易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

2月のお花は、ありません?

 今月からまた、月参り(おじょうはん)が始まります。わが家のお内仏も、報恩講のころのお花を持たせるくらいで、なにもありません。
 そのつもりで、お参りに上がりますと、――

改 杉山ナオ DSCF1284_convert_20170225114630

 いやぁ、見るからに家できの菊があるではありませんか。どこにあったんですかと聞くと 「運よく木の下に隠れるように、あったんです。」と娘さんの返事。お花好きのお母さんだったからなぁ…と感心しました。相羽 N さん宅でした。
改 脩司氏 2月 DSCF1292_convert_20170225114559

 ここは毎月、たくさんのお花があふれているお宅。下方 M さん宅です。ところが、「今月は無理です。お内仏も買ってきたお花です」と写真を断られました。無理もありません。代わりに床の間を撮らせてもらいました。

改 桃の節句 DSCF1303_convert_20170225114501

 やはりどこも、お花に苦労される季節です。
 ここのお宅では、しかし縁先の紅梅が一枝、かわいらしく、楽しそうなすがたで、クリスマスローズといっしょに活けてありました。お雛様の飾りにぴったりですね。
 そういえば、うちにも本堂の裏にクリスマスローズがあるなぁと思い出しました。相羽 K さん宅です。

改 高橋さん床の間 DSCF1314_convert_20170225121258

 このお宅も同様でした。けれど床の間の掛け軸に気を配っていただきました。
 雪景色です。特別ではないでしょうが、いやみのない画調だと思いました。相羽 T さん宅でした。

改 厚子2月 DSCF1316_convert_20170225143233

 これはびっくり! つごもりに近づいて、とうとう自家製のお仏花に出会ったのです。
 相羽の A さん宅です。キンカンも 「あり」、なのでした。直真はロウバイです。「ロウバイも、もう最後の最後です」とおっしゃいます。
 うぅーん、なるほどなぁと感心しました。みなさん、頭が冴えておられますね!


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ことばにならない、光りのせかい ①

 むかし、むかしのことです。もういまから30年ほど前に、くるみ と なぎさ (ともに仮名)という名前のきょうだいの、小学生 (女子) がいました。
 いまではもう、この世にいません。はるか、かなたの時空に行ってしまいました。楳図かずお 『わたしは真悟』 の、さとるまりん、のように…。

楳図かずお_convert_20170219184842                       
 そのころの小学校では子どもはみんな 「生活ノート」 という連絡帳を持たされ、毎日ページの下段にちょっとした日記を書くことが義務付けられていました。わずか数行とはいえ毎日となると、さぞかしふたりとも苦労しただろうと思います。

 このほど、ふとした偶然でふたりのそのノートを見せてもらいましたら、そこはあふれる光の世界。光明の 「世界 」でした。わたしは思わず床(ゆか)に脚を折って、合掌し、礼拝(らいはい)をいたしました。なんまんだぶ、なんまんだぶ…
「ああ、ことばにならない世界が、ここで光り輝いていたのか!」
 わたしのおどろきと喜び、光りに対する敬愛を、みなさんにもお知らせするべく、今日から少しずつページを開き始めたいと思います。

 ● ゆめ  3年・ くるみ

  きのうの夜、くさいゆめをみました。
  わたしが子犬をだっこしていたら、急にうんこをしたゆめ
  です。
  そのときわたしは、スカートをはいていたから、きがえて
  せんたくきのところであらいました。
  朝、おかあさんに話したら、わらっていました。
  人のことだと思って~。

  ● どうしたら  6年・ なぎさ

 先生に質問します。もしなにか会を開くとして、だいすきな友だちとやるとします。そのことについてはなしていたら、どうしても好きになれない友だちが来て、「私も入れて」と言ってきたとします。
 その子は、さからうとものすごく仕返しがつよくて、私たちも断る勇気が出てこないというとき、どうしたらいいでしょう。先生の意見、かいて下さい。

