易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

自分に見えない、自分の心

9月の法語_convert_20170905124529

「夜、床について熟睡した時だけは安心の世界、心身一如です。
その身と心が朝起きるとバラバラになり身から心が飛び出して、今日のスケジュールのことを考えたり、子どものこと、夫のこと、食事のこと等々、心が駆けずり回っているのが見えないのです。この見えない心、無意識の心を教えるのが智慧の念仏です。」


 これがもとの文です。元のほうが、わかりやすいでしょう。悪いのですが、掲示用に私が手を加えました。

 この30年、吉村さんからときどき通信がもらえます。7月末に届いたのは「智慧の念仏」という、ご一生を振り返りつつの仏教理解、公開でした。どこかの書物に掲載されたらしい、すばらしい内容でした。

 その冒頭は、「私は重度心身障害児の女の子と男の子を授かりました。それまで何でも自分の思うがままを通してきた私は、そこで初めて自分の思うようにならないもの、自我の壁にぶつかったのです。」ーから始まっていました。
 「大変な苦しみの中、米沢英雄先生が中日新聞に…(略)…この先生なら私の苦しみに応えて下さると思い便りを書きました。
 折り返し届いた手紙は常識的な言葉ではなく、人間を超えた智慧でしたのでとても分かるものではなかったのです。いわく…
 子供さんは仏です。子供さんの宿業を果たさせて上げて下さい。苦労を逃がさないように。私が私であってよかったといえる人間になりなさい、と。」

 こんなふうにご自分と仏法との出会いが告白されて行くのです。
 わたし自身も(35年前のはなしですが)米沢先生のお話に出会ってすぐに、この吉村かほるさんの往復書簡 『大きな手のなかで』(柏樹社、現在は古本のみ)を読みました。
 「もしも自分が、この吉村さんから、こんな手紙をもらって問い続けられたら、何が言えるのだろうか。 先生はそのつど、どうお答えになったんだろう?」と、先生のことが人ごととは思えず、ハラハラしながら重い内容の本、をゆっくりじっくり読んだのでした。
 米沢先生も必死の応答で、刀で斬り結ぶがごとき内容でした。そして、この先生の後をついて歩いて行こうという気にさせられたのです。以上、今月の法語の縁起を語ってみました。
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