易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

9月のお仏花、床の間

 秋らしいさらりとしたお天気に恵まれています。あっという間に、9月は過去になっています。ふり返りましょう。

改 9月堀さん DSCF2105_convert_20170930201304

 相羽の M さん宅のお定飯です。おばあちゃんが、体がしんどいところをよく、立てておられます。
 百日草とミソハギは先月と同じですが、黄色の菊が加わりました。家に、あるもので、立てる…これで良いのではないでしょうか。

改 澤弘子さん9月 DSCF2152_convert_20170930201932

 黒野の H さん宅、ご命日の一巻参りです。
 ご主人のご命日、子供さんのご命日に、かならず毎年、私とともにお経を読まれます。毎月のお定飯ではありませんが、なかなかこういう、進んで「死者をとむらう」「御供養する」という気持ちのやさしいかたは、少ないです。
 「浄土真宗では供養と言わない!」などと、えらそうにいわれる僧侶もありますが、やさしい気持ちをぬきにして宗教は語れませんね。これは自戒でもあります。なんまんだぶつ、なんまんだぶ。
 うすい紫のカクトラノオ、濃い紫と朱色ののセンニチコウ、百日草はすぐわかりますが、あとの花がめずらしいです。
 シュッと左右高く伸びるのは、水引き。チョコレート色のはワレモコウ(バラ科)。左手のツブツブしているのは、まだ色づかない紫式部です。さすがにお花を大事にしておられる H さんですね。

改 豊明さん9月 IMG_20170914_090924_convert_20170930202144

 毎月のお定飯を勤められる、北方町の K さん宅です。《おんさい広場》からの調達で、ご自分でお花を立てて下さいます。則天門のお花の経験が生きていました。
 リンドウは華やかですね。

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 お恥ずかしや、わが家のお内仏の花です。
 黄色いのは団子菊という、丈夫な花です。シュウカイドウの花は大好きなのですが、近年グンと減ってしまって、ほんの僅かになりました。しかも日照りでちじんでいます。なんとか、一つだけお供え出来ました。

改 家内安全 DSCF2164_convert_20170930202329

 岐阜市のお取越しが始まりました。
 A さんの床の間の鬼灯(ほおずき)は、故郷の今島(こんじま:山県市の奥)に行って、自生の物を取って来られたのだそうです。今どき、レアですね。
 白のシュウメイ菊はご自宅の。今年はじめて咲いた、第1号とか。

改 加藤功 IMG_20170924_121618_convert_20170930202437

 これは「お仏花」のジャンルに入るのかなぁ、と迷っています。お内仏の脇の床の間の飾りなのですが、七夕なんです。
 笹の葉が目を引きました。小さな短冊もかかり、「愛唱歌、楽しく唄う― 云々」と全文をぜひ読みたかったのですが、「やめて」と静止されました。(笑い)
 上の方の赤い紙には DAISO と見えます。という事は…飾らないお人柄です。岐阜の K さん宅お取越しでした。

改 9月由利子 DSCF2239_convert_20170930225441

 相羽の Y さん宅のお定飯です。上から紫苑、珍しい色の百日草、マリーゴールドですね。マリーゴールドは小さいのに、迫力のある、色に厚みがある花ですね。花の色、全体のかたちを、とても気を使ってまとめておられるようです。力を感じます。

改 古田義美床の間 IMG_20170926_094914_convert_20170930202515

 これまたユニークな床の間の飾りですね。大理石の敷き板、折り紙細工のお花。ううん、むむ、芸術というべきでしょうか。
 この根気のよい、きちんとした紙の細工は、奥様が何年も、書店で買われた本を先生に、独学で、折り続けておられるものです。
 「ボケ防止に」とのことでした。若々しい、岐阜市 M さん宅でのお取越しです。

