易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

江戸の生活と本音。誹風柳多留

『誹風柳多留』 呉陵軒可有・編  新潮日本古典集成

 「はいふう・やなぎたる」と読みます。今から250年前、明和2年に江戸で刊行された書物です。

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 もちろん結納の際の「家内喜多留(やなぎたる)」、酒肴料(しゅこうりょう)のことばの、もじりです。柄井川柳はひとつひとつの狂句の点者・評価者・撰者でありましたが、配列、企画、プロデューサーについてはすべて呉陵軒可有(ごりょうけん・かゆう)氏なのです。

 これがペンネームだとすぐわかったのでしたら、古文を少しはかじった人だと言えます。「ごりょうけん・あるべし」というしゃれが隠れていますから。
 「勘弁してくださいよ」とか「よく考えてみてください」といった語感でしょうか。たいへんふざけた名前です。(本名は不明)

 まさかわたしが、そんな川柳の古典などを読む日が来るとは、夢にも思わなかったことです。なんまんだぶ、なんまんだぶ

 いまどき川柳と言ったら、たとえばこんなのでしょう。

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 毎日新聞に毎日のっている記事です。これを見るのがだんだん楽しくなったので、古典までさかのぼってみたのです。江戸時代中期。
 庶民のホンネと生活実態が手に取るように分かる、貴重な資料ですね。ですから、句よりも注が楽しかったですよ。
 江戸の町の博物館とかあるようですが、あれではわかりませんね、庶民の生活は。

全756句、とくに共感できたのは、

・初物が来ると持仏じぶつがちんと鳴り(*お内仏)
・よい事を言へば二たび寄り付かず
・子が出来て川の字なりに寝る夫婦
・日本の狸は死んで風起し(*これは、わからんでしょう? ちなみに前句まえくは、「用に立ちけり用に立ちけり」) 
・盗人にあへば隣りでけなるがり
・ひん抜いた大根で道を教へられ(*一茶は、大根だいこ引き大根で道を教へけり)
・新見世といへばわづかな欲を買ひ
・死に切つてうれしさうなる顔二ツ
・片棒をかつぐゆふべの鰒ふぐ仲間
・寝てゐても団扇のうごく親心
・家内喜多留ちひさい恋は蹴散らかし
・本降りになつて出て行く雨宿り
・引越しの跡から娘猫を抱き

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7月のひまわり法話・畜生

 7月24日(水)は、午後2時から谷汲のグループホーム訪問でした。
 いかにも暑い日で、お集まりの皆さんが一時間もしんぼうなさるのに驚かされました。

 ご自宅におられたとき、お元気な時には、お寺へ参られた体験のある方ばかりだと思います。体験のない方で集まって来られる方は、まず、なかろうと思います。過去の体験も含めて、過去世(かこせ)の重みを感じました。

7月お勤めの時間 IMG_0056加工_convert_20190727114429

 また、法話のお聴聞(仏教のお説教)は未体験かと思われる若い(20代も30代も、40代も若い)スタッフのかたがたも、すなおに最後まで聞いていて下さったので、「どうか仏教の教えの一片でも早い時期に味わってほしい…。」 「若い時のカンチガイをその後の人生で引きずらないでほしい…」という気持ちが湧き起って来ました。

 お話は仏教の人間観でした。誰にもわかる心の分析と言えるかもしれません。
 別の面からいうと、「迷いとはどういうことか」です。
 こうやって法話を聞くときだけが「⑤人間」の境涯であります。

7月六道の図 IMG_0060加工_convert_20190727114443

 この世で生きている私のこころを鏡で写しだしたような図を、用意しました。このように、気持が①から⑥まで脈絡なく、コロコロと移り変わると説くのが仏教の基本です。
 親鸞聖人のおことばですと、もっとコンパクトな言い方で五趣(ごしゅ)。修羅が省かれています。
 修羅はいわば、競争心、負けず嫌い、ライバルの境涯ですから、ほとんど地獄と直結しています。
 受験地獄といいますよね。そのとおりでした。まっすぐに続けて生きて行ったら「鬼」のような、果てしない欲に膨らみ人情を失った、別の人間に変質するでしょう。なんまんだぶつ

