易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

くねくねと曲がり、ゆがんだ、長い旅は法師だけではない

・『玄奘三蔵』慧立/彦悰著 長澤和俊訳 講談社学術文庫

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 去年から少しずつ読み進めていたので、真っ白だった表紙も黄ばみ、うす汚れてしまいました。
 原本の『大唐西域記』と比べたら「読みやすい」「分かりやすい」などいう書評がAmazonにあったので、この本にしたのですが、どうしてなかなか読みずらい文章でした。
 地図が不備で、どのへんの話か見当もつかないので、いやけがさすのです。しんぼう、しんぼう、でした。
 地名と人名に困惑するので、赤鉛筆と青鉛筆を使いながら、それを杖にしては進んで、ようやく最後にたどりついたという感じです。
 玄奘三蔵はおおよそ30歳の時に国禁をおかして唐を脱出し、3年もかかってインドへたどり着いて、あこがれのナーランダー寺でまた5年間も研究生活を送り、広大なインドのジャングルをくぐり仏蹟をくまなくたずね歩いて、帰途もまた4年ほどかかって、よくぞ唐の国に帰って来られました。――というところで記述が終わります。
 そのときすでに44歳。あしかけ17年かかったということです。

    ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  
 西域にあこがれる人は多いのですが、思いかえせば私はなんとなく、ずっと避けてきたような気がします。
 それは自分の高校生時代を振り返ることでもあります。自分の人生の「総括」をする意味で、少し思い出してみましょう。50年も過去のことで、だいぶ記憶が消えたり錯綜(さくそう)していますが。

 私の高校生時代は何を考えていたのか、何をしていたのか?――ということです。していたのは受験勉強というものだけですが、わが心は幼く、揺れに揺れていたようです。
 受験勉強というフィールドは私にとってはただ、時間との競争――ほとんどゲームなのでした。

 得点を取る単純なゲーム(あるいは戦争)――の3年間で、いちばん記憶に残っている 同級生はだれだったのだろうか、と自問していましたら、最近フッとおもいだしたのが意外なことに、2年生のとき前の席にいた M 君でした。
 先生たちの無神経なことや強圧的なことに不満で、休み時間にちょくちょくボソボソと話をしていただけなのでしたが、この高校へ来て初めてすごくいい友だちが見つかった感じで、うれしかった覚えがあります。
 しかも、色白で顔立ちもすっきりして、物静かで、やさしそうなのです。わたしとは大違いでした。

 ところが、2年生の夏休みが終わっても、ちっとも学校に出てこないのです。1週間も欠席したら、進学校ではたいへんな勉強の遅れが生じて、いわば命取りになります。
 10日以上過ぎた頃でしょうか、ある朝担任の G 先生が「M は学校をやめた。働くそうです。しょうがない。」と発表しました。
 そのときの G 先生の口調に、ものすごく冷淡さを感じました。それは(こういう冷淡な場所に、自分は平気でいるのか。飛び出す勇気も無くて)と浅ましい気分に取りつかれたという事かも知れません。

 しかしどうしても信じられなくて、担任に住所を聞いて、岐阜市内の M 君の家を訪れたのですが、たしかお母さんだったか、「もう、働きに出ていますから、いません…。」という返事でした。それきりの別れですが、ものすごく深く自分に残っているようです。
 ひとつは「脱落」者 と言わないばかりの G 先生への敵意。
 もうひとつは、M 君の 「脱出」を選択できた決断力と勇気 への敬意。「負けた、すごい。」という感情です。

 さて、この G 先生はおそらく高校の教師の水準以上に学力があったかたで、世界史の授業を持っておられましたが、とくに西域には詳しくて、今でも「突厥(とっけつ)」 ー この本によく出てきます ーなどいう国の名前を板書されるときの、自信にあふれた態度が印象的です。
 学術論文もいくつか書いているとおっしゃっておられましたし、英語の重要な文例などは成績上位の生徒なみに、やすやすと口から出てくるという、記憶力もすぐれた教師でした。
 けしてイヤミのある方ではなかったのですが、記憶力が並はずれてあるということは、「さみしい、悲しい人」という感情を私個人は持ちました。(そもそも小学生のころから、人間を選別する記憶力というものに嫌悪感を持っていた、おかしな私です。)

 学期末の担任懇談(というのかな?)ではちゃんと好意的に接していただけました…が、それなのに私は先生にも、西域にも、好意が持てなくなってしまったようです。
 思いかえしてみても、その出発点も分からない過去から、考える間もなく続いて、こうやって積み重なってきた自分の、この行動・行為・感情の長い道のりを、仏教では宿業(しゅくごう)というのでしょう。

 ――人間の感情って、えたいが知れないものですが、それがはっきりすると、またそこから自分が変っていけるようですね。
 そんなわけで、『玄奘三蔵』の勉強のおかげで、ご縁で、足かけ50年かかりましたが、西域のこと、世界史でなじんだ地名や部族名にいやおうなく触れることになったのは、ほんとうに新鮮な気分でした。
 三蔵法師のおかげで、私の人生の「ゆがみ」もいくぶんか取れたかもしれません。

 みなさんも、高校生のころの「じぶん」を、きびしく?振り返ってみてください。(呵々大笑)

 おーい、M 君、まだ生きているかーい? あのときの決断の心理的な根拠は、いったい何だったのでしょうか。今も私の中で生きている 謎?のひとつです。

    改 山門 我らの本願 DSCF1347_convert_20170310104602




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