易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

こんなお取り越しを毎年…。

  岐阜市の A さん宅のおとり越しは、まるで法事のお参りのような感じです。
 お勤めはなにも変わりません。お正信偈と五十六億和讃、聖人一流のご文章です。

 しかし、時間前になると、つぎつぎに親戚が到着。ご兄弟、といっても礼儀正しい姉さんたちや子どもさんたち、そのまたお子達が静かに入って来られます。きちんとそれぞれの方が、ごあいさつに来られます。
 お互いに久闊(きゅうかつ)を叙(じょ)して、おもむろに仏前に向かいます。終わりますと、テーブルが出されて、みんなでお昼をよばれます。

 そこには必ず、奥さまが何日も前からていねいに用意された、ニシンの昆布巻きが並びます。これが、やわらかくておいしいのです。コソッと、すこしだけお見せしましょう…。

改 これが昆布巻き DSCF1719_convert_20161031191550

 いいでしょう。その家のあたたかさが感じられて。これを毎年、かならず、欠かさず、作ってくださいます。えらいなぁと感服します。
 帰りには包んでくださいますので、お寺に帰ると、こんどは坊守(ぼうもり:お寺のおくりさんのこと)が感心する番です。「ほんとに、じょうずやなぁ。」と。
 今年はその奥さんにも入ってもらって、みんなで記念写真と相成りました。(さて、どこにおられるでしょうか。)
 去年までは高齢のお兄さんも出席されて、もっともっとにぎやかでした。一回一回が貴重な人生の一瞬ですね。なんまんだぶ、なんまんだぶ…。
 がんばりやさんですから、この部屋に置いてあるパソコンを開いて、ご自分でこのブログを見られることでしょう。

改 安達家のおとり越し DSCF1717_convert_20161031185244

 なお、パックの仕出しのお店の名前が   『安楽(長良校前町) というのも、出来すぎでしょうか?


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世の盲冥(せの もうみょう)が人間の本性

 * じっさいのお話を再検討し、ずいぶん深め直して記録しました。

    【10月26日(水) ひまわり でのお話】

 今日もしばらくの時間、仏教の勉強をいたしましょう。
 仏教というのは、私が仏になる教えです。つまり、あなたがたが仏様になって行く教えが仏教です。

      三蔵法師
 ただいまはお正信偈をいっしょに上げましたが、きょうは2つ、3つ、言葉の説明をしようと思います。
 まず三蔵法師です。出てきましたね「三蔵流支授浄教」と。浄土のことが書いてあるお経を、三蔵流支が曇鸞大師(どんらんだいし)に授けられた、というところです。
 これは、孫悟空でおなじみのお坊さんではないですよ。あちらは玄奘(げんじょう)という名前の三蔵法師、こちらは流支(るし)という名前の三蔵法師なのです。
 三蔵は3つの蔵。お経の蔵、仏教生活の規則の蔵、仏教の研究書の蔵、――どの分野もよくわかっている、えらいお坊さんという意味で、「三蔵法師」と呼んだのです。

        全員が死亡
 おなじみの玄奘三蔵という方について、少しお話をしましょう。
 若くして神童と呼ばれたこの方は、27歳の時お釈迦さまの教えをもっと詳しく知りたいと思って、唐の国を抜け出してインドに向かいました。当時は国を抜け出したら死罪という法律がありましたから、ほんとうに命がけの旅、密出国したわけです。
 40人のお供といっしょに砂漠を歩き、山を越え、3年後に到着した時には、30歳の玄奘法師以外は全員が死亡していたそうです。

        玄奘三蔵の像
 これが東京国立博物館にある、玄奘三蔵の旅すがたです。鎌倉時代の作で重要文化財。いそいで画像処理したので輪郭が粗末です。ご容赦ください。

改 字入り 玄奘三蔵像
 竹を曲げてリュックのようなものにしてありますね。一番上は笠でしょう。
 目の前にブラ―ンと下がっているのは、おそらく香炉。右手に払子(ほっす)左手には巻物のお経。
 さて、首に掛けておられるのは、どう見ても骸骨のようですが、なんでこんなものを掛けた絵が描かれているのか、私には見当がつきません――と一週間たっても――思っていたのですが、ひょっとしたら次々に死んだ40人のお供(とも)の骸骨(の象徴)かもしれません…。
 
