易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

寺報 165 現代人のための信心のすすめ

寺報 秋彼岸
  題字下
【住職法話】現代人のための信心のすすめ   ⇒ユーチューブ

      タンニショウ
 《 ある先生がこんなことをおっしゃった。「最近は話を聞く人はあっても、道を聞く人は少ないな。」。

 歎異抄(たんにしょう)というお書物、お聖教(しょうぎょう)がございます。みなさん、名前くらいは聞いたことがあるかな。
 この歎異抄というのは、御開山(ごかいさん)、親鸞聖人(しょうにん)さまのお言葉を、お弟子の唯円(ゆいえん)というかたが書きとどめられて、まとめられたお書物(しょもつ)でございます。親鸞)聖人(しょうにん)さまのお言葉やね。

 その歎異抄(たんにしょう)の中に、こういうことが書いてある。
 「おのおの十余(じゅうよ)か国のさかいを越(こ)えて、身命(しんみょう)をかえりみずして、たずね来たらしめたもう御(おん)こころざし、ひとえに、往生(おうじょう)極楽(ごくらく)の道を、問い聞かんがためなり。」―こう、ございます。(第2条)

    親鸞聖人のお弟子たち
 これ、どういうことか言うたら、みなさんがたもご承知のことやろと思いますけれども、親鸞聖人(しょうにん)さまは、29歳で比叡山(ひえいざん)を下りられて法然上人(ほうねんしょうにん)さまのもとへ入られて、
35歳の時にご流(る)罪(ざい)になられます。越後(えちご)へ流されますが、その後、関東の方へ行かれるんですね。40過ぎたころ。で、20年あまり関東でご教化(きょうけ)、御苦労(ごくろう)なさった。

 60過ぎてから、生れ故郷の京都へ、また帰られた。ということは、関東で20年間お過ごしの間に、お念仏のお仲間、お同行(どうぎょう)がたくさん出来たんですね。
 20年たって御開山、親鸞聖人さまが京都へ帰られましたときに、その後関東のお同行(どうぎょう)が、はるばる京都の親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)さまのもとをお訪ねになったときのことなんです。

    くにざかいを越(こ)えて
 ですから、「おのおの十余(じゅうよ)か国(こく)のさかいを越(こ)えて、」――関東、だいたい今の茨城県、昔でいうたら常陸(ひたち)の国や。常陸(ひたち)から京都・山城(やましろ)の国まで、―常陸(ひたち)―下総(しもうさ)―武蔵―相模(さがみ)―伊豆―駿河(するが)―遠江(とおとうみ)―三河―尾張―伊勢―近江(おうみ)―山城(やましろ)……まちがわずに言えました。(笑い)国が十二あるんですね。だから国境(ざか)いは十一あるわけや。

 今のように新幹線があるわけじゃない、自動車があるわけじゃない、飛行機があるわけじゃない。歩いて行くんですから、命がけだったんです。だから「身命(しんみょう)をかえりみずして」と、命がけで歩いて訪ねて行った、その御(おん)こころざしは、何のためか。

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     仏教で自分が救われる 
 「身命(しんみょう)をかえりみずして、たずね来たらしめたもう御(おん)こころざし、」――何のためかというたら、「ひとえに、往生極楽の『道』を、問い聞かんがためなり。」と、こう書いてある。話を聞きに来たんじゃなかった。往生極楽の道を尋(たず)ねて来た。聞きに来た。
 往生極楽の道とは、この私が、救われて行く道理、その道すじを聞くんです。それを尋(たず)ねて来たんや。はるばる関東・茨城県から京都まで、歩いてたずねて来たんです。はなし聞くためやなかったんですな。

 この私が、どうやったら救われるか。そのこと一つを聞きに、はるばる命かけて歩いて来られた同行(どうぎょう)が当時、おったんです。》 ―――これは6月に来ていただいた、赤松(あかまつ)円心(えんしん)先生の、とても精密(せいみつ)なお話のほんの一部です。ユーチューブに上げてありますから、ぜひとも全部を見て、味わい、考えて下さい。

   この世で救われるべきもの―スピリチュアル・ペイン
 ところで、この「往生極楽の道」というのは、死んでから極楽へ行くこと自体を目標にするという、まるで観光旅行の予約のようなことではありません。
 このごろ高齢者や認知症(にんちしょう)の方に対して、「傾聴(けいちょう)ボランティア」という介護(かいご)を長いあいだ続けておられる方の手記を読む機会があって、それがいっそうハッキリしました。

 新潟の耕雲庵(こううんあん)という所で坐禅を組んでおられる、櫛谷宗則(くしやしゅうそく)さんという老師がおられます。その和尚さまが2年もの月日を費やして一冊の文集を制作するという、ふしぎな、誇り高い仕事を30年以上続けておられます。題して 『共に育つ』、現在16冊目…。
 その14号(2013) に掲載された、京都にお住まいの坐禅の人・大藪利男様の 「傾聴ボランティアとして―老いの現場から考える」を一読して、深く考えさせられました。
 十幾年もの長きにわたり老人の声を聞き続けてこられて、苦しむ人の人間はだれもが「じぶんの現実を受け容(い)れられない」「背負(せお)った苦しみの意味が明らかにできない」、そういう根源的な苦悩がどなたにもあると言われるのです。

     四苦のうち、生苦とは
 そして、「この問いは、老いや死がせっぱつまる終末期(ターミナル)の中で先鋭化し、より切実になってくるのだと思います。」 と言われます。いかがでしょうか。
 わが身をふりかえれば、どこに訴えていいのかさえ分からない、じぶん自身のスピリチュアル・ペインに苦しんできた十代、二十代…。死ぬに死ねないいらだちと怒りにまみれながら、仏法と法友に出会ったようにさえ、思います。

 浄土真宗の教えの特徴は、現生正定聚(げんしょう しょうじょうじゅ)といわれます。生きている間に、到達すべきところに、まちがいなく到達することが、御開山(ごかいさん)の信心の栄光であり、テーマでありました。
 お釈迦様の教えである生・老・病・死の四苦の中で、もっとも理解しにくい「生」苦(しょうく) とは、これを指しているのかも知れません。なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。【平成二十九年九月二十四日 浄勝寺住職・村上敏喜 拝記】


* 今号の印刷物《浄勝寺だより》は時間的、印刷上のわけがあり、最後の章があまりにも不十分でした。このWEB 版では、思考を分かりやすく明示するため、書き足しました。
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