易往山 浄勝寺ブログ

岐阜県 揖斐郡 大野町にある、浄土真宗 本願寺派のお寺「浄勝寺」の紹介です。

会葬への御礼

 お葬式の、おしまいのあいさつは、ほんらい喪主自身ではなく、身内のおじさんなどが、喪主を伴って述べられるのが正式ですし、美しいかたちだと思いますが、ホールでのお葬式になって儀式のかたちが崩れてきましたね。
 喪主が自分でなさるケースがほとんどです。

改 字入り 会葬御礼 重義、仁志 RIMG3004_convert_20180308131241(平成19年12月3日 前住職の葬儀で会葬御礼)

 おそらく葬式をまとめる「葬祭業者」が、そういうふうに誘導して行くからだと思いますが、もうすこし親戚・兄弟が熱く(親しく)かかわってあげられないものかしら…と、いつも寂しく思ってしまいます。
 そうして、会葬者へのお礼の挨拶は、業者の用意してくれた(親切ではあるのですが)無味乾燥な、通りいっぺんの文言にそろって、いっそう味気のないお葬式に終わってしまいます。

 そんな中で、先月のお葬式で、喪主の肉声を聞いたような、温かいあいさつに出会い、導師のイス(曲禄:キョクロクといいます)の上でハッとしました。
 たいへん印象に残ったので、当人にお許しを得て、後日その原稿をお借りしました。ご紹介しましょう。

 「 ご導師様、ご法中(ほっちゅう:補助のお坊さん)様におかれましては、ご丁重なる式を執り行っていただき、誠にありがとうございました。
 また御会葬の皆様方には、たいへん忙しい中、またたいへん寒い中、
 亡き ○○○○子 の葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございました。
 ほんらい今日の式に出席すべき父・○○と叔母・△△は、病気療養中のため、参列できませんでした。残念です。

 わが母・○○子は昭和初期に生まれ
(享年89歳)、幼少期に母を亡くし兄弟を亡くし、残ったのは母と障害をもった△△となりました。
 そのため本人が小さいころから、△△の母がわりとして暮らし、十代は戦争中に過ごし、たいへん苦しい時代を生きてまいりました。
 そんな中で私たちを兄弟を育ててくれました。非常に苦労したと思います。
 しかしながら、自分がふがいないばかりに、母を十分に幸せにしてあげられなかったのではないかと、後悔の念が絶えません。 (ばあさん、ごめん…)。

 しかしながら、残った私たち三人は生きてゆかねばなりません。まだまだ未熟な私たちです。

 今回も、親戚の皆さまがた、◇◇屋敷の皆さまのおかげで、このような丁寧な式を行っていただくことができました。
 今後とも、故人同様、ご指導ご厚情をたまわりますようお願い申し上げて、会葬の御礼のご挨拶とさせていただきます。
 本日は長時間、ありがとうございました。」


 お礼が故人紹介にもなっているという、あるべき実例 でしょ? 

 喪主の H さんの、正直で親思いなことがすなおに表れた、しみじみとした会葬御礼(かいそうおんれい)だったと思います。
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