部分図_convert_20161028201051        拡大部分図です

 現代人には思いも寄らない、可能性1%くらいにかけた、いわば仏様に身を任せた旅でしたから、山賊に遇い、猛獣に襲われ、危険な山越え、渡河の難儀、病気にも襲われるという中で、おそらく40人の同志たちは「この人だけは護らなければ…」という悲痛な覚悟でわが命を捨てられたのだと考えられます。
 道中の行く先々で出会う、得体のしれないような人たちからも特別な敬意を払われたという、玄奘法師の尊さですが、お供の人たちも「このかたのためになら、死んでも惜しくない」と感じておられた、特別の輝きがあったのでしょう。

       来世を信じる人の力
 来世を信じていたからこそ、なしえた行動だったと思います。来世を頼りに、この世の命を捨てることが出来た人――なんという純なこころ、尽くす喜びという共通項があったからこそ、法律を犯してまで玄奘法師に付いて行けた人たちだったのではないでしょうか。
 みんな犠牲になってくれた、命の恩人だったという、玄奘法師の熱い気持ちがこの絵の骸骨の首輪に現れているようではありませんか。
 犠牲になってくれた仲間を骸骨に彫って、いつも首にかけて供養したかったのだと思います。そんな深い所で応えてくださるお方だと、お供の人たちは分かっておられたのでしょう。41人は首輪(おじゅず?)のように、堅(かた)くつながっていたのでした。なんまんだぶつ、なんまんだぶつ…。

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 もちろん想像図であり、また偉いお坊さんというイメージの絵の約束ごとから描き添えられたもの、現実的にはあるはずもない姿だと思ってくださいよ。

 インドではナーランダ大学で5年間学び、インド各地を訪れ、たくさんのお経を持ちかえりました。当時この大学の学生は1万人、世界最大でした。

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  (2016年7月に世界遺産に登録された、ナーランダ大学の跡。12世紀にイスラム教徒によって破壊。)

 出国以来16年。お経は657部を馬22頭に載せて帰ってこられたと伝えられています。奇跡の生還でした。
 そのあと持ち帰ったお経の翻訳を死ぬまで続けられました。満63歳で没。
       『大唐西域記』が今も残る
 その長い、苦しい旅は皇帝への諸外国(110カ国)事情報告書として提出されました。有名な『大唐西域記』(だいとうさいいきき)です。
 日本語訳は現在でも出版されています。ちっとも売れないのに、平凡社というまじめな出版社が「東洋文庫」のシリーズで出しています。えらいなぁと思います。全3巻。これもいつか、この目で読みたいですねぇ。
        スーパーマン僧・行基へつながる
 また日本人の遣唐使だった道昭がホンモノの玄奘の指導を受けて学び、またその道昭の弟子だったのが、いつかもお話した「行基」(ぎょうき)というスーパーマンなお坊さまなのですよ。有名な東大寺の大仏に象徴される、奈良の仏教として根付いたのでした。
 いやぁ、仏教って、静かに熱く流れて行く感じがしますね。

        弥陀成仏のこのかたは
 もう一つの話は、だいじな話です。

 お正信偈本文につづくはじめの和讃に
 「 弥陀成仏のこのかたは / 今に十劫を経たまえり / 法身の光輪きわもなく / 世の盲冥を照らすなり」とあります。

       「恐ろしい生き物だと思わないのかい?」
 「世の盲冥」(せの もうみょう)なんですが、この世にいる目の見えない人、暗い世界にいる人というのは、私たちのことを言うのです。
 私たちが目の見えない人間であり、真っ暗な世界で平気な顔をしていきているのがあまりに哀れで、阿弥陀さまは光を放っておられるのです。
 仏様は、私たちのことを「恐ろしい生き物だと思わないのかい?」と聞いておられると思ってください。