 このごろ、畜生ということを考えさせられています。「ラクしてもうける、トクをする」という、ヤクザな生き方です。上の人には盾付(たてつ)かない人です。

 昨日も歯医者の待合室で週刊誌を読んでいましたら、小学校4,5年生のかわいい男の子がおばあちゃんと入って来ました。
 そのうち受付に行って、カウンターにもたれ掛り、肘をついて脚を開き、我がもの顔にだらだらと受け付けのお姉さんとおしゃべりをしています。
 うるさくもないし、おとなしいのですが、まるでわが家にいるみたいになれなれしいので、不快を感じました。

 甘え上手でなれなれしい。遠慮も無いし、緊張も無い…昨今の、秩序なき子どもたちの特徴かも知れません。これは王子さまとお姫さまのすがたですね。

 「天」の境涯、安穏の天人がこの世の目標という、迷いのまっただ中に、日本は突入しています。

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6月から7月。夏のお花

 夏らしいお花が出そろってきました。6月後半から今月前半までです。

6月高橋宅 DSCF4781_convert_20190719174131

 長く伸びるグラジオラスもこれからですね。
 背が高いので扱いが難しい気がして、おっくうになりがちですのに、よく立ち向かわれていました。ピンクのノコギリソウも咲いてきました。
 相羽の K さん宅、おじょうはんでした。

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 お花育ての好きな、黒野 H さん宅の祥月のお参り。
 色彩あざやかなお花がふんだんに盛られています。桔梗もユリも色濃く育っていました。
 白い筋が印象的な、鳴子ランも涼しそうでした。

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 同家の床の間です。鉄砲ユリ、白く細かい花の房が咲くホザキナナカマド(穂咲七竈)、まだ珍しいリアトリス…小さい紫の花も見えますね。

6月康秀 グラジオラス DSCF4788_convert_20190719174326

 ちょっと見ないグラジオラスです。タネを買われたのだそうです。この季節になると目にする、アガパンサスも使われていました。
 緑の葉が多くて、見飽きませんね。
 相羽の Y さん宅で6月のおじょうはんです。

6月康秀 溪山漁火 DSCF4789_convert_20190719174348

 同家の床の間。ここでもまた、めずらしい色彩のグラジオラスが。「溪山漁火」は中国の画のようです。

6月堀宅 IMG_20190702_085935_convert_20190719174412

 ふんだんに使われた桔梗で、豊かな気分を味わいました。ここから7月ぶんです。
 「こんなに切ってもいいのですか」とお尋ねすると、「畑の一角が桔梗ばたけみたいにしてあるから」と余裕のお答え。
 相羽の R さん宅の月参り(おじょうはん)でした。

6月アジサイ DSCF4808_convert_20190719174442

 ずばり、アジサイです。やさしい色合いでした。
 相羽 K さん宅の月参りです。

7月賢一氏 DSCF4819_convert_20190719181634

 ううむ、ここは何でもあるなぁという花群。後ろに高くリアトリス、白い花のノコギリソウ。桔梗、マーガレット、ダリヤ、百日草、…見落としていないでしょうか?
 相羽の K さん宅月参りでした。

7月脩司氏 DSCF4820_convert_20190719181654

 蓬莱山、というようなおごそかなイメージを感じます。いろんな宝物が、きっちりとうず高く積み上げられている感じ? ていねいな盛られ方ですね。
 赤い実はヒペリカム、ピンクの花はシャボン草ではないし、ミニ撫子だったかな。名前をうかがったと思いますが、もう忘れてしまいました。下方の M さん宅月参りでした。

6月床の間 IMG_20190705_111844_convert_20190719174516

 同家の床の間。ユリのように見えるかもしれませんが、もうちょっと柔らかい、しなっとした花弁ですね。薮カンゾウなんです。
 温かい濃い赤色のは、ヒメオウギスイセンです。これから一斉に咲き始めます。

7月貞一宅 IMG_20190709_082536_convert_20190719181842

 黒野で Y 家の月参り。いかにも女性らしい可愛らしいお花でした。

7月秀成宅 DSCF4826_convert_20190719181910

 相羽で K さん宅での月参りのお内仏。
 黄色いのは宿根コスモス、薄紫のはハーブ系かとわかりましたが、だいだい色の小菊のようなのが、わかりません。「何でしょうか?」「これは北海道で咲くタンポポの一種です。」と。エ―!
 調べてみますと、コウリンタンポポ(紅輪蒲公英)というらしいです。北海道では駆除・防除も検討している外来種のようです。

