%E5%B7%BB.pdf

 第一回目は上巻の28ページあたり。 蓮如上人を想っての御話。さあ、100年たっても古びない、古びてはならない浄土真宗の法話の扉を開きます。
 生涯、頑として自分のお寺を出て外へお説教に出ようとしなかった七里師の、温かい、親切な肉声を感じ取りましょう。 
      【明治25年5月 中興上人の御苦労を想ふ― 第3篇の p.28 】


改 和上 sitiri wajyou
 
 今日では50軒、100軒くらいの門徒があれば、末寺の二男、三男にまで学資を送るではないか。
 この50,100の門徒は皆信者というわけではないが、それでも40,80かの門徒で、学資の世話をしてくれるのが通例となっている。『※ 明治の初年の常識が知れます。九州という地域性かも知れませんが、驚きます。村上 註』
 しかるに、あろうことか、御本山の跡を継ぎたもうお方に、衣類ひとつ送る者がなかったとみえる。これで御法義の衰えたことを知りなされ。

  ―(中略)― こういう訳であるから、あの方を中興上人とかご再興の上人というのである。

 ここに我らは沈思いちばんして、御一流がどうして衰えたか、またどうして再興されたかについて、発見するところがなくてはなりません。
 その訳はいろいろあるであろうが、まず花に目がついて実がおろそかになり、威儀 (いぎ:この法話のキーワードです。立派な行事、人数が集まっていること) に目がくらんで精神が失われたのが、第一であろう。
 とかく人は色形のあるほうへ心が移りやすく、色形のないほうへは心が傾きにくい。
 
 ご当流の教えでいえば、六字より大切なものはない。この六字が耳から心に入ったのが信心、口に顕(あら)われたのがお念仏。
 それなのに、その方へは心をかけずに、御荘厳(おしょうごん ※お寺や本堂のりっぱさ) とか、御供養(ごくよう ※仏志、お金)とかにばかり気を取られると、せっかくの信心念仏がお留守になって、一宗も衰えて来るのじゃ。

 あんた達も注意しなさらぬと、迷いが出ますぞ。迷いと知って迷う者はないけれども、知らず識らずのあいだに迷い込むものじゃ。
 「竜樹菩薩は、難行の嶮路(けんろ)ことに悲憐して、易往の大道を広く開示せられ、御開山さまは難行の小路迷い易きによって、易往の大道におもむかれたから、私も難行道は行きません。自力にはなりません。」と言いつつも、中には難行道の人と同じようなことをする者がある。

 ある人がお仏壇をこしらえ、立派に飾り立てて、有難いと思っているところへ、友達の信者が来て、「だいぶ立派なお仏壇を張り込んだのぅ。私が目利きしよう、五十円(※ もちろん明治初年の貨幣価値です)出したのか?」と言うと、亭主は気に入らぬ顔。「じつは百円出している。」と言う。
 そうするとまた同行が来た。この同行は御内仏を見て「お有難うござります…。」と涙を流して喜び、「御本尊さまも御果報がちがうとみえる。私の方では素麺(そうめん)箱でもって、御内仏としている。」と言うと、亭主のつぶれた鼻がそろそろ高くなるじゃ。

 これが自力の人でないと思いながら、じつは自力になっておるのじゃ。あんた達はそうであるまいが、色と形とが付くと、これと同じことになる。

 ある人が本堂を建立して大功徳をしたつもりで、ある高僧に「いかなる功徳があるのでしょうか。」と尋ねられたところが、その高僧の仰せられるには、
「餓鬼道の業じゃ。」と言われたそうである。

 油断して仏法を聞くと、善悪の区域が乱れるぞ。大鍋に御馳走がいっぱいある。ごちそうには違いがないが、少し毒を入れたときは、その御馳走は食べられぬ。
 あるいは驕慢、あるいは我慢、嫉妬、偏執、これを入れて混ぜられたら毒ぞ!ただこれ、餓鬼道の業じゃ。