       クルマに乗ると 闇の中…
 例を上げますから、皆さん自分自分の心の中で、聞いてみてください。自動車に乗ると「別人になる人がある」ということを言うでしょう。
 あんなにおだやかな人が、あんな荒っぽい運転をするなどいう時に、いいますね。
 また、タバコなんて吸っていないような顔をして、じつは車の中だとスパスパ吸う人も、見たことがあるでしょう。
 クルマだと一瞬のすれ違いですから、ほとんど他人から見られてないようなものです。皆さんも、クルマに乗るときは「だれも知らへんわ。」と安心しているでしょう。
 クルマに乗ると、一種の闇の中に居るようなものなのです。だれにもわからへん…と。

       だれもおらんで、入っただけや…
 また、ふるさとの山に昔の自分の家を持っておられるご門徒さんに、最近聞いた話です。
 1、2カ月にいっぺんくらい、そのあたりにある所有地の山を見に行かれるそうですが、
 「ごえんさん、おそがい(恐い)時代になった。先月古い家に行ったら、庭に入れんように通せんぼしてあるサクが外してしまってある。
 家の中に人が勝手に入っとるんです。「なんやね! 勝手に入って!」と言ったら、「だれもおらんで、入っただけや…」と言うだけで、謝りもしない。」
 「時々は家で休むこともあるので本も置いてあるんやが、無くなっとった。何にも大事なものは置いておけん。」とこぼされていました。

       世の盲冥(せの もうみょう)
 人がまわりに居なかったら、他人が見ていなかったら、何でもするという、恐ろしい心が、だれかの心の奥の底にはあるのではないでしょうか。
 こういうことを「世の盲冥(せの もうみょう)」というのです。
 私たちの心の奥底にジッと座っているような、こんな恐ろしいものが、自分にもあるのではないでしょうか。
 たとえそんな行動にはならなくても、そんな本性を抱えた人間は、この世でどんなことをするときでも、何か汚れた、裏のある仕事しかできないのではないでしょうか。
 また死んでも、けっして良い世界には向かえないのではないでしょうか。
 阿弥陀さまは、われわれの暗い、うす汚れた本性のもたらす自業自得の結果をご心配しておられるのです。憐れんでおられるのです。「なにも気がつかずに…」と。

 そこから「法身の光輪きわもなく / 世の盲冥を照らすなり」という仏様の大宣言が述べられていくのです。
 これからは、あなたがたはいつも、「人が見ていない時の自分の心を見つめる訓練」をするようにしてください。
 それが仏様と出会うための、最少条件、最低資格ですから。なんまんだぶ、なんまんだぶ…

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相変わらずだね、ROCK MAN !

 あちこちの「 おとりこし 」を、根気よくお勤めして回っています。開始してから、ほぼ一か月がたちました。岐阜市内もほぼ済みそうです。
 一年ぶりに会っても、なんだか寂しい気持ちで帰らなければならない家もあれば、あったかい、うれしくなる家もあります。

 岐阜市内、某所。「ひとり住まいで、元気にしているかなぁ…。あの、ていねいな兄さんも来ているのだろうな…。」 複雑な気分で入室。
 ふたりは、お勤めの本も手にしないまま、お正信偈が始まりました。
 ところが、ヤ、ヤ、なんと、てきとうなアタリをつけて、ところどころいっしょに唱和なさるではありませんか。それが、じつにいいかげんなのですが、ちゃんと私の「ナァモアミダァブー、ナー」に合わせて、気まぐれに声がそろって、にぎやかに自然に盛り上がるのでした。
 たいへん、いいムードですよ。これは、これで!。

 お勤めがすんで、お茶。机の上は去年とほとんど変わりありません。

改 タバコ エコー RIMG1491_convert_20161027181310

 「あいかわらず いっぱい聞いてるんですね。」と CD の山に近づくと、いちばん上に、「ボブ・ディラン 『追憶のハイウェイ61』(英: Highway 61 Revisited)」が見えるではありませんか!
 このころから ディランのバックバンドは「ザ・バンド」だったのではなかったかな…。私「知らない? こんど持って来てあげるわ」
M氏 「ワシはずっと70年代の洋楽、ロックやね。」とおっしゃる善き人。70年代も、この男も、むしょうに、なつかしい。