改 安達正之お仏花 IMG_20170928_105954_BURST001_COVER_convert_20170930202552

 やっとお内仏にもどれました。孔雀アスターではありませんか。わが家でもきのう今日、この花が咲き始めたところです。
 とても快活な奥様が張り切ってお仏花を用意して、お待ちでした。
 ご主人は自力でパソコンを使われるかたです。このブログも欠かさずチェックしておられるそうです。ありがとう! 
 しかもお子達から「スマホにしろ、スマホにしろ」とせっつかれて、迷っておられるところでしたので、私も格安スマホを見せて「ぜひ、そうなさい」とアドバイスしました。話が弾んでしまい、次の家に遅刻しそうになりました。あれ? カレンダーを渡し忘れたかな?
 岐阜の A 家でのお取越しでした。

改 曻9月 DSCF2244_convert_20170930225412

 相羽の N さん宅お定飯のお仏花です。こんな可愛らしい、とても美しいピンクのダリヤをお持ちなんですね。
 うちではもう消えてしまったキキョウが、この家ではまだありました。いちばん後ろの真は高野マキのようです。

改 若原良章床の間 IMG_20170930_094140_convert_20170930203425

 何か、わかりますか? 夏の絽の帯をほどいて作られた、オリジナル掛け物です。当家の奥様の作品。蝶は銀糸の刺繍です。「亡き母の遺品ですが、自分が着物を着ることは無いだろうと思って…」 こんな飾りに使っておられました。
 似合いそうなのに、とわたし的には残念でした。岐阜市の Y さん宅でのお取越しでした。

改 澤博昭 萩 DSCF2246_convert_20170930203445

 9月の最終日、岐阜市の S さん宅のお取越し。いつもここの家の床の間が楽しみなんです。掛け軸、ではありません。その前に置かれる、ご主人のミニ盆栽が、です。
 残念なことに、S さんは住職と同い年なんですが、まったくインターネットが接続されていないのです。パソコン自体は何台目かをお使いなんですが。つくづく、人間の事情はいろいろだなぁ…と。
 今回は秋の代表、萩の花でした。

 床の間があっても、何もかざらないのに比べれば、やっぱり何かちょっと工夫をしておくと、楽しいように思います。お参りのお供えのひとつかな、と思います。さて、10月という未来が、現在になりました。
 

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寺報 165 現代人のための信心のすすめ

寺報 秋彼岸
  題字下
【住職法話】現代人のための信心のすすめ   ⇒ユーチューブ

      タンニショウ
 《 ある先生がこんなことをおっしゃった。「最近は話を聞く人はあっても、道を聞く人は少ないな。」。

 歎異抄(たんにしょう)というお書物、お聖教(しょうぎょう)がございます。みなさん、名前くらいは聞いたことがあるかな。
 この歎異抄というのは、御開山(ごかいさん)、親鸞聖人(しょうにん)さまのお言葉を、お弟子の唯円(ゆいえん)というかたが書きとどめられて、まとめられたお書物(しょもつ)でございます。親鸞)聖人(しょうにん)さまのお言葉やね。

 その歎異抄(たんにしょう)の中に、こういうことが書いてある。
 「おのおの十余(じゅうよ)か国のさかいを越(こ)えて、身命(しんみょう)をかえりみずして、たずね来たらしめたもう御(おん)こころざし、ひとえに、往生(おうじょう)極楽(ごくらく)の道を、問い聞かんがためなり。」―こう、ございます。(第2条)

    親鸞聖人のお弟子たち
 これ、どういうことか言うたら、みなさんがたもご承知のことやろと思いますけれども、親鸞聖人(しょうにん)さまは、29歳で比叡山(ひえいざん)を下りられて法然上人(ほうねんしょうにん)さまのもとへ入られて、
35歳の時にご流(る)罪(ざい)になられます。越後(えちご)へ流されますが、その後、関東の方へ行かれるんですね。40過ぎたころ。で、20年あまり関東でご教化(きょうけ)、御苦労(ごくろう)なさった。

 60過ぎてから、生れ故郷の京都へ、また帰られた。ということは、関東で20年間お過ごしの間に、お念仏のお仲間、お同行(どうぎょう)がたくさん出来たんですね。
 20年たって御開山、親鸞聖人さまが京都へ帰られましたときに、その後関東のお同行(どうぎょう)が、はるばる京都の親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)さまのもとをお訪ねになったときのことなんです。