 とかく威儀を本(ほん)としてお念仏に心の寄らぬのがケガのもとである。
        

【感想】
 現代の僧侶たちは本当に『浄土真宗聖典』を読んでいるのであろうかと考え込まざるを得ません。
 ある時岐阜別院で同朋運動の会議に出席した時、職員の方々が「本山と太いパイプを持っておられる××さんを委員に迎えようと思いますが、…」と当然のように議事を進めておられたので、あぜんとしました。
 これは裏返せば、運動は御金がいる、助成金がないと何もできない、という政治の世界の住人に根性が成り下がってしまっているからでしょう。
 しかも、恥ずかしいという気持ちが無い。浄土真宗の教団は退廃の崖っぷちまで行きついていると感じました。

 この御法話は『蓮如上人御一代記聞書き』全部で お西の聖典の場合 314条すべてを、読み込みに読み込んだら、どの箇条に集約できるかという問題をみずから提出した場合、末(まつ:下巻のこと)の 121条 である、という結論に達せられたのが、七里和上。私もまったく同感なのであります。
 しかも121条の本文を一語も表に出さず、それを念頭に置いて話を進めていかれるところが、しびれます。
 念仏を 至上の一法句 として取り出して来た1000年にわたる精神作業、努力、吟味の精進は、けっして聖人たちだけのものではありません。われわれもまた、たとえばこの『聞書き』を深く読み込むことで、蓮如上人の御苦労の追体験が出来る環境に、恵まれてある、と思うものです。
 どのひとも蓮如上人の真意におうかがいを立てながら、運動にたずさわれないものかなぁと思います。

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にちよう学校の 夏まつり

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 (^∇^)ノ (^∇^)ノ (^∇^)ノ (^∇^)ノ (^∇^)ノ (^∇^)ノ (^∇^)ノ (^∇^)ノ (^∇^)ノ (・Д・)ノ (・Д・)ノ

 夏休みは始まったばかりですが、行事の予定が決まりました。
 当初、28日の日曜日午後に心づもりしていましたところ、その日にごえんさんに大事な会議が入ってしまいましたので、前日の午後に変更しました。いまから予定のほど、お願いします。
 ことしも Y さん特製の 竹製の 流しそうめんが出るそうですよ。

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梅雨が明ける前に

 7月前半のお仏花です。

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 7月に入ると、この花が目立つようになります。リアトリス、和名キリンギクです。濃い紫色が棒状になっていますので、遠くからでも目立ちます。ただ小さな花瓶に入れるのはてこずるので、あまり使われないかもしれません。よく工夫してありますね。
 中ほどは金魚草が3色も! すそには黄色の菊の花びらがあふれかえって、豪勢です。
 まん中の深紅の小さい花はよく見るものですが、わかりませんでした。どなたか、ご存知でしょうか? 下方の M さん宅でした。

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 おーと、これはその M さん宅の玄関入口のお花です。バラも、カスミソウも作っておられるのですね。驚きです。

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 おじょうはん(月参り)が済んだあとしばらくして、次のお仏花の写真を送信していただけました。これまた、ゴージャスなお仏花です。
 左右に黄色とピンクのグラジオラスがそびえて立ち、ツインタワーのようですね。センターの上から白菊が並び、すそには黄色の菊が3つ横に並びました。まん中に赤い小さな花が密集して、アクセントになっています。名前は知りません。
 後ろにずっと緑の葉っぱで取り囲まれて、全体が落ち着きを見せています。よく考えて立てておられるなぁと感心するばかりです。 下方の M さん宅。

改 脩司氏 WIN_20160705_223618_convert_20160720215759

 夏のお花は2日くらいしか持ちません。その後に立てられた、同じく M さん宅のすてきなお仏花ですが、惜しいことにカメラが手ぶれしたようです。
 白いユリは葉の小さな高砂ユリか? 白い菊、黄色い菊、そして上品な薄紫の菊もすそにあしらわれています。
 赤い細かい花は、この季節に一斉に咲くかわいい、でも丈夫な、姫ヒオオギズイセンという名前らしいです。(すぐ忘れそうです。)
 ヒメヒオオギズイセンの長い葉っぱが1本だけはピット伸びているので、お花の形が引き締まって見えるようです。