 みんなで、記念写真を撮ることにしました。ご本人はまん中でエコーという銘柄の、シブーイ煙草をくわえて。
 15歳年長というお兄さんは、いつものようにすばらしく良い顔色で。
 ごえんさんはこのロックおやじが私を待っていてくれたことが、すごくうれしいという顔で、セルフタイマーを掛けました。
 ごきげんな彼はわたしより2歳年下でした。この日は午後からも、同じく2コ下の男性と会うことになる、不思議な、幸せな日でした。なんまんだぶ、なんまんだぶ…

改 松尾重幸さん RIMG1490_convert_20161027181323

 せっかくだから、CDを手に持って写そうと提案し、私の手にあるのがノーベル賞の歌手の6枚目アルバム「追憶のハイウェイ 61」、彼が持つのは「ディープ・パープル・イン・ロック」、左の兄は「わしは歌謡曲やで、わからん」とおっしゃるのを無理やり、私もわからない「 best ジンギス・カーン」を持っていただくことになった次第です。なんまんだぶ、なんまんだぶ 以上

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やっと完成! びっくりカメラ

  顔の絵を描くところから始めて、4週目でしょうか、ようやく牛乳パックで作るカメラが出来あがりました。

改 もうすぐ DSCF1687_convert_20161023181858


びっくりカメラ作りかた_convert_20161023200950

 何年かぶりです。作って行くにつれて、コツが見つかります。(そういえば前の時も…)という感じです。

改 コツ DSCF1689_convert_20161023181808

 きょうは U 君が休み、こんどは N チャンが欠席、今週は Yちゃんがいない―なかなか全員がそろいません。
 パックの紙は厚くてすべりますから、カッターの作業は大人で手助けしました。

改 並んだカメラ DSCF1697_convert_20161023182015

 23日のにちよう学校では、残った3人の作りかけのカメラを、みんなでお世話しながら完成させてしまいました。

改 合成 山田さん と のぞみちゃん_convert_20161023201906

改 合成 みなみちゃん と ののちゃん_convert_20161023191213

改 合成 ゆうくんと ユッキー_convert_20161023201934

改 安珠たち_convert_20161025185655

柊生と 敏喜 牛乳パックカメラ_convert_20161025193156

改 ごえんさん_と 村山さん_convert_20161023191303

 すぐ上が(↑)ごえんさんです。 お寺さんという意味の「ご院さん」が、なまった言葉です。いやがった生徒もありましたが、とにかく全員分を仕上げました。
 牛乳パックの紙は少しすべりますので、クレヨンやクレパスでハッキリと描くと、よく見えます。

改 シャッター用意!_DSCF1704_convert_20161023201954

このカメラはシャッターを引くと、「スコーン!」と小気味よい音とともに、画が現れるのが、いつも気持ち良いんです。

改 文字入り ついに完成 DSCF1706_convert_20161023182124

 さあ、あなたも作りたくなったでしょう? 細かいことはいつでもご相談にのりますよ。 メール・フォームから送信してください。

 【おまけ】 過去のカメラもすばらしいですよ。2007年と2011年のが写真で残っていました。

改 2007_字入り まいかちゃん ももちゃん_convert_20161024202102

改 2007_りょうくん ふたば_convert_20161024202848

改 2007 二人の姉妹_convert_20161024202136

駿君 井川ちひろと少女マンガ_convert_20161025201811

改 2007 全員分_convert_20161024202120

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改 2011_1023_恵理_くるみカメラ_convert_20161024202151

2011_10_24_あやか ひなた_convert_20161024203933


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遠くのご門徒のお内仏にも

 10月に入ると、遠方のご門徒のおとり越しがつぎつぎと勤まります。家庭で行う報恩講ですから、一軒残らず、お内仏の前に座って 「お正信偈と五十六億和讃、聖人一流のご文章」 をおつとめして来ます。
 中にはお仕事のつごうをやりくりして、にぎやかに待っていてくださるお宅もあります。