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 ダリヤ尽くし、これがなかなかこうは、構成できないものです。
 「つぼみが面白いと思って、活けたのです」と。さすがだなァと感心しました。
 北方町の T さん宅の月参り、玄関先です。

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 同家の床の間。白さがチャーミングな、八重のクチナシの花です。きれいな白です。
 ところで、後ろの不気味な(失礼!)ものはなんという植物でしょうか。(笑い)
 おんさい広場には、いろんな花が出店されるようです。
【発見! 追記】
パイナップルリリーと云う名前でした。正式には「美しい頭の毛」と言う意味、ユーコミスというらしいです。南アフリカ原産。

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 いわずと知れた、ホオズキですが、時期が早いです。ご自宅の畑から。
 相羽の K さん宅で先代の祥月命日のお参りでした。

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 これはオマケです。お寺の庫裡の一角で。
 ストケシアの紫がいかにも鮮やかでしたので、南天、ムラサキツユクサと合わせて立てました。
 この花は和名がルリ(瑠璃)ギク、エドムラサキと呼ばれるだけのことはあると思います。
 
 もう 7月も半ば を過ぎました。

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お墓は子どもたちの負担になるばかり?

 ちょっと前になりますが、去る5月9日、岐阜市加納にあるりっぱなお寺でお話をする機会を恵まれました。

 そこでは2席、すなわち50分くらいずつ2回に分けて、『あなたはもう、仏様にお会いしましたか』というお話をしてまいりました。

 くわしくはそのお寺さんのホームページで⇒ 河野 善超寺 善超寺通信31号
 YouTube「善超寺」で 前半は 第15回真宗講座(2019年)
 YouTube「善超寺」で後半は 第15回真宗講座(2019年)〈後半〉 聞くことが出来ます。

 そのとき終りがけに、お墓の意味を考えさせられた実話をちょっと、紹介させてもらいました。

 墓じまいなどという、不気味な言葉がマスコミで横行していますが、短い視野と浅はかな親切(聖道の慈悲)というおのれの知恵と心づかいにおぼれないように、この短いエピソードを味わっていただきたいと思い、その個所だけを切り出してみました。
 わずか4分ほどです。ぜひお聞きください。

ユーチューブへ ⇒ 墓じまいをする前に





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無縁経―ごえんさんの法話記録

 住職みずから、しゃしゃり出て法話をした、6月29日(土)の無縁経法要でしたが、いかがでしたでしょうか。

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 話した私の側からみれば、「同級生がずらっと並んでいるのは、独特のプレッシャーがあるなぁ」ということでした。責任感を感じます。
 
 ほんの少しですが、当日のお説教の一部を、どなたも観れるように新作動画として作っておきました。
 住職の字のまちがいがあったところです。15分間。

 こちら→ 無縁経―六道のおしえ



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7月法語:ナンマンダブツという声

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 ナンマンダブツという声で
 救われるのではありません。
 中に含まれている意味によ
 って、私たちは救われるの
 です。
(羽田信生)

 このあと 「聞いて、うなずく。」 と続いています。

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法話の続き―他人のことは許せませんが、

 無縁経法座の当日、ご参詣くださったかたがたへのお礼状です。

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 後から当日の録音を聞き直しても、いま一歩、はっきり言えてなかったと思ったので、原稿(寺報)をもっと突き詰めてみようと、一日考えてみましたら、こうなりました。くどいようですが、お説教の続きです。

 わたし流の「二種深信」の新翻訳・解釈になりそうです。

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寺報№173  天人も落下しますよ

無縁経表紙
 

【住 職 法 話】 天人も落下しますよ

 七十歳を過ぎたらあとはいやおうなく下(くだ)り坂ですよ。どなたも自分の人生に満足してアチラに行けるように、人生全体の目配(めくば)りを急いでください。仏教はだれでも、どんな人生でも、この世を満足して去ってゆける教えです。お浄土へ行くことで人生の帳(ちょう)じりが合うようになっています。

    人生での位置
 まず、この世でのじぶんの立ち場をはかる物差(ものさ)しをご紹介しましょう。六道(ろくどう)の教えです。六道とは地獄(じごく)、餓鬼(がき)、畜生(ちくしょう)、修羅(しゅら)、人間(にんげん)、天(てん)。六つの境遇(きょうぐう)ということです。始めの三つは三悪道(さんまくどう)といって、仏教の教えを聞く気持も起きない状況です。(いまだにそんな精神状態が続いていませんか?)