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● 私のひみつ  4年・ くるみ

わたしのひみつを しっていますか。
だれにもひみつで、おしえてあげます。
わたし、仏さまに近いところに、ほくろがあるんです。すごいでしょ。


  ● マフラー  5年・ くるみ

   いま マフラーをあんでいる。
   わたしの早さだと
   春にしかできない。


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2月19日(日) 小倉百人一首

 先週は女子がいなかったのですが、きょうはたくさん来れました。滋賀の孫も来ていて、にぎやかでした。
 このところトランプや双六が続いたので、みんなで久しぶりに 百人一首 をしました。

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 「保育園ぼっこ」も、なかなかやるではありませんか! たまげました。いつの間に!…。だんだん白熱化します。

改 白熱 DSCF2425_convert_20170219213307

 結局、2年生がいちばん取れました(18枚)。
 がっくし…の U君でした。そばで大笑いしているごえんさんだって、3枚です。

改 がっくし DSCF2430_convert_20170219213327

 まぁまぁ、そうしょげずに。 宝箱のくじ引きをするから――。きげんがなおったようです。来週も来なさいよ。

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 このにちよう学校は おとなも入れます。子どもといっしょにお経をけいこしたり、子どもといっしょに遊んでみたいかたは、ぜひお越しください。7年生 になれます。
 毎週日曜日、朝8時からです。

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人は 智慧 によって、光によって、救われる!

・親鸞の『大無量寿経』(上)-「仏仏相念」の経ー羽田信生 著 樹心社

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 昨年十二月に、黒野のご門徒 M さん宅にお取越しに行ったとき、否応(いやおう)なく、「どうぞ、読んでください…。返すのはいつでもけっこうです。」と差し出された仏書です。
 ありがたい、と言うべきかもしれませんが… 毎田(まいだ)周一のお弟子の、羽田師だな…とわかると、気が重くなったのでした。

 それからもう、2か月がたちます。ようやく、台所の食卓の上で、読み終わった次第です。冬は机のある部屋が寒いので、食事の前後にちょびっとずつ、読んでいるのです。

 自分の本ではありませんから、いつものように鉛筆の書き込みが出来ないため、カラーの付箋(ふせん)を多用しました。樹心社の書籍にしてはめずらしく、やわらかい表紙、ソフトカバーですが、なにせ360ページもあるので、気が遠くなりました。

 しかし「まえがき」を開くと、驚くべき動機が書かれていました。こんなふうにストレートに親鸞聖人に立ち向かった人は、聞いたことがありません。まぁ、いちど、その一部を読んでみてください。

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 『教行信証』についての苦(にが)い思いは、わたしも同様で、よく分かります。30歳のころお寺に帰って来て、住職の資格も取ったあとが苦しかったです。
 親鸞聖人のお心(著書のこと)も分からないし、信心というものも見当が付かず、しかもそれでも住職の正式の資格が手に入ってしまうなんて、「まったく順序がまちがっている!」 「これって、詐欺師になったようなものだ…」と悩んだのでした。

 そのあと、たまたま明師に遇うことができ、また北方町の西順寺というお寺の御住職であった、三浦乗雲師 (みうらじょううん:父と同じくらいの年齢。故人)にやさしく誘われたのが、「教行信証の輪読会」という場所でした。
 三浦師というかたはきわめて反権力の思いが強い方で(正義感が強いということ)、すなわち自由を尊重される (= 本山・宗門の内部でだけ通用する解釈を嫌われた、公平な知識人ということ。)方でしたから、同じ思いの私にとっては居心地のよい集いでした。そこでは、――おっと、思い出話に脱線しました。
 
 羽田師は小生より三歳年長、東京外語露文科卒の方でした。学歴について述べるのは「本山の学校、教育機関を出ていない人」に、私はある期待を持っているからです。

 一般人の知性でも理解できる、納得できる浄土真宗というものが、一般大学卒の人も参加することで、新たに切り開かれるだろうと、わたしは願い続けてきたのです。
 不思議なことに、期待はみな裏切られてしまいました。せっかく世間の大学を出られたのに、お寺に入られると、どのかたもいつの間にか、 「本山式の発想、宗門型の理解。アリガタイ」 に変容なさるのです!? お坊さんの自発的マインド・コントロール?。 恐ろしい。三浦さんのいら立ちが、よく理解できるようになりました。
 