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 おじょうはんの日の床の間のかわいいお花です。長いグラジオラスの上の方だけをポンと切ってあります。思い切った使い方だなぁと感心しました。黒野の Y さん宅です。


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 さて、これは本巣市の C さん宅です。ピンクのユリが印象的でした。百日草も今年は早くから咲き誇っているそうです。まっ白なダリヤ、いいですね。
 まん中にはミニひまわりが陣取っています。驚いたのは右の高いところに、紫苑(シオン)がつつましく顔を出していたことです。我が家の畑ではまだまったく、つぼみさえ現れていません。見えますか? 細い緑の茎と一輪か二輪の小さな花が。


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 ここのお花も、色とりどりです。右の上の方にはリアトリスの紫があります。左の細長いのは段菊ではなさそうですが、アメジストセージの一種かな? 茎が四角いように見えます。
 その下には千日紅の赤い玉、右端の白い花がよく見えませんが、写真を拡大して調べましたら、ちょっと下の方にギザギザの葉っぱがありますから、白いノコギリソウではないでしょうか。
 そのあたりの花は唐人草(百日草)と…黄色とオレンジの色違いでマリーゴールドですよね。
 さらにまん中には真っ赤な、大輪の唐人草と桔梗が落ち着きはらって鎮座しています。その後ろからカバーするように、ピンクの夏菊がかわいらしい顔を出していました。
 なんという重厚な構造でしょうか! まだ下にも薄紫の小花があります。残念ながら名前は分かりませんでした。相羽の K さん宅でした。


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 みなさんががんばっておられるので、住職も庫裏で立ててみました。背の高い、うしろの緑はミョウガだったかな(10日も立って、忘れています)。ひょろっとした茎に薄紫のはながブラッと下がっている、おかしな花を使いたかったのです。
 どれだけ探しても、名前がわかりません。丈夫で、よく増えます。(ホワイトセージの一種か?と見当を付けています)
 まん中の段、左右は ヒメオオギズイセンです。まん中はばらばらっと地味な花、ハーブの花ですが、ミントだったかな。
 下のところはギボウシの葉っぱです。涼しそうに見えるといいと思ったのですが、なんだか間が抜けているお仏花になってしまいました。おそまつさま。


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 おじょうはんの後日に、私のパソコンに送られてきましたお仏花です。しばらくぶりですが、 M さんは相変わらずいろんなお花をきちんと咲かせておられます。
 まずは玄関入口のお花。むくげです。中心が赤い底紅種。有名な俳句があります。

   道のべの 木槿(むくげ)は馬に くはれけり 芭蕉

   それがしも その日暮らしぞ 花木槿 一茶


 お仏花は強烈な鉄砲ユリ3本です。黄色の キクイモモドキ の花が目を引きます。右には桔梗、左のピンクは…これが分かりません。
 左下にはていねいに、千日紅が顔を出しています。そうそう、深紅の百日草も中心に存在感を示しています。いつも力作ですね。

 いよいよ梅雨が明けました。盛夏です。おじょうはんに行く日を楽しみにしています!

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柔和なこころが人を救う

         【7月12日 ひまわり でのお話】 ところどころ
 
改 2016+0712+おつとめ_convert_20160713161837 蒸し暑いし、いちばん眠たい時間なのに、部屋から出て集まってくださった、柔和な皆さんに住職が助けられている図
 
         倶会一処
 今月の法語はこれです。「倶会一処 くえいっしょ。おたがいが見捨てあうことなくいっしょに生きたかったという願い。竹中智秀」
 昔から浄土真宗のお墓に彫られていることば、倶会一処という言葉を味わいなさったのです。
 味わうということをしないで、直訳すれば「ともに、一つの場所で会いましょう。お浄土で再会しましょう。」ですね。これだけですます人も多いでしょうね。