    くにざかいを越(こ)えて
 ですから、「おのおの十余(じゅうよ)か国(こく)のさかいを越(こ)えて、」――関東、だいたい今の茨城県、昔でいうたら常陸(ひたち)の国や。常陸(ひたち)から京都・山城(やましろ)の国まで、―常陸(ひたち)―下総(しもうさ)―武蔵―相模(さがみ)―伊豆―駿河(するが)―遠江(とおとうみ)―三河―尾張―伊勢―近江(おうみ)―山城(やましろ)……まちがわずに言えました。(笑い)国が十二あるんですね。だから国境(ざか)いは十一あるわけや。

 今のように新幹線があるわけじゃない、自動車があるわけじゃない、飛行機があるわけじゃない。歩いて行くんですから、命がけだったんです。だから「身命(しんみょう)をかえりみずして」と、命がけで歩いて訪ねて行った、その御(おん)こころざしは、何のためか。

改 午前の先生 vlcsnap-2017-07-02-12h33m24s544_convert_20170925104029

     仏教で自分が救われる 
 「身命(しんみょう)をかえりみずして、たずね来たらしめたもう御(おん)こころざし、」――何のためかというたら、「ひとえに、往生極楽の『道』を、問い聞かんがためなり。」と、こう書いてある。話を聞きに来たんじゃなかった。往生極楽の道を尋(たず)ねて来た。聞きに来た。
 往生極楽の道とは、この私が、救われて行く道理、その道すじを聞くんです。それを尋(たず)ねて来たんや。はるばる関東・茨城県から京都まで、歩いてたずねて来たんです。はなし聞くためやなかったんですな。

 この私が、どうやったら救われるか。そのこと一つを聞きに、はるばる命かけて歩いて来られた同行(どうぎょう)が当時、おったんです。》 ―――これは6月に来ていただいた、赤松(あかまつ)円心(えんしん)先生の、とても精密(せいみつ)なお話のほんの一部です。ユーチューブに上げてありますから、ぜひとも全部を見て、味わい、考えて下さい。

   この世で救われるべきもの―スピリチュアル・ペイン
 ところで、この「往生極楽の道」というのは、死んでから極楽へ行くこと自体を目標にするという、まるで観光旅行の予約のようなことではありません。
 このごろ高齢者や認知症(にんちしょう)の方に対して、「傾聴(けいちょう)ボランティア」という介護(かいご)を長いあいだ続けておられる方の手記を読む機会があって、それがいっそうハッキリしました。

 新潟の耕雲庵(こううんあん)という所で坐禅を組んでおられる、櫛谷宗則(くしやしゅうそく)さんという老師がおられます。その和尚さまが2年もの月日を費やして一冊の文集を制作するという、ふしぎな、誇り高い仕事を30年以上続けておられます。題して 『共に育つ』、現在16冊目…。
 その14号(2013) に掲載された、京都にお住まいの坐禅の人・大藪利男様の 「傾聴ボランティアとして―老いの現場から考える」を一読して、深く考えさせられました。
 十幾年もの長きにわたり老人の声を聞き続けてこられて、苦しむ人の人間はだれもが「じぶんの現実を受け容(い)れられない」「背負(せお)った苦しみの意味が明らかにできない」、そういう根源的な苦悩がどなたにもあると言われるのです。

     四苦のうち、生苦とは
 そして、「この問いは、老いや死がせっぱつまる終末期(ターミナル)の中で先鋭化し、より切実になってくるのだと思います。」 と言われます。いかがでしょうか。
 わが身をふりかえれば、どこに訴えていいのかさえ分からない、じぶん自身のスピリチュアル・ペインに苦しんできた十代、二十代…。死ぬに死ねないいらだちと怒りにまみれながら、仏法と法友に出会ったようにさえ、思います。

 浄土真宗の教えの特徴は、現生正定聚(げんしょう しょうじょうじゅ)といわれます。生きている間に、到達すべきところに、まちがいなく到達することが、御開山(ごかいさん)の信心の栄光であり、テーマでありました。
 お釈迦様の教えである生・老・病・死の四苦の中で、もっとも理解しにくい「生」苦(しょうく) とは、これを指しているのかも知れません。なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。【平成二十九年九月二十四日 浄勝寺住職・村上敏喜 拝記】