 さて、この本は在家の求道集団である光明団(本部:広島。九州には巌松会館もある)の方々が師をアメリカからお招きしての連続講話の記録です。
 二,三年前の 月刊『光明』誌上で赤宗氏というかたが、「大経は諸仏供養うんぬん」というお話をされたという会員の記事を読み、「変った理解をする人が現れたなぁ」とものすごく気になっていたのですが、なんのことはありません、羽田師を招かれ、この本の編集者でもあったのが、その赤宗氏でした。これで糸がつながりました。やっぱり読まねばならない本だったのです!。

 わたしは浄土真宗のお話や本で、「光」について、「智慧」について、また「おいわれ」について、きちんとした説明を読んだことも、聞いたことも、ありませんでした。
 しかしこの本では、明解すぎるほどはっきりとした解釈が示されます。すばらしい思索力です。

 なんといっても あの毎田周一 の弟子ですから――子弟は波長が合うものです!――ものすごい、チカラわざで論理を一貫させて行かれます。
 浄土真宗の僧侶なら、一読すべき本ではないでしょうか。苦しかったのですが、良かったです。M さん、ありがとう。

 惜しいのは、編集。末尾にある 『公開講座』の記録 を、先頭に持ってくるべきだと思いました。読む機会のある方は、ぜひとも公開講座から読み進められることを、おすすめします。お値段は、しっかりします。2800円+ 税。
 わたしは、自分でも一冊購入しました。もういちど、検討したいのです。読み物のお礼は、まず 読む ことですね。

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なるほど。こう来たか…

 信じられないかもしれませんが、先月にはこんな本も読みました。

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 表紙は買う前の想像と違って、今どきの、きれいな甘いデザインでした。新聞広告の 内容紹介 がとてもわたしを引きつけたからです。

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 これは2回目の新聞広告。1回目の著者写真が迫力があって、スゴイ!人相と、感心したのですが、広告を切り抜くのを忘れました。顔写真が差し替えられていて、恐ろしいオーラが消えていました。残念でした。項目の文は同じだと思います。

 この本のキー・ワードは「あの世とのホットライン」、そうか、いまはこんなふうに言うのか! そのセンスに驚嘆しました。
 また、日本人の霊魂観を現代的に洗練させると、こうなるというヒントが満載でした。私の中の仏教理解とすり合わせもしてみました。
 陸前地震を的中させたとのことですが、著者の「私は、書いたことが“当たる”のを少しもうれしいとは思いません。」ということばに、ものすごい自信を感じました。

 宗教はある意味で、ことばにならない、繊細な、直覚の世界です。このかたもまた、私とは ずれた場所ですが、異様な直感に従って、すなおに生きてこられたようです。
 けっして「聞いてビックリ」ではなく、「やっぱりそうか」という気分で読んだ本です。以上、私の武者修行の報告です。

【お詫び】 1月24日の法語の記事中、『報恩講私記』の文の訳は、まちがいがありました。私の先入観で読んでいました。すみません。盲亀浮木(もうきふぼく)の譬(たと)えーの読み方について、です。
 訂正しておきましたので、気になるかたは、ごめんどうですが、もどってご再読ください。


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コメントにお答えします

 1月の報恩講の記事について、コメントをいただいていました。 「親鸞上人、蓮如上人の書物はどういうのを拝読したら良いのでしょうか。」――です。

 なんども仮想の回答を用意したのですが、私には、どうも手に余ります。そのつど握りつぶして、 UP しませんでした。しかし放置するのは、問うてくださった方に失礼ですから、ここらで思い切ってお返事をこころみたいと思います。