 仏教の言葉を読むというのは、自分で自分の心と相談して、「わかるか? その通りだと思うか?」と心の奥の本心に相談しながら読んだとき、はじめて「自分が読んだ」というのです。ただ直訳ができても、なんの意味もないのです。
 私は31歳から仏教を勉強するようになりましたが、仏教の本だけは、タッタッと急いで読まないようにして来ました。
  気分が乗らないときは、1か月でも2カ月でも、半年でも、仏教書を読みません。落ち着いて自分の気持ちと対話が出来る時がおとずれるのを待って、読むようにしています。
 また読み始めても同じページで1週間くらいとどまって、あれやこれや考えて味わうのも、仏教なればこそだと思います。
 はんたいに言えば、つまらない仏教の本は出来るだけ早いうちに、できたら一瞬で 見分けて、捨てるようにしています。途中まで読み進んでいるときでも、せっかく買ったんだから最後まで読まなければという、おかしな「欲」を捨てなければと、気をつけています。人生の持ち時間は限られているからです。


 この先生は「…生きたかった」というのですから、家族や知り合いがお互いを見捨ててしまったこともあったし、いっしょに生きることも出来ないで、(いっしょの反対は何でしょうか?)バラバラで、めいめい勝手に生きていたということでしょう。
 ほんとうはいっしょに生きていたかった。お互いが見捨てることなんかせずに生きていたかったね、という残念の気持ちが多くの人にはあったんじゃないか、と感じておられるんですね。
 けれども、あの世に行ったらこんどは仏さまのお力でいっしょおれるんやないか、という思いで倶会一処という言葉を味わっておられたんだとおもいますよ。

        じぶんはいま、天人ではないか?
 人間は場面場面に応じて6種の顔を持っているというのが、六道の教えです。人間という生き物がいるわけではない。
 地獄、餓鬼、畜生という、情けない生き物になっていることもあるし、修羅、天人、人間という立場になることもある。
 今の時代に多いのは天上界をめざす人です。自分の思うようになる境地、境涯。そこに住む人を天人という。
 トップの立場の人にはとくに気をつけていただきたいのですが、その反対に患者や入所者でも天人になる機会はあるものです。
 まぁ、自分は今自由だな、…と思った時は、あなたはそのとき天人なのです。こわい者がいない立場。(でも、だれかが困っていますよ。)

 天人にあこがれるのが煩悩というものですが、ならないほうがいいですよ。仕事上どんなに優秀な人でも、人間的にどれだけ優秀かということになると、これは全然別の話で、あやしいものだからです。
 天人だった人は後が苦しまれます。子供の時からちやほやされた、たとえば美人などは、並みの人とずっと扱われ方がちがって大人になって行くわけですから、ずっと見ている風景が違うはずです。
 そういう高い立場におっても、いつかは、たとえば老齢とともに下に落ちてきます。そのショックは大きいですよ。高い所から落ちてゆく苦しみは、高い所にいた人ほどつらいものがあるはずです。天人五衰といいます。

           にゅうなんしん
 人に○×をつけるということ、線を引く、区別をするということは、あまり意味がないようです。
 何か向こうなりの理由があるんやないかと考えてみる―それが心を広くすること、柔軟心(仏教では にゅうなんしん、と読みます) ということです。柔和なこころ。相手を許せるということです。
 皆さんも静かに、柔和な表情で私の話をずっと聞いていてくださいました。そのおかげで、神経質な私もなんだか安心して、お話が出来ました。有難うございます。今日は柔和な心を大事にしましょうというお話でした。

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ゼロ歳から68歳まで

 7月10日(日) は、いろんなご縁がからまって、生後6カ月の男児から、68歳になろうとしている住職まで、おとな(7人)も子どもも、たくさん集まったにちよう学校でした。
 もう夏休みが来たみたいに暑かったです。扇風機が回りました。

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 年代を問わず楽しめるようにと、また暑いので戸外をさけて、百人一首となりました。

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 写真がきれいですね。CANON EOS-M といって、コンパクトのデジカメと違ってAPS-C という、大きな撮像素子が使ってある、ミラーレス一眼で写してもらったからです。

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倶会一處(処)

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 わたしたち、浄土真宗の門徒のお墓は「南無阿弥陀仏」という文字が一番多いと思います。なかには「倶会一処」(処は處の略字)と彫ってあるお墓も、見られたかたもあるのではないでしょうか。
 直訳すれば、ともに、一つのところで会う、と読みます。お浄土のことです。阿弥陀経に出てきます。竹中師は、少し深く掘り下げて味わってありますね。いいものですね。合掌。
 さて、ともに再会したい親はあるでしょうか? いっしょになって話したい言葉はあるでしょうか?

