易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

お仏花―お盆の前、お盆の後

 大変な暑さでした。「ベトナムでは35年ぶりの猛暑で37度を記録」とテレビで報じられていましたが、ブラックジョーク?のつもりだったのでしょうか。
 お参りを頼まれることもごく少なく、ほんとうに”じっとして”生きていたのが、お盆の前です。

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 7月のお仏花の残りがあります。夏休みに入ったばかりの小学生といっしょにお勤めをした、相羽の T さん宅おじょうはん。
 上から薄紫のは、カッコウアザミという和名でも親しまれるアゲラタムでしょうか。
 その下に隠れているベージュ色は百日草とアルストロメリア、右の細長く伸びるのはおなじみのグラジオラスです。
 こちらを向くオレンジ色のはマリーゴールド。黄色は夏の黄色い花 ルドベキアか、そっくりのキクイモモドキでしょう。

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 うまく成っていますね! 小型の色付きかけたホオズキ三連ですよ。よく見ると右側には青いホオズキの鈴成りが。ご自宅のだそうです。
 中ほどには百日草と、甘いピンク色のダリヤ、グラジオラスが。
 上のほうで細かく咲いているのは、旧暦のお盆につきものだったといわれる、ミソハギがきれいです。もうすぐお盆だなと感じさせられた、相羽 Y さん宅おじょうはんでした。

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 ここから8月のぶん。先月に続いて当家の桔梗がふんだんです。キキョウは涼しそうですね。そしてここでもミソハギが。
 相羽の R さん宅おじょうはんです。

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 アルストロメリア、黄のマリーゴールド、白いノコギリソウとカスミソウ。ほかは色とりどりの百日草でしょうか。絢爛豪華な花火みたいです。相羽 K さん宅のおじょうはんです。

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 控え目な床の間のお花ですね。お人柄でしょう。お内仏には花屋さんのお仏花が一対立派に飾ってあります。
 黒野の T さん宅おじょうはんです。

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 これは何か、と思いましたよ。当家でもご存じでなく、「おんさい広場で見つけて。」とおっしゃるだけです。
 頭の部分、何に見えます? これは南アフリカ原産、パイナップルリリーといいます。そう教えて下さる方があって、なるほどなぁと思いました。食べれるといいですね?
 夏らしい水盤の生け花でした。北方町の K さん宅おじょうはんです。

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 花材は買われたものです。初雪草、ミニヒマワリ、百日草。セットされたものを立てるのも、また大変かも知れません。 
 お参りの前日に用意されたので、初めと花の向きが変って…と笑っておられました。相羽の N さん宅おじょうはんです。

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 一目見て、どの花に目を引かれますか? 私は真になった地味な花です。紫苑がつぼみを持ち始めたのですから。
 薄紫の角トラノオも咲き始めたようです。華やかなグラジオラスももう最後でしょう。
 ていねいに活けてある相羽の Y さん宅のおじょうはんです。

 これで8月末までのお参りの花はすべてです。どうぞ、それぞれの方の努力に拍手を!

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7月のひまわり法話・待ったなし

 今は8月の終りで、ちょっと遅いご報告ですが、7月25日(水)には谷汲のグループホームにお話に出かけました。

I改 7月ひまわりお経 MG_0056加工_convert_20190828204459 施設長さん撮影
 いつものように、まずお正信偈の本文をお勤めします。

 この日取り上げたのは、は本師源空(つまり法然上人)のことが書いてあるところで、「ゲンライ還来 ショウジ生死 リンデンゲ輪転家」。
 日本語式に読めば、ショウジ生死 リンデン輪転の イエ家に ゲンライ還来= 帰り来る。

 ゲンライ還来とは、昭和7年刊行の『正信偈の座談・下』によれば、《又しても浮世にこころ引かされて、迷いの心の離れがたく、執着の情を断ち難くして、車の輪の回るがごとく、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の》六道の世界に還(かえ)り来ることです。(高橋常雄師)

