易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

誠(まこと)に残念至極(しごく)である

        100年法話 ③

 明治45年、大阪の法光社から中井玄道師の編集で発行された、利井鮮妙(かがいせんみょう)師の語録『信仰清話』から一話、皆さんとごいっしょに味わえたら、と思います。

 現今のご法話より、100年前の念仏者のほうが、ずっとすっぱり要点を教えていてくださるような気がするのです。潔(いさぎよ)い、男らしい、ということです。
 著者・鮮妙師は天保生まれ。行信教校を兄とともに創立なさったかたです。では――

「 二十 法座は病院なり   (一部省略) 

 法座は無明業障(むみょうごうしょう)の大病を治し、永劫の行く末を決する場所であるから、我が身の大病に気がついたなら、直ちに聴聞(ちょうもん)に出かけねばならぬ。

 しかるに近来は法座が興行的(こうぎょうてき)になって、参る人も大勢の人が行くから自分も聞いてこようというつもりで参り、勤めるほうも 参詣の多少を論ずるようになったのは、誠に残念しごくである。

 お互いに危(あや)うい病気にかかっておりますぞ。
手遅れをせぬうちに聴聞をしなさい。人の交際(つきあい)でするのではない、自分のこの病気はいかにして治してもらうのかと心得て、聴聞をするのじゃ。

 また聴聞せぬ人があるから自分も聴聞を急ぐまいと、不聴聞の交際(つきあい)をするのは、人の不養生を見てあの人のごとく不養生をしようと、不養生の交際(つきあい)をするのと同じである。 」

◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇   ◇ ◇ ◇  

 著者の筆墨を手に入れました。お目にかけましょう。

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 七十歳、力のみなぎった書ですね。 「青々翠竹尽是真如/鬱々黄花無非般若」 。禅のほうの仏語です。
 読み方は 「青々たる翠竹尽(ことごと)く是れ真如。鬱々たる黄華は般若にあらざるなし。 為/藤井寶海賢契清嘱 古稀僧鮮妙書」
 紙折れがきついので、表装をやりなおすべく、表具師に出してあります。
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