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門徒さんのページ! お内仏のお仏花

 6月から7月にかけて雨がいつ降ってくるか、わからない季節です。
 前回からあっというまにお仏花が集まりました。ごちゃごちゃにならないうちに発表いたします。

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 まっ白なグラジオラスが華麗に花開いていました。朱色のグラジオラス、がくアジサイに周りから護られているようです。
 緑のものはもちの木かな、葉物があると、全体が落ち着くのはなぜでしょう。相羽の N さん宅でした。


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 ここの赤いグラジオラスは満開。めずらしい色のダリヤ、百日草もあるかな。黄色いじょうぶな花は、キクイモモドキっていうらしいですよ。
 よく見ると、ハンゲショウの白い葉とゾロッとした花(花とは思えないような)もありますね。半夏生のころ咲くのでそう言うのか、はっぱの半分が白いので半化粧と書くのか、どちらでしょうか。いかにも、6月末に出会う花ですね。相羽の A さん宅です。


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 いよいよ登場してきました、アガパンサス。別名:ムラサキクンシランだそうです。美しいピンクのダリヤ。
 そして可愛い金魚のしっぽみたいな花弁をつける……何だったかなあ…ちょっと待ってください、調べます…ヒメヒオウギズイセン。これです。そう言えばそうでした。相羽の U さん宅でした。


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 ちょっと、みなさん、仲間に入れてください! お寺のお内仏の花です。
 アガパンサスが中ほどに混じっています。桔梗が咲き始めました。花びらの形が美しい花ですね。白い花はシャスターデージー、茎の太いマーガレットのような花です。
 珍しいのはオレンジ色の ヤブカンゾウ でしょう。野生の花です。一日くらいしか持ちません。欲しい方は言ってください。お分けします。
 すその方に 斑(ふ)入りのギボシも使われました。住職が立てたものでは、ありません。


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 相羽の M さん宅です。 キキョウがたっぷり、ぜいたくに切られました。
 お参りにていねいな人は、だいたい思い切りがよい気がします。聴聞はすっぱりとした気性を育てるのかもしれませんね。損得に細かい人には、まねが出来ないことです。
 下の赤いのはダリヤ、真中が百日草です。上の方の細いのは、聞いてくださるな…アオイかな?
 それにしても、花瓶の耳が片一方とれているのが、ユーモラスです。実はこの日、お仏花は1対で立てられており、もう一方の花瓶も反対向きの耳が無かったのです! そこがまた、私にはうれしい、「ありのまま」助かっているお姿でした。一種の シュールレアリズムな風景だと思います。


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 本巣市の E さん宅、七七日法要でのお仏花です。薄紫の都忘れはわかりましたが、黄色い花で細かい葉っぱが 宿根コスモスという名前だとは知りませんでした。(←もう忘れています! 前回も出ましたのに)
 蓮の花、つぼみが使われてあったのが、めずらしいと思いました。小さめの葉っぱが選ばれていました。
 蓮の茎は水揚げが悪いのですが、「ほんとうは切り口にホースを当てて、勢いよく注ぎ込むと、葉っぱの表側からしずくが垂れ出るようになれば、もういいと、お花のお師匠さんに習いました。」とのことです。


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 先代のおばあさんの七回忌法要で、下方の K 子さん宅の床の間です。
 アガパンサス一色ですが、決まってますよね。葉が5本あしらわれていましたが、考えに考えられた、気合の入った生け花でした。同じように出来そうで、なかなか出来るものではありません。なんまんだぶつ。
 写真は御子息の Y 君にお願いして、i Phone 6 で撮影、添付送信してもらえました。たしかに便利で、画像がきれいです。
 そうそう、掛け軸は住職の祖父・圓妙の筆跡です。六字名号の下には「満可勢(まかせ)の 身こそ やすけれ」とあります。
 左わきには「龍堂(祖父の雅号)臨書」と書かれています。 以上です。いよいよ夏の花となって行きますね。

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