* 今号の印刷物《浄勝寺だより》は時間的、印刷上のわけがあり、最後の章があまりにも不十分でした。このWEB 版では、思考を分かりやすく明示するため、書き足しました。

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9月20日(水) 秋彼岸永代経法要

 ようやくさわやかな、秋冷の候を迎えました。
 前日は、朝からずっとお仏花の用意をしていました。まだまだ昼間はけっこう暑いのでお花も傷みが早いし、家のお花の種類もごく少ないので、小菊だけは前々日から4、5束買って来て、間に合せました。

改 正面ストロボ三脚 DSCF2214_convert_20170920221948

 正面、ご本尊前です。上の純白は花ミョウガ、薄紫が紫苑、もう最後、色が抜け始めています。黄色が団子菊。右上に飛び出しているのが秋の七草のフジバカマ、右の丸まったピンクがシュウメイ菊。すその黄緑は雪柳です。これらだけが、お寺のお花畑にあったものです。あとは小菊。

改 お軸前 DSCF2216_convert_20170920221652

 正面に次いで、おそらく注視されるところ、法名軸の前です。紫苑をメインに活けました。花ミョウガが心配、明日まで持ってくれよ、と言い聞かせておきました。

 後ろの法名軸は先先代(明治から大正)の筆跡です。このごろあちらこちらのお寺へ行くとみられる、 「法名も、俗名も、没年も、享年も」 と欲ばった書き方ではなくて、法名しか書いてありませんので、とてもすっきり見えますね。字というものは余白が多いときれい―とエラソウに言えるような自分ではありませんが。

改 御開山 ストロボ三脚 DSCF2212_convert_20170920221714

 御開山前はいちばん暗い場所なので、ストロボ・三脚を併用しました。少しでも明るい、白っぽい花が良いだろうと思って、白の彼岸花を取って来て使いました。
 お供えの花ではないのでしょうが、ルール無視で、つべこべ言わず突進あるのみです。残り時間も無いし、私の体力も尽きて来ますから。いちばん上の方と下の方に見えると思います。

改 御代前 DSCF2215_convert_20170920221737

 ご代前、うちのお寺では覚如さまと蓮如さまの連座像です。ヤバネススキと千日紅を加えて、雰囲気を変えてみました。なかなか思うようにはいかず、すそのセンニチコウは、当日朝には、だらりです。もう知りません。やることは他にもいっぱいあります。

改 小座敷 DSCF2223_convert_20170920221907
 お客僧の控えの、小座敷です。手前になるヤバネススキをもっと、低くすべきでした。

改 段菊一輪 DSCF2598_convert_20170921162405

 境内にやっと、一輪だけ咲いた段菊をトイレの前に持ってきました。葉の量を調整してみました。

改 廊下 DSCF2198_convert_20170921164549

 渡り廊下。残りの花のやり繰りという状態です。まだ、庫裡の玄関、お内仏とあったのですが、撮影忘れということにしましょう。いつの間にか日が落ちてしまいました。

 さて、翌日の法要です。

改 字入り 法名軸前 DSCF2219_convert_20170920221807

 読経中に、永代経志納者、役員、参詣者、全員と、前にお焼香に出てもらいました。

 秦(はた)先生は連日予定びっしりの人気講師です。この夏には北海道札幌別院のご招待で、飛行機で法話に行かれたほどです。
 この先生のすごいところは、お説教といった晴れ舞台だけを回っておられないことです。これは、珍しい。日曜学校も、毎週、一年中開いて、遠足にも京都参拝にもみずから引率されておられるのです。
 まぁ、とにかく、8月のご自坊の予定を見て下さい。
    (こっそりですよ)
5日(土)朝6:15 組(そ)の暁天講座へ出席。
6日(日)朝6:15暁天講座で別のお寺に出席 8:00日曜学校、門徒さんのすすはらい作業、午後1:00おみがき 
11日(金)朝4:00総代・責任役員とお墓参り準備 
12日(土)朝5:30お墓参りお勤め2つと法話 午後12:10他所お墓参りお勤めと法話。 
13日(日)朝8:00日曜学校 10:00他2か寺の墓参り法話へ 午後6:30若葉会主催夕涼み花火大会 歌手のショー、屋台 
14日(月)午後1:00お盆のおつとめ 
19~20日(土日1泊)日曜学校夏の集い 土曜午後1:00開会日曜午後2:00解散 
27日(日)日曜学校 夜:朋の会 
28日(月)午前10:00親鸞聖人ご命日の集い 
30日(水)午後2:00合唱団練習会