 親鸞聖人や蓮如上人の書かれたものを一括して、「お聖教(おしょうぎょう)」といいます。聖なる教科書、といった意味でしょうか。
 一冊ずつの本もいっぱいありますが、主要な書物がみんな収められている便利な、分厚い一冊というものもあるのです。
  お西の場合なら、『浄土真宗聖典』(じょうどしんしゅう・せいてん)。お東なら『真宗聖典』というものです。浄土真宗聖典(註釈版第二版) 定価:税込 ¥5,616 です。安い。その現代語訳もほぼ、出版されています。

 汚くしていますが、お目にかけましょう。

第1版 聖典_convert_20170203121852 昭和63年発行 第1版 浄土真宗聖典。脚注があります。改定版まで使ったもの。

第2版_convert_20170203133454
 第2版 現行のもの。使用中。

お東聖典_convert_20170203122005 昭和53年発行お東の真宗聖典。三部経の原文付き。活字は黒

島地聖典_convert_20170203121942
初版は大正8年、私のは昭和55年訂正46版、島地大等編の『聖典 浄土真宗』。東西の僧侶が共通に使ったものです。なつかしい。本山のが刊行されるまで使用。造本の格調高い。

 真宗門徒ならだれでも手元に置いておいて、ご法話を聞いた後で、ホントにその本に書いてあるのか? どのあたりに出ているのか? ――とそのつどこまめに、「確認」をしたり、「調べ」たり、「自分なりに読み込んだり」するものです。
 お西の聖典は、本文の下に語句の注釈が付いていて、親切です。万人に公開されているのです。

 さて、これからが大事な話なのですが、心配なのは古い時代の書物を読めるか、古文が読めるか、という問題ではありません。 
 今の今まで、あなたは現代語で書いてあるものであっても、本当に胸の奥深くで味わった物語とか小説とかに出会った経験があるのか? 書いた人と直接会っているような気持ちを味わったことがあるのか?  ということです。
 まずは基本的に 読書力 が必要であります。

 読書がスキ、たくさん読んだ、といっても、「通俗小説、娯楽小説しか読んだことが無い」 「難しいのも読んだことがあるけど、よう解らなかった…」というような読書体験しかなかったのなら、まだ仏教書は読まない方が良い、と思います。

 仏教の書物は、とてもムツカシイのです! しかも、もっと重要なことは センサイ なのです! とくに親鸞聖人の場合は。
 

 世の中には、難しい文が平気な人間もおられますが、そういう人は理屈を言うのが好きな人であって、理論や哲学的な世界に溺(おぼ)れてしまいます。それは多くの場合「センサイな感覚」を無視しておられるからではないでしょうか。
 今も浄土真宗の世界(学者)では、細々したこれ見よがしな学説と、無神経で難解な説明とが、ハバをきかせているのは、そういう理由があるからだと、私は見ています。自己愛があって、慈悲が無い。
 
 繊細な感覚を身に付けたうえで仏教にぶつかる、すなおに読みとる、ということが過去から現在まで、いちばんなされてこなかったように思います。日本の既成仏教の盲点であり弱点でしょうね。

 ですからみなさん、さいわいにも仏教に関心のある方は、仏教 感覚 を磨く、研ぎ澄ますことを最優先で生きていただきたいものです。

 そういう意味で、わたしはここに2,3の物語を挙げて、これこそが仏教感覚そのものであると、私の人生全体を賭けて、思い切って断言してみたいのです。

1 浜田広介 泣いた赤鬼
2 宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ
3        洞熊学校を卒業した三人
4        貝の火            以上

 宮沢賢治は日蓮宗に傾倒した人のように言われたりしますが、そういうおおざっぱな、表面だけを見た意見は無視することです。彼こそは浄土真宗に一番近いおかた、妙好人そのもの、と私は思っています。

 さて、これらをじっくり読んでみて、その世界から聞こえてくる、熱い声……がじゅうぶんに聞きとれるかどうかが、親鸞聖人に出会うための最初の関門であります。まず、おのれの感性を鍛えましょう!
 どうでしょうか? 私にも意外な結論となりました。 これで、ごめんしてください。 なんまんだぶ、なんまんだぶ…

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