 注意したいのは、この迷いの世界に帰って来るのはダメ、というのが仏教の立場なんです。流転輪廻(ルテンリンネ)の敗因は、「ケッチ決以 ギジョウ疑情 イショシ為 所止」。阿弥陀さまの本願を疑う気持ちを止めることが出来ないからだと見抜かれておられるところです。

 このもとは、法然様の『選択集』にある文句です。
 「まさに知るべし、生死の家には疑いをもって所止となし、涅槃の城(みやこ)には信をもって能入(のうにゅう)となす。」

 親鸞聖人は「生死の家」に「輪転」までくっ付けて、くどいくらい念入りに読んでおられます。

 まとめて申せば、相手を受け入れる気持=信心が薄くて、相手と一体になりたくない=疑情という気持が濃いようでは、往生・成仏はおぼつかないということですね。よくよくわが胸に手を当ててみれば、私の本質です。


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  というわけで【われわれが持っている六つの顔=六道】のお話が中心になりましたが、後半では親鸞聖人というお人柄についても少し触れることもできました。

 ・虚仮不実のわが身だと思っておられたこと
 ・真実の心は無い自分だと厳しく思っておられたこと
 ・先生と呼ばれることが大嫌い。しかし師と言われるとまんざらではない気もする
 ・弟子は一人も持っていないおつもりだった……こういう人って、みなさんは魅力を感じますか? 私は感じます。

 当日の様子はここにタッチすれば見れます⇒ 7月 ひまわり法話 人生、待ったなし



 「待ったなし」という題にしたわけは…動画でお確かめください。

 

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おたがいが称える、お念仏

 お盆のご法話が良かった、という声を耳にしました。わたしも同感です。鮮明でしたね。

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 終了まぎわの4分間に、コウケツ師の叫びがこもっていたと思いましたので、当日の参詣者に後から出したお礼状は、そこをまとめてみました。

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 「そこだけでも聞いてみたい」という気持ちになられたかたが、おられましたら、下の再生ボタン(▲)をポチッと押して聞いて下さい。



 ちゃんと聞けましたか? 

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盆会―は大きな家族のつどい?

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 この尋常でない暑苦しさのなかで、はたしてお参りなさる方があるのだろうか? とても心配な法要でした。

 おまけに大型のゆっくりした台風が15日午後に通り過ぎて、本堂の縁側はよごれるわ、花畑の花は倒れるわで、気の重い準備でした。
 皆さんのお家の野菜畑にしても、さぞ困ったことになっていたことでしょう。

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 ほっといても境内に咲いてくれる高砂ユリと裾のほうの初雪草は、この季節にありがたいものです。
 ヤバネススキ、桔梗、左上の角トラノオ、細かい白のノコギリソウ。ほんの少し咲き始めた紫苑もありました。小菊は産直で売っていたものです。

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 御開山まえです。左上はちょっと地味なミソハギです。きれいな黄緑の葉はズイナ。

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 御代前は古くからある「覚如・蓮如上人連座像」を見つけて、奉懸しています。秋のおみなえしが季節感あります。
 下のほう、白いやや垂れ気味なのはアジサイ(墨田の花火)の、最後の残り咲きです。
 目立つ斑入りの葉の樹は、名前を知りません。ぼうぼうに茂る枝です。

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 お内陣のお仏花がすんだところで、下方の M さんが夏菊の美しいのをイ~ッパイ! 持って来て下さいました。
 すてきな色です。講師の足元に飾らせていただきました。
 白も黄も紫も生き生きしていました。有難かったです。

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 寸足らずなススキでしたが、渡り廊下にも使いました。以上が前日16日までの用意です。

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 17日当日は朝から猛暑でしたにもかかわらず、思いがけない多くの皆さんが参詣してくださいました。
 また、講師の纐纈先生はたいへんお忙しい身であるのに、イヤともいわず忍耐強くこの日のお話の準備をしていただいていたようです。想像するだけで、小生の身が縮む思いでした。
 ……法話をするのは、準備が、何日も何日も考えるのが、たいへんなのです。