 これは―、すごいでしょう? 私も書き写すのがしんどくなりました。しかも毎月、このような日程が発表される 『明徳寺報』 まで執筆印刷され、全戸配布しておられるのです。とても真似が出来ません…。

 今回は 「仏法を主(あるじ)とし、世間を客人とせよ」 という講題で、濃い内容のお話をしていただきました。

改 全体 住職席 DSCF2599_convert_20170920221844

 イス席の参詣者も多くなりましたので、畳がいたまないように専用のカーペットを増設して敷きました。前よりすっきりしたかな?

改 住職も 20170920183706_convert_20170920222016

 後ろから見ると、ほら、こんなふうだそうです。住職は腰痛でした。(これのみ i Phone 7で)

 開闢法要(かいびゃく:開始)のかたへのおトキは、
 ・煮物皿…ごぼう、かぼちゃ、しいたけ、里芋、紅葉麩に白和えと漬物。
 ・天ぷら皿…青紫蘇、ごぼう、薩摩芋、赤ショウガ、くり、生麩、蓮根すりおろし、天つゆ。
 ・おつぼ…手製ごま豆腐
 ・お吸い物…ひじき、銀杏のひりょうず、青菜、椎茸、柚子。
 ・栗ご飯(黒野のご門徒宅でとれた初物のクリです)
 ・デザート…梅寒天、いちじく、梨。
 ・お持ち帰り…きつね寿司(山椒味、がり味)

 お客僧さまと住職もこれに準じたご馳走をいただきました。とても食べ切れないほどでした、ごちそうさまでした。制作現場(お勝手)は大忙しで、写真を撮る時間がなかったそうです。以上、彼岸会・永代経の法要でした。午後4時終了。

    お礼状です。午後のお話から――
彼岸会礼状9月_convert_20170922212232


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赤松先生のビデオ、公開。

 6月のお説教の当日、たくさんの方からご要望があった「ごえんさんの撮っておられるビデオを後日、見せてほしい。」との、うれしいお声。しかしお彼岸が終わるとお取り越しが始まるため、なかなか上映会も開けないと思います。
 そこで、各人にパソコンで見てもらえるように、ユーチューブに上げる(投稿)することにしました。

 ただ、先生がいやだと渋られたら、あきらめなければならないな…と考えていたのですが、とうとうお許しが出ました。

 赤松先生曰(いわ)く
 《略――ユーチューブでこうしたご縁が出来たことですし、9月2日のブログに 『ただひたすらじぶんがたどりつつある仏教理解を、どの方面にも遠慮せず、隠さず、あまさずにオープンにし、むきだしに公開しようとしているだけです。』 とありましたので、その姿勢を学ぼうと思います。――略》 と寛容に 《公開の件はおまかせいたします》書いてくださいました。

 共に学び合い、共に育つのが仏法の世界、とは、30年前に米沢先生からいただいたお葉書にあった、私へのご注意のことば。いま現在、味わうことが出来ました。

 私とて、じぶんの自信を見せるためにさらけ出すつもりではなく、あいまいにして続いている仏教の、とりわけ信仰の世界(風光などという表現が流行った時代もありました)を求める歩みを、小さな狭い心の自分でも標本のようにさらせば、何かがよりいっそうはっきりしてゆく気がするのです。

 私は節談説教の愛好家というわけではありませんが、節談説教の2つのポイント、ていねいに練られた台本の重要なこと、それゆえに自分の信心を強く自己確認しなければならないことこそ、現代の法話の弱点である――わが信心をぬきにしたお説教―を越える道をそれとなく示しているように思います。

 ビデオでのテロップは人名などだけ、仏教のお話に不慣れな方のために付けておきました。仏教用語には付けませんでした。黒板なしでお話を聞くのが、高座説教の基本だからです。