 地獄は、固(かた)い心の殻(から)に閉じこもって他人を見下している心、他人の世話になるもんかという寂(さび)しい世界。傷つけたり傷(きず)つけられたりしているケモノの心を「地獄」といいます。勝つこと、得(とく)することだけが意味があるという人です。勝者(しょうしゃ)だった人も敗者(はいしゃ)も、死に切れないことでしょう。

   ランチなら、オッケー
 餓鬼(がき)、ちょっとでもトクするようなポイントがあったら、すぐもらいに行く人。
 だれかから「新しいお店が出来たで、ランチに行かへん?」とか、
「テレビでやってた、千円もする高級食パンを買いに行くんやけど、乗せてったげよか?」と電話がかかったら、すぐ「行く、行く」て返事してしまう、マダムなあなた。
 餓鬼(がき)は、『世間に乗り遅れたくない症候群(しょうこうぐん)』なんです。
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 こういう人には、「下方(しもがた)のお寺で法話があるけど、いっしょにどうお?」という電話をかけても、まぁ行かんね。
 「私このごろ足が痛いの」「孫の守(も)りがあるで」「畑で忙しいから」と、断(ことわ)られると思いますよ。自分の人生がもうじき中途半端(ちゅうとはんぱ)なまま、終ってしまうというのに。
 いいわけ上手ときりがない欲で忙しくしていたら、最後まで念(おも)いが残って死に切れませんよ。


 もうひとつは畜生(ちくしょう)、楽して儲(もうけ)けたくて仕方ない人。家計の足しになるからなどといいわけをしながら海釣りを趣味にしている方はおられませんか。相手は生きものです。釣り上げる時のワクワク感はたまりませんが、魚に生まれてこようと思った魚はいないのですし、たまたまこちらは人間に生まれてしまっていたに過ぎません。相手の怨念(おんねん)も残ります。

     天人五衰(ごすい)
 さて人生の正体を見通す六道(ろくどう)の教えで問題なのは、最後の「天」です。天人(てんにん)は、ワシの人生まあまあ思うように行ったな、同級生に恥しくはないし…という気持ちの人。
 老後の心配もまずは無い、ご境遇(きょうぐう)。しかし「天」もやっぱり世間をなぞって生きて来た迷いの人の場所です。

 仏教では「天人五衰(ごすい)」といい、世間から見たらしあわせな天人も、五つの情けないすがたを見せながら、やっぱりいつかは死ぬのです。一つ、身体(からだ)が汚(よご)れてくる。二つ、老臭(ろうしゅう)。三つ、脇(わき)から冷や汗。四つ、華(はな)やかだった容貌(ようぼう)ががくっと落ちる(頭上花萎)。五つ、どこかへ行ってしまいたくなる(不楽本座)。この五衰(ごすい)を見せつつ苦しみながら、ものすごい落差(らくさ)を急落下して行くのです。

 これはたとえば、美貌(びぼう)に恵まれた人ほどつらいことだと思います。仕事が出来た人ほど、本人にとって受け入れ難(がた)いことだと思います。恵まれた人、天人(てんにん)もまた、仏様に会えなかった人です。


  残念さが消えてしまうところ
 三悪道(さんまくどう)、六道(ろくどう)に共通するのは、だれにも頭を下げたくない自我(じが)の心です。たったひとりの他人にも、会えなかったということです。善(よ)き人、善(ぜん)知識に出会わずには、仏様を信じる気持にはなれるものではありません。

 われわれは許せない他人のことは覚(おぼ)えているでしょうが、許してもらわねばならない自分に気が付かない闇(やみ)の人生を歩いて来たのです。この世の残念さ・無念(むねん)さはどこかで雪のように溶(と)けて消えてしまわねば、どなたの人生も帳(ちょう)じりが合いません。「残念」が消えてしまう、満足のお浄土を願う人生に転換していきたいものですね。なんまんだぶつ、なんまんだぶつ…。
【令和元年 六月二十五日 浄勝寺住職・村上敏喜 拝記】

                                        

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