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 名古屋の南の方にお住まいの K さん宅もそんなお家です。右が私と同年のご主人、奥様です。左のおじいちゃんは93歳、2歳の 「ひ孫」 をだっこするおばあちゃんは、昔から見た目が変わられない印象です。お元気なころは浄勝寺まで二人で、何度も参られました。
 この写真を撮ってくださったのがお嫁さん。つまりここは4世代がいっしょに住んでおられる、すばらしいおうちなのです!
 ご主人はこのあと、私を熱田の駅までクルマで送り届けてから、会社に行かれたようです。私たちはお念仏で結ばれているんですね。なんまんだぶつ…。

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北海道から、ルーツの大野町へ

 今月14日は、一週間ほど前から気になっていた日でした。札幌に住んでおられる 松浦 Y さんが生まれて初めて大野町に来られることになっていたからです。
 数日前にかかったお電話のあと、親、祖父の戸籍資料などの下調べしたものを浄勝寺まで送って来られ、それを受けて私も時間を割いて、整理をしておいたのです。
 当日午後、大垣からバスに乗って大野町役場まで行かれ、そこで調べ物を済まされたあと、お電話をいただきました。
 せっかくですから、お祖父さんが出られた 相羽の土地を案内して、自由散策後、夕方にお寺に着かれました。
 グッドタイミングで夕方のお鐘(梵鐘)をつく時間でしたので、坊守の指導で、思い出に3つ4つ、ついてもらいました。初めての方にはめずらしく、強引な搗き方ではなく、非常に注意深くつかれました。

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 本堂に上がっていただいてお参り、庫裏にてじっくり資料の検討をすることができました。当日は大垣のホテルに泊まられて、翌日再度、相羽の土地を歩かれたそうです。
 「祖父が古いタンスの引出しに残したちょっとした資料が、なぜか、とても気になってきたので…」と言っておられました。 もうすぐ70歳、じぶんの総決算をし始めなければならない頃ですね。 Y さんも私たちも。


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(北海道のお正月でしょうか。御来訪の機縁となったお祖父さんの、在りし日。昔の人は端然として、写真に写されますね。何かに対する敬意をつねに持っておられたのだと思います。)

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  わたしと並んで、こころはればれ、の元・社長さん。

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さあ、おとり越しの季節です

 おとり越しが始まりました。越すというので、年を越す前のお参り、のように思っておられるかたもあるようです。あらかじめ先取りしてお勤めする、という意味です。親鸞聖人から仏縁をいただく法事である、「報恩講 」にお寺へ参る前の、自宅のお内仏で勤める報恩講です。
 なお、仏縁というのは、自分が仏様になる用意をするチャンス、準備ということですよ。

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 相羽の M さん宅、毎月のお定飯です。「花が咲く前の菊をしんに使いました」とのこと。よく工夫をされます。白はダリヤかな。
 花瓶(仏具では、かひん、といいます)がていねいな造りで、細かい彫り物がしてある高級品ですね。

改 脩司氏 はじめ WIN_20161006_002910_convert_20161015182247 改 脩司氏 ふやして WIN_20161006_205748_convert_20161015182144

 これはどうでしょうか? はじめに左のように立てられたのですが、物足りない気がして 紫のトルコキキョウと緑の葉を加えたら右のようになったということです。「どちらがいいか、選んでください。」というお便りが付いていました。私も困りました。
 さあ、みなさんなら、どっちを選びますか?? 
 青い色の花は孔雀アスター、黄色いのは柳葉ヒマワリでした。白い小菊がかわいいですね。

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 本巣市軽海でのお定飯、C さん宅です。前日の本山バス旅行のお疲れがあったので、お花を用意するだけの余裕がありませんでした、とのこと。「よくわかりますワ、ごえんさん(私)もそうです」という、お互いさまの会話でした。 ナンテン、コスモス、シオン、百日草、菊です。
 花瓶の左ミミのあたりが白いのは、画像の明るさを調整するさいの、ふてぎわです。ごめんなさい。心霊?ではありませんから。

改 ミニリンゴ RIMG1429_convert_20161015180338

 岐阜の S さん宅でご法事の床の間に、リンゴがなっていました!? ご主人は若い時からミニ盆栽に丹精を込めておられるので、ここにおうかがいするのが楽しみなのです。
 親戚兄弟の方々も、ここに集まるのがとてもうれしそうです。私もなんだか、楽しくなります。なぜなんでしょうね。

