易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

寺報№166 かならず成仏してゆきましょう

平成30 報恩講表紙 
題字下 
【住職法話】かならず成仏してゆきましょう


    おとりこしの表て書き

 みなさんの家では、秋から冬にかけて「おとりこし」を勤(つと)めていただきました。もしも、おとりこしを勤(つと)めなかったら、三,四年はお内仏(ないぶつ)をほったらかしにしている家もあるかも知れませんね。
 ですからおとりこしは、一年に一度の「お内仏(ないぶつ)のお性(しょう)入(い)れ」だと思っていただいてもかまいません。

 そのさい、「お礼(れい)の表(おも)て書(が)きは、どう書くのですか?」と聞かれることがなんどかありました。
「お布施(ふせ)、御法(ごほう)礼(れい)などでもかまいませんが、できたら『おとりこし』と書いてくだされば、もっとけっこうですよ。その下にはお名前を、裏側(うらがわ)には金額(きんがく)も書いていただくといいですね。」
 遠慮(えんりょ)して、『寸志(すんし)』(少しばかりの気持)と書かれる人も中にはありますが、「仏教は『せいいっぱい生きる、堂々(どうどう)と生きる!』という生き方を学ぶ宗教ですから、どうか堂々(どうどう)と、ひらがなで結(けっ)構(こう)ですから『おとりこし』と書いてください、お名前もフル・ネームでどうぞ!。」とお願いすることにしています。


      どんな字で書いたらいいのでしょうか

 また「でも『おとりこし』の字がわかりませんが…」と、苦になさるかたもおられます。
「『取越(とりこ)し苦労(くろう)』ということばなら、ご存(ぞん)じでしょう? もっと先になって考えればいいことを、今から心配することですね。先の心配をこっちへ取って来る、ということばです。
 おとりこしも、漢字で書きたいのでしたら、やっぱり『お取越(とりこ)し』と書きます。」
 親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)のご命日(めいにち)は一月十六日なのですが、その報恩講(ほうおんこう)法要(ほうよう)に先だって、各自の家のお内仏(ないぶつ)でも、お参りしておきましょうというわけです。『お取越(とりこ)し・ご命日(めいにち)』の意味だと思ってください。

 お取越(とりこ)しではお正信偈(しょうしんげ)をいっしょに読みます。その、ごえんさんといっしょに読むところが、ありがたいはずなのですが、遠慮(えんりょ)して黙(だま)っておられる方もおられます。
 もともとお坊(ぼう)さんはお三部(さんぶ)経(きょう)を読むのが仕事で、お参りでお正信偈を読むのは、このお取越(とりこ)しだけでした。せっかくのチャンスですから、堂々(どうどう)とごいっしょにお正信偈を唱和(しょうわ)してください。


      和讃(わさん)になるとページがわからなくなる…

 しかし、途中(とちゅう)からの「五十六億和讃(わさん)」には、難儀(なんぎ)される方が多いようです。
 「唯可信斯(ゆいかしんし) 高僧説(こうそうせつ)―チーン」の後(あと)、念仏(ねんぶつ)が終わってもペラッ、ペラッという紙をめくる音が聞こえると、(困っておられるのかな)と気になります。私はつい、「赤い本、青い本は44ページ、和綴(わと)じの本は67ページ、柿(かき)色(いろ)の『おつとめ』と書いた本は51ページ…」などと助(たす)け船を出しますが、そのページには、紙(付箋(ふせん))を貼(は)っておくといいのではないでしょうか。


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      意味も味わいましょう

 ほんとうに大事なのは、ご和讃(わさん)の意味です。漢文だけでは分からないだろうと、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)がわざわざ日本語で和讃(わさん)を作っておいてくださったのですから、ぜひ味わってみましょう。

 【第一、二首(しゅ)】弥勒(みろく)菩薩(ぼさつ)さまは五十六億七千万年の御修行(ごしゅぎょう)のあと、お悟(さと)りを開かれるのだそうですが、真実(しんじつ)信心(しんじん)をもらった「私たち」は今の一生を迷(まよ)いの最後として、息が切れたら浄土(じょうど)往生(おうじょう)、そのままお悟(さと)りを開けるのですね! 阿弥陀さまの願力(がんりき)のおかげで、おしゃかさまのお悟(さと)りと同じ、涅槃(ねはん)に入(はい)る、大般涅槃(だい・はつ・ねはん)の境地(きょうち)に向って行くことが、この世で決定(けってい)されるのです!。

【第三首(しゅ)】その、成仏(じょうぶつ)まちがいなしの仲間(正定聚(しょうじょうじゅ)といいます)に入(はい)ることができたので、これで次の生(しょう)には究極(きゅうきょく)の悟(さと)りを体験することになるのです。楽しみですね。

【第五首(しゅ)】お念仏を称(とな)えるだけの段階(だんかい)も過ぎて、如来さまのおこころも味わうことが出来るようになれば、常に「憶念(おくねん)」という感情が湧(わ)きおこるようになり、ちっぽけな私たちでも、何か仏法のために微力(びりょく)を尽(つく)くしたくなる、勇(いさ)みの心が出てくるものですよ……。

 じつに大(だい)それた心情(しんじょう)でしょうが、これがわれわれ門徒の目指(めざ)すべき境地(きょうち)なのであります。なにせ、次の世(よ)ではかならず成仏(じょうぶつ)して行こうという、大・浄土真宗なんですから。なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。   【平成二十九年十二月二十九日 浄勝寺住職・村上敏喜 拝記】



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