易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

つかまるべきものは、手すりではない

改 2017 6月掲示板 DSCF1782_convert_20170606135433

 今は亡き、松本梶丸先生のご本を読んだとき、心に残ったことばです。先生のお寺、本誓寺の寺報『一本道』だったかもしれません。
 松田女が88歳のとき語られた感慨です。

 我が子に「つかまれる」とはかぎらない、だいじにして来た預金につかまれるともかぎらない、自信のあるわが健康体につかまっておれないかもしれない――何につかまるべきなのか。老化を身に味わいながら、手すりは仏法だけだと痛感した、きびしく聞いて来てよかった、ありがたいという意味だと思います。
 先生の代表的な著書、 『生命の大地に根を下ろし』樹心社刊 は必読の書です。仏法を味わって生きているのは、けっして《ごえんさん》とはかぎらないし、《本山のありがたい学者さん》でもないことが、よくわかります。

 仏教を決めるのは、エライ人ではありません。市井(しせい)の人、聞こえた人、なのであります。

 仏法がその人の生活になり、人格になり、毎日考える時の判断基準として働いてないとき、それは架空の 安心(あんじん)という、宗派のカルトにすぎません。
 人には負けようとせず、人のことばを読みなおそう、聞きなおそうという謙虚さもなく、多数の人間の評価だけをあてにして、ひたすら《にぎわい》(おおぜいのお参り) を求めて活動しているのは、だれでしょう?
 そんなごえんさん(僧侶)の世界に、うんざりしている私です。僧侶も政治家も、よく似てきたなぁと思います。

 
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