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これも S さん宅。こちらは「桃色カリガネソウ」という名前札が付いていたので、メモして来ました。花びらがクルンと突き出ているのが珍しいですね。

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 お寺の近くの M さん宅のお定飯で。床の間です。先月の掛け軸は取り外されて、秋の紅葉の風景の絵に替わっていました。よくきちんと替えなさる、といつも感心します。
 クジャクアスターかな。花器がすばらしいと思います。瀬戸物ではないようにへこんでいるのが、風流ですね。

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 すごい宇宙パワー?を感じました。相羽の K さん宅おじょうはんです。この季節の花、虎の尾(に似た花ですが…)とクジャクアスターです。浄勝寺の庭の孔雀アスターはここから分けていただいたものです。
 左手のギザギザした緑の葉っぱが…なんでしょうか? ―とおたずねしたら、外国・トルコのドングリの木の葉だとのこと。きっと、魔法のじゅうたんに乗って飛んで来たんでしょう。

改 賢一さん RIMG1457_convert_20161015180450

 相羽の K さん宅。濃い黄色の唐人草、黄色や赤の小菊、段菊、シオンと上に行ってフジバカマです。よく見ると色んな色が取りそろえてありましたが、きつい感じがなくて、なんとなくやさしい印象を受けますよね。

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 本巣市軽海でのおとり越し、N さん宅の床の間の掛け物です。どういう場面か、わかりますか?
  山の上から山伏たちが親鸞聖人を殺害しようと、狙っているところです。お寺の報恩講に読まれる『御伝鈔』に出てくるお話です。詳しくは、報恩講で聞いてください。
 このようにおとり越しは報恩講なのですから、親鸞聖人に関連する絵を掛けるのが、一番ていねいであります。あれば、ですが。

改 ちえさん宅 RIMG1466_convert_20161015181018

 これは、お手上げです。何でしょうか? 強烈なお仏花です。また百日草も、見たことが無いような、紅白だんだらの模様。本巣市軽海のおとり越しで T さん宅でした。
 いろんな花? があるんだなぁ…と感心して、お座敷にカメラを置き忘れてしまい、後から次の順番の家まで届けてもらいました。当家にはご迷惑をおかけしてしまいました。

改 洋一さん宅 RIMG1461_convert_20161015180602

 なんとなく 「りりしい」 でしょ。オレンジ色のマリーゴールド、白い夏菊、百日草、左下は孔雀アスターですね、と思ったら違いました。友禅菊というのだそうです。そういえば葉の形がちょっと違うかな…。
 リンドウと黄色の菊はお店のでしたが、白い細かい花は…そばに行ってよく観察すると、アレに似ています。「白いフジバカマですよ」 。へぇ―とため息が出ました。
 まだありました。上の方は「ああ、お寺にもあるぞ。ホトトギスでしょ」と言うと、「点々の模様の、いっぱい花が並んでいるのが、右のほうのホトトギス。上の方のホトトギスは、花びらが離れてついて、ヒラッとめくれたように咲いているでしょう。」 なぁるほど。2種あるのか。 ここでは珍しい花が見れます。軽海のおとり越し、E さん宅でした。


改 質問 IMG_20161015 市ノ坪町の松浦秀和_convert_20161015211907


 さて、最後は本日 はじめて 送信されてきた 岐阜・市ノ坪の H さん宅玄関の花です。花の名前を聞いてこられました。パソコンでの交流に初参加、有難うございます。
 みなさんなら、わかりますよね?
 今回の、本巣市軽海でのお定飯、C さん宅、前回の下方 M さん宅の花ではないでしょうか。ちょっと咲き切っていますね。Hさんご自身でこのブログのページをめくって、ご確認ください。
  ご門徒パワーのページですが、今回はほんとうに盛りだくさんでした。  以上です。

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たましいは苦しんで、ようやく浄化される…?