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 ?ごえんさん、あんまり身が縮んでいませんね? お話は例年になくリラックスした、楽しい、先生らしい少年時代のエピソードも聞けました。

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 南側からのようす。少々イスを増やしました。夏はイスのほうが涼しいかも知れません。
 役員さんはお荘厳、会場設営、お仏飯、喚鐘、お供え配り、会場片付け等、最後まで御苦労さまでした。

 こうしてみると、御先祖にたいしての供養として、顔向け、手向けとしてでしょうか、どんなに暑くてもしんどくても、杖をついてでも、お寺に参って下さる、(良い意味で)修行者のような門徒さんが、一定数あるのですね。
 のらくら者の住職を、引っ張っていてくださる門徒さんは、自分の親みたいなものだと思いました。大きな家族が全員寄り集まった風景―がお盆会でした。なんまんだぶつ、なんまんだぶつ。

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寺報: わけもわからないまま終っていいのか

表紙 盆会寺報

【住 職 法 話】 仏さまは人生を照らして

わけもわからないまま

 前回では、この世の迷(まよ)いの世界での心の動きを図式化した、六道(ろくどう)のお話をご紹介しました。
 その頂点(ちょうてん)に立つのが「天(てん)」という境涯(きょうがい)です。これこそがひとから笑われても後(うし)ろ指を指されても、行った者勝ちと言わないばかりに突進して行く、みんなの「暗黙の目標」であります。
 学校という所でもほぼそういう考えを吹き込みます(洗脳)から、子どもの時から迷(まよ)いの世界しかこの世にないものだと思いこんで、競争で努力を重ねて大人になって行き、めんどうの少ない、楽(らく)な生活を目指(めざ)します。自分が達成できなかった人は子どもに期待(きたい)しますから、次の代(だい)でも欲望が再生産(さいせいさん)されて、六道(ろくどう)はみごとに輪廻(りんね)して行きます。六道輪廻の時代です。


修羅とはコンプレックス

 ①地獄(じごく)という争いの世界は、相手が落ちるか自分が落されるかふたつに一つという競争の勝者が、自分が目当(めあ)てとした天にあがるという構造の、いちばん基盤(きばん)(ベース)です。
 その成長を通して人間が変質して行ったのが ②餓鬼(がき)です。豊かであっても人並み以上の出費は一切(いっさい)したくないという、細かい計算が得意な、ケチな性分(しょうぶん)、すなわち無慈悲な性格となります。
 ③畜生(ちくしょう)は自分の立場が少しでも悪くならないように上の人に逆(さか)らわず身を処(しょ)してゆく態度が自然と身についてしまった姿です。

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 そうしますと ④修羅(しゅら)とは、勝者になる前の不安定な心情のことでしょう。絶えずライバルのことが気にかかり、内心はコンプレックスの塊(かたま)りです。周囲(まわり)と比べるというクセが抜けないのです。 
 そんなストレスのただなかで、「自分」の才能の無さにも気が付かず、反対に、持って生まれてきた「自分」の良さも忘れてよそばかり見て来た、その軽薄な生き物(もの)とはだれのことでしょう? 

並みの人間である自分を愛せるのか

 イタリアと日本で暮らしておられる ヤマザキマリ さんというマンガ家が、新聞紙上(しじょう)で人生相談を受けておられます。先日めずらしい相談をなさったのは、就職を控(ひか)えた二十一歳の男性でした。(8月6日火曜日付(づけ)毎日新聞) 「並の人間であることが身に染(し)みて分かった。劣等感(れっとうかん)とプライドを捨て、自分を愛して前に進むにはどうしたらよいですか。」と、まさに修羅(しゅら)から抜け出したいという、 ⑤「人(間)」らしい、痛ましいご相談でした。

