易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

寺報 №163 法事は、なんのために

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       ユーチューブの検索は 「 浄勝寺 」 でけっこうです。

 【住 職 法 話】 法事は、なんのために

       法事の用意   
                   
 昨年(さくねん)一年間におまいりしたご法事で、いちばん印象(いんしょう)に残(のこ)ったお話をご紹介(しょうかい)しましょう。
 その前におことわりしておきますが、法事というのは、お寺さんが門徒(もんと)さんの家に、言ってみれば「出張(しゅっちょう)」に、出向(でむ)くことなんです。
 本来(ほんらい)からいえば、門徒(もんと)さんがお寺に参詣(さんけい)に行くべきなのですが、そこをやわらかく日本流に直(なお)して、お坊さんをわが家にお招(まね)きして、仏教に会(あ)おう、親(した)しもうというかたちが続いているのです。

 ですからご法事を勤(つと)められたら、終わるまで難(むつか)しい顔をして黙(だま)っていたり、反対に、お金の話や政治の話といった世間話(せけんばなし)ばかりして、むなしい一日にならないように、心の用意をしておいてください。休憩(きゅうけい)時間には、日ごろから気になっている疑問を話題にしてくださるといいと思います。

      とびだした質問

 さて、そういうわけで、ご法事ではどんな話が飛び出すか、ほんとうにわかりません。そのときのご法事ではお勤(つと)めもお話も全部すんで、そのあとのオトキの場面で、突如(とつじょ)として出たのです。

 東京から参って来られた80歳になられた、とてもお元気な女性でした。一週間前にスマホも買ったといって、見せて下さいました。
 私は「天ぷらも出たし、ぼつぼつ退席(たいせき)しよう」と思っていた、その矢先(やさき)でした。

「ごえんさん、主人の23回忌(かいき)も勤(つと)めたのですが、もう法事は終わりにしていいでしょうね。周(まわ)りの人も、このごろは早くおしまいにするそうですけど…」。
 思わずエビの天ぷらがのどに詰(つ)まりそうになりました。なんて答えたらいいのでしょう……。

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 「法事のお参りはお寺さんが決めたのではありません。門徒(もんと)さんがちゃんと、お参りに来て下さらないと困(こま)る、と言われるので、私は会社勤(づと)めを辞(や)めて、こうしてお寺に入ったのです。
 昔から3と7がつく年に法事を勤(つと)めるのがいちばんええ、と決まっているのでしょう。平均(へいきん)すれば、十年で二回。五年にいっぺんですよ、感覚的にも正解(せいかい)だろうと思われませんか。」
 ―と、そこまで言ったとき、ハッと閃(ひらめ)くことがありました。なんまんだぶ、なんまんだぶ…。ありがたいですね、ひらめいて下さったのです。このかたの質問の奥(おく)が「見通(みとお)せた」のです。

     何のために、つとめてきたのでしょう?

 「だいたいね、あなた、ご法事はこれまで、なんのためにやってきたのですか? お坊さんにお経をあげてもらうため? お坊さんがお経をあげたくらいで、迷(まよ)った人が成仏できると思っておられるの?
  法事は、――いいですか、――自分が仏様になって行く準備をするために勤(つと)めるのです。法事を勤(つと)めて、仏教に親(した)しみ、じぶんが仏になる道を求めていく、ご縁(えん)なのです。

 ですから、あなたがもう、『自分はきっと仏さんになれる気がするようになったわ』と感じるのなら、いつでも法事を止(や)めてかまいませんよ。
 反対に、これまで一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌と続けてこられても、『まだ、自分は仏様に成れるような気がしない…』という心持(こころもち)なのでしたら、毎年やるくらいでないと、間に合わないでしょう。あと、残りは十年でしょう? 早く仏教の道に乗(の)ることです。

 どうか、法事は自分が仏さまになって行く準備をする機会であると思ってください。死者(ししゃ)のために法事を勤(つと)めるのではありません。自分の進んで行く方向作りのために、法事は勤(つと)めるのですよ。」とお答えいたしました。

 勘違(かんちが)いしておられる方が多いようです。自分のやっていること、やってきたことについて、深く考えずに生きておられるのでしょうね。
 親鸞聖人がわれわれのことを「世(せ)の盲冥(もうみょう)」とおっしゃっておられるのも、分かる気がしませんか。なんまんだぶ、なんまんだぶ……。
 【平成二十九年六月十日 浄勝寺住職・村上敏喜 拝記】


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コメント


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法事については私も深く考えずに、生きてきた人間の部類です。
然し、葬儀もそうなのでしょうか。亡くなった人を悼む気持ちが先に湧いてくるのが人間の自然な気持ちでしょう。特に二万人近い人が亡くなったり、未だ行方不明のニュースを聞くとまず悼む気持ちが湧いてきます。

| URL | 2017-07-22(Sat)13:27 [編集]


しぜんな感情 というもの

ていねいに読んでくださり、ありがとうございます。

このお話はあくまで「法事をつとめる」という点にしぼってあると、お考えください。
そしてまたユーチューブで「ひまわり法話 6月」も合わせて聞いてください。私が何を問題にしているのか、奥を探る気持で。

亡くなった人を悲しむ、惜しいと思う、別れたくない、哀れだと思う、気持ちには個人差が大きいのです。
それが長く続く人もあれば、あっという間にケロリとする人もある。

50回忌まできちんと亡き人をとむらう(法事はお弔いの徹底です)ひともあれば、23回忌でネを上げる人もあります。
このごろは亡くなって2年目、三回忌くらいでもう、親戚とのお付き合いを省略なさる人も出ていますね。そういう方も「自分の自然な気持ち」に従って、そうしたいのでしょう。
自然な気持ちというものも、それが尊いものとは限りませんし、当てにはならないのです。

最近の記事「お盆は仏縁をむすぶ日」も読んでください。

せっかくですから、ちょっとしたペンネームを投稿コメントに付けておかれると、貴方のことがだんだん察せられるようになり、私(倍俗氏:ばいぞくし がペンネーム)も回答が少しは楽になると思います。

倍俗氏 | URL | 2017-07-27(Thu)08:59 [編集]