・『マンガ狂につける薬』 平成10年 1988年 初版
・『マンガ狂につける薬 二天一流篇』 2010年 初版 共に 呉 智英・著

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 こういう文章はこの人でないと書けない。マンガ案内というよりは読書案内です。この迫り方じしん、ワクワクしますね。
 たとえば、「日本人の心に滲みる無常観――『無頼侍(ぶらざむらい)』 鈴木マサカズ / 『大菩薩峠』 中里介山」 を一度に、関連させて、3ページくらいで論じるのです。
 魅力ある、読書案内でしょう? 
 私はといえば、20代の半ば、信州松本の古本屋で大菩薩峠の全巻揃えを入手したことが、なつかしい。赤い表紙の小さい本。表紙裏には横山大観の草原だったか、松林だったかのサラッとした単色―緑だったか―の絵が付いていて、いい気持ちで読み進みました。最近、古本屋に処分してしまったなぁ…やっぱり惜しかったなぁと貪欲が湧いてきました。

 さて呉智英の文章に動かされた私は、花輪和一のマンガを40年ぶりくらいで読みました。まず、
・『刑務所の中』 です。2000年初版 文庫版ではありません。

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 表紙ではなくて、これは口絵です。ドアの側から見た自分、窓の側から見た自分が裏表に印刷されています。すべて記憶で再現されたそうです。よく、思い出せますね。
 美しい、わかりやすい絵ですが、最初からこういう妙なしつこさが全開されていて、不気味でしょ。読み応え、十分です。

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『鵺(ぬえ)――新今昔物語』 花輪和一
・『不成仏霊童女』 花輪和一

 花輪クン(ちびまるこちゃん式に言えば)の作品に対しての気持ちは、呉智英とは、ちがってました。そもそも画風、絵柄の好き嫌いが激しいわたしと、まんべんなく目を通さねばならない立場の呉氏とは、スタートがちがっていました。やはり愛着の持てない画風でした。
 しかし、上の3冊で感得したこともあるのでした。たましいの法則と、地獄の意義です。

 どんな悪事もたましいに積み重なって行くのだから、早く殺したりしたら、たましいがつぐなう時間が少なくなり、結局地獄で長く苦しまなければならない…と考えておられるようでした。
 それがどの個所に書いてあったのか、自分の頭で読みとったことなのか、捜しきれませんでした。
 また地獄の実体化、視覚化に喜びを感じておられる花輪クンなのだろう、と思ったのでした。
 親鸞聖人の辺土往生と報土往生との違いとよく似た発想かとも思って読んでいました。 以上

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10月7日(金) 本山の伝灯法要に参拝

 朝の8時半に下方コミュニティーセンターの駐車場から、バスに乗って、京都西本願寺に参拝しました。揖斐郡からだけでも14台のバスが出ました。まん中が住職の私、何年ぶりかでネクタイを締めたら、どっちに細いほうを持つのか、分からなくなって10分もかかりました。

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 御本山に着いて記念撮影、お弁当、自由時間。午後から入場という日程です。

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 こんな感じ。本山は本堂が2つあります。山門から仰いで左側が御影堂(ごえいどう)、右が阿弥陀堂といいます。わたしたちは御影堂に誘導されました。全席がイスです。法要が始まったら、こんなフラッシュ撮影は禁止です。

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 前の人の頭で、おつとめは見えませんが、新しい御門主さまのお姿が、ディスプレイでくっきりとわかります。ここからは発光禁止で写してあります。

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 たいへん驚いたのがこの、「伝灯のつどい」という時間です。前門さまご夫妻、新・御門主さまご夫妻、そのお子様たち全員が、目の前に出てこられて、ちょっとしたインタビューやあいさつをなさったのでした。
 ディスプレイの中では今度の御門主、幼稚園児の坊や、ちょうど一歳になられた女の子、新・お裏方さまが並んでおられますね。ちょっと頭を上げれば、目の前に ホンモノ がおられるのでした。
 たいへんありがたいとは思いましたが、おつとめが終わるが早いか、着替えて家族一緒に毎日出るというのは、あまりに過酷でもあり、お子達にお気の毒でなりませんでした。なんまんだ仏…お子様方、どうか精神的に御無事であられますように…なんまんだぶ。

