小さくても大きくても、お葬式はせいいっぱい正式に勤めて、亡くなった本人に礼を尽くしたいと思っています。
2月にお参りしたお葬式です。呼ぶべき親戚にはみな案内をされたのでしたが、もともと親戚の数がごく少ないため、総勢10人ほどの小さな小さなお葬式でした。
それでも、当家は「家族葬でやります。」とは言わなかったのが、エライと思いました。
もともとお葬式は家族でやるものに、決まっていますから。
会場は大野町。新しいホールなので、これまではとても小さな仏さましかなかったため、私はお寺からそのつど大きい仏さまを持ち込んで勤めていました。
しかし今回は会場に入ってびっくり。ちゃんとその場にふさわしい大きさの仏さまが安置してありました。いつの間にか知らないうちに、大野町のM葬儀社が対応してくださったようでした。導師をつとめていても落ち着きます、お経に集中できます! ありがたいですね。ナンマンダブツ…。
仏さまの正面をさけて、左右に写真とお位牌が置かれています。白木のお棺には、七条と修多羅(しゅたら)がちゃんと掛けてあります。本式ですね。
一対のろうそく立ての横には、純白の紙華(しか)が2本ずつ飾られています。悲しみを表す、お葬式飾りの中心となる花です。
生花もまずまず…まぁ色を抑(おさ)えてあるようです。良いお葬式は御家族の理解(お坊さんの考えを尊重してもらうこと)も必要ですし、葬儀屋さんのご協力も大事だと感じます。
何でもないようですが、最近にはめずらしい、きちんとした荘厳(しょうごん)でした。
いつのまにか、あっという間に、家を会場にして近所のお世話でやるお葬式から、喪主の好みや葬儀屋さんのフィーリングでやる演出たっぷりのお葬式に大きく変わって来ましたが、「仏さまに成るのだ」 「仏さまの世界に入られる」という、きびしい意識を忘れたら、茶番(おあそび)でしかないと思います。
2月にお参りしたお葬式です。呼ぶべき親戚にはみな案内をされたのでしたが、もともと親戚の数がごく少ないため、総勢10人ほどの小さな小さなお葬式でした。
それでも、当家は「家族葬でやります。」とは言わなかったのが、エライと思いました。
もともとお葬式は家族でやるものに、決まっていますから。
会場は大野町。新しいホールなので、これまではとても小さな仏さましかなかったため、私はお寺からそのつど大きい仏さまを持ち込んで勤めていました。
しかし今回は会場に入ってびっくり。ちゃんとその場にふさわしい大きさの仏さまが安置してありました。いつの間にか知らないうちに、大野町のM葬儀社が対応してくださったようでした。導師をつとめていても落ち着きます、お経に集中できます! ありがたいですね。ナンマンダブツ…。
仏さまの正面をさけて、左右に写真とお位牌が置かれています。白木のお棺には、七条と修多羅(しゅたら)がちゃんと掛けてあります。本式ですね。
一対のろうそく立ての横には、純白の紙華(しか)が2本ずつ飾られています。悲しみを表す、お葬式飾りの中心となる花です。
生花もまずまず…まぁ色を抑(おさ)えてあるようです。良いお葬式は御家族の理解(お坊さんの考えを尊重してもらうこと)も必要ですし、葬儀屋さんのご協力も大事だと感じます。
何でもないようですが、最近にはめずらしい、きちんとした荘厳(しょうごん)でした。
いつのまにか、あっという間に、家を会場にして近所のお世話でやるお葬式から、喪主の好みや葬儀屋さんのフィーリングでやる演出たっぷりのお葬式に大きく変わって来ましたが、「仏さまに成るのだ」 「仏さまの世界に入られる」という、きびしい意識を忘れたら、茶番(おあそび)でしかないと思います。
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