 どうやって自分を愛せるのかという、きわめて仏教的な問題ですね。 

 マリさんは、具体的に答えられました。「私はかつてシリアという国に暮らしていました。ここは内戦がつづいていて、何人かの友人とはいまだに連絡がつきません。生きていてほしいと願うばかり(中略)生まれてきたからには、何かを成(な)し遂(と)げなければならない、成功して親を喜ばせたい…(中略)人間ばかりが自分は並(なみ)だとか、優(すぐ)れているとか、劣(おと)っているといった評価により、授(さず)かった命の価値(かち)を決めようとする。(中略 でも)全て(すべ)が思い通りで浮(う)かれて生きていると、いざという時に太刀打(たちう)ちできなくなる。(後略)」―広い視野に立ったていねいなご回答(かいとう)でした。

わけのわからないままで人生を終わらないため、仏さまのしんせつ

 みなさんが、いつもお勤(つと)めをなさる『お正信偈(しょうしんげ)』の和讃(わさん)で六首めに、

仏光(ぶっこう)照曜(しょうよう)最第一(さいだいいち) 光炎(こうえん)王仏(のうぶつ)となづけたり 三塗(さんづ)の黒闇(こくあん)ひらくなり 

  ⑥天(てん) を目指(めざ)す六道(ろくどう)人生こそ万人(ばんにん)の歩(あゆ)みだという考えじたいが、三塗の黒闇(こくあん)(地獄・餓鬼・畜生)に閉(と)ざされている証拠なのですよと教えておられるのです。流転(るてん)輪廻(りんね)する生(せい)から自由になろうと、仏教は続いてきたのです。

 人生は目立つ必要はない

 すでに2千年以上前、お釈迦(しゃか)さまは『スッタニパータ』(その第十二経・渡辺(わたなべ)照宏(しょうこう)訳(やく))で、
 744 苦悩(くのう)が発生するのは、すべて功(こう)をあせることを機縁(きえん)とする。功をあせることを終滅(しゅうめつ)すれば、苦悩は発生しない。 750 およそ苦悩(が発生するのは、すべて動揺(どうよう)を機縁(きえん)とする。

 むつかしいことばですね。けれど何度も読んでみれば、苦(く)というのは、あせっているから。目立たなければいけないと思っているからだ、とわかりますね。若い時をふり返ってみましょう。なもあみだぶつ、なもあみだぶつ 【令和元年 八月八日 浄勝寺住職・村上敏喜 拝記】 

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お盆会の準備清掃

 8月7日(水)は 早朝7時半から、清掃お取持ちでした。
 とにかく苦しいような連日の暑さでしたので、外の掃除は早めに切り上げてもらいました。
 お盆の前はなにかと仕事がいっぱいあるなか、皆さん集まってくださいました。
 お供えのお弁当は、今回は完熟のパイナップル入りでした。庭の松の樹にパイナップルでも成りそうな暑さですもんね。

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 掃除の後の、境内です。どことなくすっきりしました。

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 お盆の本堂の準備は少しづつ進めて行きます。お仏花はすぐダメになるので、直前しか立てられません。
 11日にはいちおうお打ち敷きの飾りを済ませました。これでどなたが来られても、一安心です。

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8月の法語:聴聞

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「聴聞」に 「ゆるされてきく、
信じてきく」 と親鸞聖人は
カナを付けて下さっておられま
す。なにごとも、許されてこそ。
  (宮田公子)

…… …… …… ……

 この先生のご法話の最初に、このようにご挨拶されました。私は知りませんでしたので、アッと驚きました。
 家で調べたら、『教行信証』の信巻と化身土巻に出ていました。 
「宿世の時、仏を見たてまつれるもの、楽んで世尊の教を聴聞せん。」平等覚経でした。
 この一代の人生や才覚くらいでは、なかなかどうして、仏教(お話)は聞けないのですね。
 ――おかげでその日、先生のお話を厳粛に聞かせていただきました、

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