 新しいおつとめ (音楽法要 というらしい) は美しいメロディーでしたが、メロディーが表に出れば出るだけ、何という内容の和讃だったか心に残らないことが、よ~くわかりました。
 現在の和讃のご詠歌風の、単純なフシがあるだけでも、意味が取りにくいものです。美しく、正しく歌うことに集中している人にとっては、意味・内容などは初めから、ほとんど関心もないのでしょう。
 しかしメロディーが印象的であるほど、親鸞聖人のお心から遠く離されるこの傾向に、私はたいへん寂しさを感じています。

【補記】: メロディーと歌詞との乖離は日本のロック音楽史上の、ながい問題であったことを思い出します。知り合いのミュージシャンたちが「はっぴいえんど」の登場に狂喜したのは、私の20歳くらいのことでした。
 音楽をやっている人の中にも、コトバに対して鋭敏で健康な感性の持ち主がいるのだな、と認識を新たにした記憶があります。
 そう考えると、現在の宗門の音楽法要は、音楽的にまったく失敗であると言えるのかもしれません。

改 ご一行 DSCF1645_convert_20161009180956

 法要が終わって、帰りのバスに向かう我ら、ご一行です。お天気に恵まれ、暑いくらいでした。そういえば御影堂の中は扇風機が回っていました。

  購入した記念写真です。全体像だと顔の判別もなりませんから、2分割で。こんなメンバーで、こんな人数が集まれることは、そうありません。なんまんだぶ、なんまんだぶ。

左 2016_10_07_KYOUTO_convert_20161012194336右 2016_10_07_KYOUTO_convert_20161012194320
  みんな、晴ればれですね。浄勝寺 → 御本山 → お浄土 ”まちがいなし!”-- のような「気分」になれますね?。

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会葬のあいさつ ③

 とてもユニークなお人柄、力強い人生を送られたご門徒が半年ほど前に亡くなられました。そのときのご子息の ご会葬あいさつ がたいへん正直で、印象的でした。頂戴した原稿をいっしょに味わいましょう。岐阜市内での葬儀でした。

 本日はお忙しい中、父 M夫 のご会葬を賜りまして、誠にありがとうございます。
 また、生前中は、多大なるご厚情を頂戴し、亡き父に代わり、厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 父は、中学校卒業後、羽島の自転車店で9年間、丁稚奉公(でっちぼうこう)した後、25歳の時、本家の協力があって、今の場所に念願の店を持つことができました。

 その後、自動車整備士2級免許を取得し、オートバイを中心に、母といっしょに店を切り盛りしておりました。
 1973年の第一次オイルショック後 (私が小学校1年生の時) は、自転車・スクーター中心に店を改装して、地域に密着するかたちでなんとか軌道に乗ることが出来ました。

 その間に中学校のPTA会長を努める機会も与えられました。

 65歳を過ぎてからは、『職人の店』と自ら手書きの看板を掲げ、半世紀以上(53年間)お店を続けて来たことを喜んでいました。

改 看板 RIMG0194_convert_20161006160024 お店の看板


 しかし、2年半前に胃がんになり、仕事が趣味だといっていた店もたたみ、また大好きな酒もやめ、以前の力強さはなくなって行きました。
 半年前には介護施設に入りましたが、安全な環境で過ごしすぎた為、体力・気力が激減したようです。

 とうとう11日前、肺炎にかかり、救急で松波病院に運び込まれました。生前から「延命はしなくて良い。」と言われておりましたが、この時の救急処置が結果的には延命処置になってしまったことを、少し後悔しております。

 しかし、いつも私には、『若いうちにやりたいことはすべてやってきたから、人生は全うした。思い残すことはない。』と言っておりました。
 法名も『了』という字を使っていただき、さぞ満足(感謝)していると思います。

 これからは私も『人生を全うする』ということを、あらためて考え、家族で力を合あわせ、父のように『人生が全うできた』という境地に少しでも近づけるよう、努めて行きたいと思います。

 亡き父同様に、引き続き皆様の、ご指導ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。本日はお忙し中、誠にありがとうございました。


改 光夫 馬 RIMG0190_convert_20161006160040店内に飾られた自筆水彩画


改 光夫の絵 老船 1980_RIMG0193_convert_20161006160050自筆の水彩画 故郷の近く


           M夫さんは 満79歳余、享年81歳でした。

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