易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

1月16日(月) 報恩講の最終日

 今日も 初めての先生に来ていただきます。私のカメラは相変わらずピンボケです。
 通用門の前のようすは、朝7時半ころ、

改 山門 DSCF2220_convert_20170119151234

 昨日のように積もりませんでしたが、更地山がピンボケでも光っていました。下は2日まえの14日夕方の山門。

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 お参りのようすです。

改 パノラマ DSCF1217_convert_20170119150550

 初パノラマの予定が、ピンボケでなんともなりません。

改 宇野君 DSCF1221_convert_20170119150612

 こちらも若い世代の、宇野 淳信師 からご法話が聞けます。お説教の専門課程のご出身でした。
 控室の雑談で、「本堂のイスは、使わない時の置き場に困る」という一点で、なんとなく安心しました。人間、どこでつながるか分からないものです。
 
 お弁当もちで午前午後と聞かれたご門徒さんもありました。
 「道が悪いで、家に行き帰りするのに、時間がかかるから。」とおにぎりを用意されていたので、お茶とお味噌汁を出そうとすると、「トイレに行ったり、そそう が心配やから。」と遠慮されました。なるほどなぁ、きちんと考えておられるわ!と坊守は感心したそうです。さすが88歳ですね。

改 おけぞく配布 RIMG1840_convert_20170119150630

 昼からはお世話方(おせわかた:役員さん)全員に集まってもらい、片付け、おけぞくの配布仕分け、反省会と進みました。これはバカチョンカメラで。ピントも手ぶれも心配なしです。

 長い報恩講の記事でしたが、単なる 「成功実例」 とか、「これ見よがしブログ」 に堕ちなかったか、恐惶謹言 (江戸時代の手紙の末尾:きょうこうきんげん)の思いで、3日も経ってから、いっきに書いてみました。

 お寺の活動で  「りっぱ」 とか 「おおぜい、大にぎわい」、 などというものが最終目標とされるとしたら、それはもう浄土真宗ではない、とわたしは考えています。
 それは僧侶の夢、妄想、宗門のカルトお寺さんの名利心(みょうりしん) の満足なのですから。
 仏教の目的は、お寺とか組織を立派に、ゆるぎないものにすることではないはずです。自分をより鮮明にし、磨き上げることに直結しないならば、宗教の対極にある政治と、なにも変りはありません。
 親鸞聖人のお書き物をきちんと読んでない、蓮如上人の語録を深く読まないで、自分で読もうとしないで、エライ先生のお聴聞を頼りにして活動してゆくのなら、親鸞会の会員と同質であると思います。
 自分の目で確かめる、読み込むという、しんどいことを避けている、許し合っているのが、昨今の宗門のお坊さんではないかと、わたしは感じています。いつから? そうなったんでしょう?
 提唱: お寺が立派になればなるほど、僧侶は求道的ではなくなってゆく、という仮説はどうでしょうか?

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コメント


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大事な行事の様子、内容少し解りました。ありがとうございます。
親鸞上人、蓮如上人の書物はどういうのを拝読したら良いのでしょうか。原本には意味の解説がないと思いますし、ご教示お願い致します。

Y.mac | URL | 2017-01-20(Fri)15:15 [編集]


仏書をよむこと

さっそくに長文のブログをきちんとよんでいただき、その素直な姿勢に感激しています。
まるで純白の子どもから正面から問われたようで、正直なところ、タジタジとなっています。
少しお待ちください。ブログで、きちんとお返事を公開で書こうと思いますから。

倍俗氏 | URL | 2017-01-20(Fri)19:41 [編集]