 録画終了後、ちょっとした手違いで、録画映像を全部消してしまうという、とんでもないミスを仕出かしました。結局、有料と無料の2つのソフトを使って「ファイル復旧」を試み、それらを辛抱強く結合また分割する作業をくりかえした次第です。
 そのため音声や映像でちょっと不自然な個所があると思います。見て下さる皆さんにも、先生にもお詫びします。

改 赤松師 手を vlcsnap-2017-09-18-12h21m19s691_convert_20170918232316

 前席50分、後席30分ほどの大熱演、大サービスです。よく練られ、慎重に言葉を選ばれ、現代人を強く意識された例話で満載の原稿だったと、私は感服しています。
 ふつうの門徒さんの耳にもなんら違和感を感じさせない、くどくない節談で、現代人に信心をすっきりとすすめることに成功されておられます。真宗門徒なら必見のビデオだと思います。
●ユーチューブへ⇒ 現代人のための 信心のすすめ 上


●ここで見たい方は、



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お盆から9月へのお仏花

 お盆が過ぎてもむし暑い日が続き、雨もよく降りました。総じて暑い夏だったという印象でしたね。
 では、お盆過ぎからのお仏花をもういちど味わいましょう。

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 買って来られたお花ですが、ていねいにご自身で立てられたお仏花です。焦げ茶色のおもしろいずんぐりしたものが、てっぺんにあります。何だろうなぁ…とずっとわからなかったのですが、その下の黄色の花を調べていると、気が付きました
 中心が黒っぽい花がルドベキア。その花が散ってタネとなったのが、このズングリむっくりのようです。なんだか笑いがこみ上げてきました。
 ほおずきは鬼灯とも書くくらいで、霊魂を迎える「提灯(ちょうちん)」を暗示するのでしょうね。お墓に提灯を飾る、このあたりでは紅白にして、というのもおそらく、灯がともっている提灯をイメージしやすいからだと、私は推察しています。
 相羽の N さん宅です。
 【追記】ーと思いきや、後日お花の好きな方に写真を見てもらうと「これは千日紅の咲き終わりとちがう?。うちの庭で見て下さい。」と言われ、外に出ましたら、今度はそのそばにある百日草の咲き終わりと似ているような気がして来ました。いったい、何でしょうね。

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 白いユリ、薄紫の小花がついた カクトラノオ(角虎の尾)、白にオレンジ、ピンクのグラデーションが目を引く、百日草。さすがに華やかですが、これは種を買って蒔かれたんだそうです。
 オレンジの玉が付いているのは、薮などの近くに生えているフユサンゴ(冬珊瑚)でした。花器も立派ですね。
 相羽の Y さん宅です。

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 うちの花畑にも紫苑が咲き始めたので、住職がそれをお仏花にしてみました。
白さが美しいのは、クチナシの花です。春に咲いたのですが、また花が付きました。うれしいです。
 キキョウはちょっと勢いがないですね。左手のきみどりの葉は、レモンバームとかいう、極めて丈夫な香草です。葉っぱを指の先で揉むと、レモンの香りがプーンとします。幸せな気分がお手ごろに味わえます。ご希望の方はいつでも差し上げます。

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 「とうとう菊が咲き始めました!」とのこと。濃いえんじ色に白の縁取りがあって二色咲きですから、すぐ分かります。調べましたら、「セザンヌ」という鉢植え用の品種のようです。
 黄色い花は黄金 (コガネ) タヌキ豆、紫のキキョウ、微妙に色の違いがある百日草とユリでした。相羽の A さん宅です。

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 今月は坊守の母親の法事をつとめました。ヤバネススキ、シオン、ムクゲの投げ入れの上には、故人の若かりしころの家族写真を探し出して、A2 に大きく引き延ばして飾ってみました。
 故人をしのぶ、という時には、老化して弱られてからの写真ばかりではなく、元気の良かったころの写真もいいのではないでしょうか。昭和33年ころの停車場のようです。

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 そのとき家族から評判の良かったのは、部屋の隅に置いた、この花でした。紫苑です。

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 特徴ある カクトラノオが角のように立っています。別名・フィソステギアとも書かれていますが、うまく口に出せないに決まっています。
 大きな特大の百日草と、マリーゴールドの色違いですね。色もきれいにでています。相羽の K さん宅です。

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 下方の S さん宅。カクトラノオ、千日紅(せんにちこう)はわかります。さてこの黄色い花ですが、葉っぱがゴワゴワしていて、花びらの形に特徴があります。なんだったかなぁ…?
 じっさいのお内仏では、こんな感じ。↓ … 団子菊でした。そう,教えて下さいました。なるほど、まん中がお団子みたいにもっこりしているからか。

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 お供え物のまくわ瓜(?縞瓜)がりっぱでしょ。お茶うけにも出して下さいました。

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 北方でのあるご法事に飾られたあった、盆提灯です。間接照明のライティングで、いいムードですね。くるくる回転しません。
 今年の夏は、あちらこちらで「お盆の提灯とは、どんなものですか」と尋ねられましたので、ここに出しておきます。お葬式にお供えするアレとは違います。
 
改 秀成9月 DSCF2137_convert_20170911230027

 背が高いのはアメリカンセージでしょうか、確認するのを忘れました。ピンクのやさしい色のシュウメイ菊が咲き始めていますね。 ミニヒマワリが鮮やかです。大きく開いた芙蓉(ふよう)の花ですが、前の晩にはまだ、つぼみだったそうです。
白いアジサイがまだ残っていました。相羽の K さん宅です。

改 スマホで IMG_20170911_100619_convert_20170911230046

 下方の S さん宅。毎月床の間の掛け軸を取り替えて、お待ち下さいます。なんまんだぶ、なんまんだぶ 

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自分に見えない、自分の心

9月の法語_convert_20170905124529

「夜、床について熟睡した時だけは安心の世界、心身一如です。
その身と心が朝起きるとバラバラになり身から心が飛び出して、今日のスケジュールのことを考えたり、子どものこと、夫のこと、食事のこと等々、心が駆けずり回っているのが見えないのです。この見えない心、無意識の心を教えるのが智慧の念仏です。」


 これがもとの文です。元のほうが、わかりやすいでしょう。悪いのですが、掲示用に私が手を加えました。

 この30年、吉村さんからときどき通信がもらえます。7月末に届いたのは「智慧の念仏」という、ご一生を振り返りつつの仏教理解、公開でした。どこかの書物に掲載されたらしい、すばらしい内容でした。

 その冒頭は、「私は重度心身障害児の女の子と男の子を授かりました。それまで何でも自分の思うがままを通してきた私は、そこで初めて自分の思うようにならないもの、自我の壁にぶつかったのです。」ーから始まっていました。
 「大変な苦しみの中、米沢英雄先生が中日新聞に…(略)…この先生なら私の苦しみに応えて下さると思い便りを書きました。
 折り返し届いた手紙は常識的な言葉ではなく、人間を超えた智慧でしたのでとても分かるものではなかったのです。いわく…
 子供さんは仏です。子供さんの宿業を果たさせて上げて下さい。苦労を逃がさないように。私が私であってよかったといえる人間になりなさい、と。」

 こんなふうにご自分と仏法との出会いが告白されて行くのです。
 わたし自身も(35年前のはなしですが)米沢先生のお話に出会ってすぐに、この吉村かほるさんの往復書簡 『大きな手のなかで』(柏樹社、現在は古本のみ)を読みました。
 「もしも自分が、この吉村さんから、こんな手紙をもらって問い続けられたら、何が言えるのだろうか。 先生はそのつど、どうお答えになったんだろう?」と、先生のことが人ごととは思えず、ハラハラしながら重い内容の本、をゆっくりじっくり読んだのでした。
 米沢先生も必死の応答で、刀で斬り結ぶがごとき内容でした。そして、この先生の後をついて歩いて行こうという気にさせられたのです。以上、今月の法語の縁起を語ってみました。

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考えが変わる――信心

 さる26日(土)に、このブログにすばらしいコメント(おたより)を、いただきました。お読みになったでしょうか?

ブログの記事は、
 タイトル: 世の盲冥を照らすなり
 2017-08-21(Mon)
 Category空中 辻説法
――母の生まれた円命寺でご法話――です。

 皆さんの中にも、このブログにちょっとした感想などを書き込んでみたいと思われるかたも、あるのではないでしょうか? 
 しかしどうやったらいいのか分からないとか、やってみようとしたが、わずらわしかったので止めた、という方もあるかもしれません。

 私も初めてコメントに答えようとしたとき、ずいぶん困った覚えがあります。
 コメントへの投稿は、それぞれの記事の最後に 【拍手】をする(クリック)欄の下に、「Trackback」と 「Comment」 という文字がありますね。ここからします。 
 「Comment」をクリックしますと、空欄が出ますから、自分のペンネームを適当に考えて、意見を述べればいいのです。
 最後に四角のマスがあり、「私(ごえんさん)だけが見れて、一般の人には見れない意見」なのか、「ブログ上でだれに見てもらっても、かまわない」のか、選びます。公開してもいいのか、非公開(私=管理者 だけに表示を許可する)なのか、ということでしょう。

 だいたい書けたなと思われたら「送信」をクリック。もういちど 「コメント投稿確認」のページが表れます。いちばん下に「認証用キーワード」という恐ろしそうな欄がありますが、何でもありません。
 おかしな字体で4つの数字が隠されていますから、それを読み取って記入するだけです。
 これがコメントの投稿の手順です。
 さて、以下は、ペンネーム Mac さんが、そうやって送ってくださったコメントです。

法事について 。 ご住職の法話を見てその内容に、得心がゆきました。よく考えもせず半分は亡くなった身内への哀悼、半分は習慣に従ってという心境でいました。皆んながそう思っているものだと信じ込んでいました。
そうか自分が浄土へ行く準備なのか、、、
人のせいにする訳ではありませんが、うちの
ご住職から聞いた事はありません。やはり自分から求めて法話を聞き、勉強しなくてはいけませんね、自分のことなのですから。
自分の考えを変える法話を聞かせてもらいました。ありがとうございます。
昨年秋より数回コメント入れさせてもらっています。Macです、今後もご住職の法話を自分の心に照らして、感じつつ勉強して参ります。
| URL | 2017-08-26(Sat)15:11


 とてもすっきりしたコメントですね。「得心がいく」―仏教でも、これが大事ですね。
 わたしが素晴らしいと思ったのは、「よく考えもせず半分は亡くなった身内への哀悼、半分は習慣に従ってという心境でいました。皆んながそう思っているものだと信じ込んでいました。」というところです。
 よく気が付かれたなぁと感心します。
 自然な人間的な感情に引きずられている自分を乗り越え、皆の考えにくっついて右往左往している「金魚のフン」(禅宗の澤木 興道(さわき こうどう)師の言葉)状態から飛び出すという決断をしなければ、仏道は歩めませんし、仏法はわかりません。
 僧侶も門徒さんも、これはおんなじです。浄土真宗では特に、この点があいまいな人が多いのです。

 「うちのお寺さんが言っておられるから」(小さな世界)とか、「たくさんの人がお参りする会だから」(多数決で決める、政治的宗教)とか、「本山のエライ先生が話されたから」(権威に依りかかる、盲目的宗教)とかいう俗世間的なものを投げ捨てて、たったひとりで【自分で納得できるこころ】に従って生きる決意が必要なんです。

 このすなおな、伸びやかな、生徒感覚こそ、信心というものに限りなく近づいておられるのです。いや、信心そのものかも知れません。
 
 わたし自身もパソコンでの作業はニガテで、字を打ち込むのさえもポツリポツリという有様ですし、このブログそのものも娘の一人に立ち上げてもらった、というのが実情です。
 ただひたすら、自分がたどりつつある仏教理解を、どの方面にも遠慮せず隠さず、あまさずにオープンにし、「むきだしに公開」 しようとしているだけです。

 浄土真宗は、仏教は、親鸞聖人の教えというものは、じつは今もって明らかになっていないのです。
 どこまで明らかになったのかは、私なりに分かったものを公開してゆけば、あとは皆さんの【得心するこころ】が決めて下さることだと、私は信じています。
 Mac さんの、思いきったご決断をこころより祝福いたします。おめでとうございました。

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